第36話 おばあちゃんの家出②
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夕方、《りんごの木》のディナーを臨時休業して、りんごおじさんはマンションに帰って来た。
「仕事を休ませちゃって、なんだかすまないわねぇ、じゃあ、お夕飯は、私が腕によりをかけて作るわ」
おばあちゃんは、やる気満々でキッチンに入って行った。
けれど、めずらしい調理器具に興味津々で、なかなか料理がはかどらない。「これ何?」「あぁ、それは……」というやり取りを繰り返しているうちに、いつの間にかおばあちゃんとりんごおじさんの2人で料理をしていた。
はじめはぎこちないコンビネーションだったけれど、やはり料理が好きな2人だ。なんだかんだ息を合わせて調理は進んでいく。
「こうして肩を並べて料理する日が来るなんてね」
「そう……ですね。僕はあまり台所に近寄りませんでしたから」
「『台所』? 『家』の間違いじゃないの?」
「……母さん。その話は……」
りんごおじさんは実家が好きじゃなかったのだろうか。見かけに寄らず、オラオラ系のヤンキー時代を過ごしていたりして?
とても気になったけれど、会話が弾んでいるとは言い難いような、ちょっとお堅い空気を感じ、私はひょこひょこと能天気を演じてキッチンに顔をのぞかせた。
「手伝おっか?」
「おや、気が利くわね」
「ましろさん、最近料理の練習を始めたんですよね」
一瞬、りんごおじさんがほっとしたような表情を見せた気がしたので、私はさりげなく2人の間にするりと割って入った。
以前開かれた《かがみ屋》での料理教室をきっかけに、ちょこちょこりんごおじさんに料理を教わっているのだ。くるくるの卵焼きや、出汁から取るおみそ汁、きんぴらごぼうなんかは、もうマスターしている。
「料理、楽しいなって。いつか、《りんごの木》のシェフの座を奪っちゃったりして」
クスクスと笑うと、りんごおじさんは「困りましたね」と肩をすくめた。一方おばあちゃんは、感激した様子でパチパチを手を叩いて喜んでいた。
「まぁ、えらい! そのいきよ!」
「まだまだこれからだけどね~」
「懐かしいわぁ。美姫もその年の頃……。あっ」
言いかけて、おばあちゃんは慌てて口をつぐんだ。どうしよう、という顔をしている。「美姫」は、私のお母さんの名前だった。
「大丈夫だよ、おばあちゃん。お母さんに会えないのはさみしいけど、今はもう悲しくないよ。だって、私にはお母さんとのステキな思い出がいっぱいある。りんごおじさんとの生活だって、すっごく楽しいから」
「ましろ……」
おばあちゃんは目をうるうるさせていた。おばあちゃんだって、きっと私と同じくらい娘のお母さんのことが大好きだ。だから、つらい春を過ごしたと思う。
「おじいちゃんも似たことを言ってたわ。思い出があるから大丈夫だって。遺された家族で、美姫の分まで幸せに生きようって」
「父さん、いい事を言うじゃないですか。後で、電話してみませんか?」
「それとこれとは別!」
おばあちゃんは、りんごおじさんの提案をきっぱりと拒否した。さっきのうるんだ瞳がウソのように吊り上がっている。
「私は許さないんだから!」
「なかなか手強いね」
私りんごおじさんは、顔を見合わせて「はぁ」とため息をついた。
***
その夜、おじいちゃんからりんごおじさんに電話がかかってきた。どうやらおばあちゃんは、「凛悟のところに行きます」という書置きを残してきていたらしい。
「母さん、かなり怒ってますよ」
「家でも雷さんのように怒っとったからな。くわばらくわばら」
「ふざけてる場合じゃないですよ……」
おばあちゃんはお風呂に入っているけれど、りんごおじさんは念のために小さな声でしゃべっている。私はそのすぐそばで電話の内容に聞き耳を立てているのだけれど、受話器の向こうからおじいちゃんの「実は……」という弱った声が聞こえた。
「わしは結婚記念日を忘れたフリをしとったんだ。ばあさんをびっくりさせようと思って、そのぅ……、サプライズプレゼントを用意していて」
「え⁉ サプライズ?」
「うん……だが、すっとぼけている間に、ばあさんは怒って出て行ってしまった」
りんごおじさんは、頭を抱えてため息を吐き出している。
おじいちゃんが結婚記念日を忘れていなかったのはよかったけれど、問題はおばあちゃんとの仲直りの方法だ。
「ただ謝るだけで許してくれる気がせんぞ」
「当日は過ぎましたけど、改めて記念日をお祝いしたらどうですか?」
「家でか?」
りんごおじさんが、なぜか一瞬黙り込んだ。
私が思いつくままに、「《りんごの木》がいいんじゃない? おじいちゃん、こっちにおばあちゃんを迎えに来るでしょ?」と提案すると、りんごおじさんの瞳が若干揺れたような気がした。
「あれっ。ダメだった? 予約いっぱい?」
「……いえ。店長としては残念ですが、近日はいつでも予約大歓迎ですよ。どうそ、父さん。僕のお店に来てください」
「いいのか、凛悟⁉」
おじいちゃんが大袈裟に食いつく声がした。
おばあちゃんだけじゃなくて、おじいちゃんも《りんごの木》に来たことがないようだ。ステキなお店だし、お料理も美味しいし、そこで結婚記念日をお祝いしたら、おばあちゃんの機嫌もよくなる気がする。
いや、でもと、私は指を顎に当てる。
「今回のおばあちゃん、手強そうだよね」
「たしかに」
おばあちゃんの憤慨ぶりを思い出し、私とりんごおじさんはウンウン唸った。
おばあちゃんは美味しいご飯を食べても、「それとこれとは別よ!」と、またこのマンションに帰って来てしまいそうで怖い。
(何かないかな。おばあちゃんが感激するような仲直りの仕方……)
その時、つけっぱなしになっていたテレビに結婚式場のCMが流れた。
結婚衣装の花嫁さんと花婿さん。花いっぱいの会場と豪華な料理、そして大きなウェディングケーキ――。
「これだよ!」
テレビを指差して叫んだ私に、りんごおじさんの丸い目が向けられた。スマートフォンを耳から少し離し、首を傾げている。
「おじいちゃんとおばあちゃんの結婚式をするの!」
「結婚式?」
電話の向こうのおじいちゃんがオウム返しする。私はりんごおじさんからスマートフォンを受け取ると、わくわくと弾んだ口調で思いついたことを伝えていった。
「お店の中を飾り付けて、ご馳走をいっぱい用意するの。おっきなケーキを2人でカットするのもいいと思う! どう⁉」
「そ、そんな今さら結婚式だなんて」
「でも、おばあちゃんがウェディングドレス着てみたかった、って言ってたもん!」
頭に浮かんでいたのは、貸衣装屋さんのショーウィンドウを切なそうに見つめるおばあちゃんの姿だ。きっとおばあちゃんは、ウェディングドレスに憧れがある――私にはそう見えた。
「ばあさんがそんなことを……..。だが今年は……」
おじいちゃんがもごもごと口ごもる。
言いづらそうにしている理由――白雪家の喪中――は、私でもすぐに分かった。
でも。私がそう言いかけるのを遮るようにして、りんごおじさんが唇を動かした。
「姉さんなら、絶対にやれと言いますよ。お祭りごとが好きな人だったでしょう? 準備はこちらでやりますから、父さん、御伽町に出て来れますか?」
「そうだな……分かった。助かる、凛悟。ましろちゃんもありがとう」
りんごおじさんが私に頷きかけながら微笑む。嬉しくて、私はりんごおじさんの背中に抱き着いた。
結婚式、開催決定だ。
会場はファミリーレストラン《りんごの木》。新郎新婦は、白雪一悟と白雪海子だ。




