第34話 嵐の夏休み
「やったーーっ! 夏だーーっ!」
平日の午前中なのに、私は《りんごの木》にいた。待ちに待った、夏休みが始まったのだ。
外にはどこまでも青い空、もくもくの入道雲。
私にとって初めての、りんごおじさんと過ごす夏休みだ。私はりんごおじさんにお願いして、仕込み時間からお店にいさせてもらっていた。
「お手伝いもいいですが、宿題もちゃんとやりましょうね。僕が仕込みをしている間は、勉強時間ですからね」
「分かってるよぉ」
ムッとしながら、リュックから計算ドリルと漢字ノートを取り出した。りんごおじさんがレモンスカッシュを入れてくれたので、それを飲みつつカウンターテーブルで宿題を進めることにした。
シュワシュワと弾ける炭酸で、頭がすっきりする。甘酸っぱいレモン味は夏らしい味だった。
「……すみません、ましろさん。せっかくの夏休みなのに、遊びに連れて行ってあげられなくて」
カリカリと鉛筆を動かしていると、りんごおじさんが申し訳なさそうな声で話しかけて来た。ランチ用のハンバーグをこねる手が止まっていて、眉毛はハの字、口はへの字だった。
「お友達はきっと、ご家族と旅行やプールなんかに行くんじゃありませんか? ましろさんにだって、本当は行きたい場所ややりたいことがたくさんありますよね?」
りんごおじさんは分かってないなと、私はやれやれと大袈裟に肩をすくめた。
「りんごおじさんは私のことをお子様だと思ってるね? 私はもう10歳だからさ。休暇はね、『どこに行く』じゃなくて、『誰といる』が大事なんだよ」
ワイングラスみたく、レモンスカッシュのグラスを優雅に揺らす。
以前、りんごおじさんがあじさいモンブラン事件の時に口にしていた言葉を少々アレンジしている。ちゃんと私は、りんごおじさんが言ったことを覚えているのだ。
「お姉さんですねぇ」
「うんうん、そうなのさ」
大人ぶった仕草にりんごおじさんは笑いをこらえていたけれど、私はけっこう本気で言っていたりする。
お母さんと2人で暮らしていた時だって、レジャーらしいレジャーに出かけていたわけじゃない。平日はお母さんは仕事で忙しくて、私は一人で留守番をすることが多かった。一人で宿題をして、お母さんが作り置きしてくれたお弁当をお昼に食べて、鍵っ子だったから自分で鍵を閉めて、時々同じ近所のお友達と近場で遊ぶ……みたいな過ごし方だった。
(だから、そばにいさせてもらえるだけで十分嬉しいんだ)
私は黙ったまま、ふっと顔をほころばせた。
遠くに遊びに行かなくったって、《りんごの木》には楽しいことがたくさんある。
アリス君のスイーツを試食したり、恩田さんとドラマやアイドルの話をしたり、りんごおじさんからちょこっとお料理を教わったり。桃奈ちゃんや大地君がお届け物をしてくれたり、乙葉さんがまゆりちゃんとご飯を食べに来てくれることもある。ハジメマシテのお客さんとの出会いだって面白い。
でも、そうだなぁと、私はグラスをテーブルに置いてりんごおじさんを見上げた。
「おじいちゃんとおばあちゃんの家には行きたいよね。5月は私だけで行ったけど、りんごおじさんは2人に会ってないじゃない?」
「そうですね……。8月には姉さんの初盆もありますし……行くべき、ですよね」
りんごおじさんがなんとなく歯切れの悪い口調をするのが気になった。夏休みは稼ぎ時だから、お店を休みにしづらいのだろうか。
一緒に田舎に行けたら楽しそうなのにと、おじいちゃんとおばあちゃんのこと思い浮かべた時だった。
「はぁ~、やっと着いた! 都会の道はややこしくて困るわね!」
カランカランカラーンッとドアベルが大きな音を立てたかと思うと、よく知った人物が突撃してきた。
「おばあちゃん⁉」
「母さん⁉」
私とりんごおじさんの素っ頓狂な声が店内に響き渡った。
ふぅふぅ言いながら巨大なキャリーバックを引きずっているのは、私のおばあちゃんでりんごおじさんのお母さん──、白雪海子さんだった。
ツバの広い帽子にサングラス、上品な花柄のワンピースを着ていて、なんだかリゾート地を満喫する人にたいな恰好だけれど、たしかにおばあちゃんだ。
「おばあちゃん、突然どうしたの⁉」
「家出して来たのよ!」
「いっ、家出ぇぇぇぇっ⁉」
どーんっと入り口で仁王立ちで叫ぶおばあちゃんに、私たちは圧倒された。
家出をするのはアリス君だけじゃないらしい。
夏休み早々、嵐がやってきた。




