表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/29

第九話 世界の法則 後編

「ハイドラ! アンドリュー!」

「アルス! 行ってはなりませんわ!」


 柵を飛び越えて行こうとする俺を、リュカゥが止めた。


「離せ! なんで止める!?」

「あの三人が生きているわけはありませんわ! 嫌な予感がします!」

「ぐっ……。だが見ろ! 現にああやって歩いているじゃないか!?」


 姿は女性であっても、時空の女神の拘束を解くことは容易ではない。腰にしっかりと両手を回して組み付いているリュカゥから逃れられず、俺は歯噛みした。


「姉さんにアルスちゃん。ちょっと冷静になりなさいよ」


 もがく俺とリュカゥに、シュエリスが冷めた様子で声をかけてきた。その声は冷静ではあったが多分に怒気を孕んでおり、戦いという範疇においてこの世界で最も強力な力を持つという女神の放つそれを直接叩きつけられた俺とリュカゥは、停止せざるを得なかった。


「静かにしてくれてありがと……で、あたしも今飛び出して行くのは反対なんだけど、どうしてかわかるかしら?」


「……わからねえよ。俺の大事な仲間が、死んだと思っていた連中が生きていたんだぜ? イシュタルの様子はおかしかったけど、アンドリューとハイドラはもしかしたら……」


 リュカゥの拘束から逃れた俺は、バルコニーの下を気にかけながらもシュエリスに答えた。俺の回答を聞いたシュエリスは、目を伏せて首を横に振った。


「アルスちゃんのそういうところ嫌いじゃないわ……でもねえ、エリヤの神域で、間違いなくあの三人は死んだのよ? この世界で人間が死んだら、同じ肉体をもって生き返ることはできないことぐらい知っているでしょう?」


「創造神なら……できるんじゃないのか?」


 シュエリスが――神が死んだというのだから、間違いなくあの三人はエリヤの神域で命を落としたのだろう。

 だがこの世界を生み出した創造神エリヤと大地を育み、生き物を育む地母神アレルヤ。この二柱の神々なら、死んだ人間を生き返らせることぐらいわけはないんじゃないか。そもそも、転移魔法を使えない英雄どもやハイドラたちが、たった一晩で王城からこんな辺ぴな町まで移動することすら不可能なのだ。

 だが、万物の創造を司る神ならば――。

 そう思ってシュエリスに訴えたが、それには背後からリュカゥが答えた。


「アルス……創造神は創るだけ。そして、地母神は育てるだけですわ……。一度失われた生命は、二度と同じ形では生み出されないのですよ……」


「だが! 実際に――」


「だから。あたしは怒ってる」


 俺の言葉を遮ったのはシュエリスだった。


「アルスちゃんの仲間なんて、あたしにしてみればその辺の草花と同じ存在にしか思えない。他の人間だって同じようなものだわ。でもアルスちゃんは、それを失ってとても悲しんでいた。打ちひしがれて、自分のせいだって嘆いていた」


 床に降り立ったシュエリスが近づいてきた。月の女神は、地上の建造物や地面に降り立つことはない。神が直接操る力は強大に過ぎる。彼女の足が触れたバルコニーのタイルがサラサラと崩れ、砂漠の砂のように細かい粒子となって風に運ばれていった。


「あたしの主はあなただけ。あなたが大切に思うものは、全力で守るわ……でも」


 月の女神は再び宙に浮いて、姉神の横に移動した。眼下で英雄たちが取り囲まれ、アホ面を晒している光景を睥睨したまま、彼女は天頂の月を指差して言った。


「月に誓って言えるわ……あそこにいるあれは、あなたの仲間に似せて創りだされた偽物よ。あたしは、あんなものを創り出してあなたの心を乱す存在が許せないの……」

「シュエリス……?」


 空中で回転してこちらを振り返ったシュエリスの顔には、一転して妖艶な笑みが浮かんでいた。天頂を指示していない左手が音もなく持ち上がり、細い指が俺の頬を撫でた。


「アルスちゃん……魔王なんてくだらない生き物が死んで、あの三人も姉さんもいなくなって……あたしは幸せだったわぁ……これで、二人きりで暮らせるって思ったのよ?」


 頬を撫でていた指がそのまま俺の顔面を這いまわる。そして右の眉、瞼へと移動していった。まるで愛撫でもするかのように、その手は再び頬を伝い、首筋から胸へと降りていく。


「なのに……あなたは一年も姿をくらませて。いきなり戻ってきたと思ったら、今度は邪神を倒すから力を貸せだなんて……。それでも、あたしは嬉しかった。あなたは帰って来てくれたもの。邪神でも何でもいい。早く、早く殺してあたしを愛してくれればいい」


「シュエリス……いったい何を言っているんだ? 魔王を倒してから俺は……」


 敏感な部分を弄る指は胸板から腹へと降りていく。その手を握り、俺は硬直した。


 魔王を倒してから、俺は?


 心臓が早鐘を打っていた。やめろ。やめろ。思い出すなと警告していた。


「アルスちゃん、教えて……? 魔王を倒してから一年間……どこで何をしていたの……?」


 シュエリスの愛撫が止まり、俺は再び、草原での一幕を思い返していた。その間にも心臓の鼓動はどんどん早くなり、痛みさえ感じられた。英雄どもの剣術指南を終えた時の様な頭痛が、再び首をもたげてきている。


「俺は、魔王を……それで、ハイドラと…………ぐぅっ!?」


 頭をハンマーで内側から破壊されているような痛みが走った。


 もうよせ。それ以上考えるな。


 心臓ももはや限界なのではと思われた。それはもう血液のポンプとしての役割を果たしておらず、死ぬ間際の動物のようにプルプルと震えているだけだった。


 ハイドラに振られて、馬に乗って駆けて行く彼女を見送って――。


 あれから一年……世界は再び混乱の時を迎えた!


「!!!!」


 突然、頭に大音量で声が響いた。とても重厚感のある声で、何やら厳かな音楽まで聞こえてきた。その音源がパイプオルガンであり、聞き慣れたメロディーであることに気づいた俺は愕然とした。


 ナレーションがしばらく続き、懐かしいファンファーレが鳴り響く。真っ黒な背景に突如雷鳴が轟き、恐ろしげな怪物がフラッシュしては消えていく、打ち倒す鎧の戦士たち、焼き払う魔法使い――。より充実した職業ラインナップで君はVRの世界アゼリアを再び混とんのるつぼに陥れた邪神を倒す英雄となれるのか――。


「ナイツ オブ アゼリア……?」


 脳裏に浮かんだ言葉は、そのまま口をついてこぼれ出た。頭痛が激しさを増していくが、不思議なことに心臓の鼓動は穏やかになっていた。まるで、そういう作用の薬でも注射されたかのようだった。


「俺は……いったい……注射……薬? 何のことだ?」


「アルス!」


 崩れ落ちた俺を、駆け寄ったリュカゥが抱き止めた。魔王を倒す前からずっと、俺と一緒に戦ってくれた女神たち。深い青の瞳が心配そうに俺を見ていた。


「リュカゥ……? うおあっ!?」


 俺の顔を覗き込む時空の女神の向こうに、無表情で立っていたシュエリスの身体が、突然発光した。

 強烈な閃光に驚き、思わず目を覆ったが、瞼を通してもすさまじい光量が発生していることが分かるほどだった。


「シュエリス!? いったい何をする気だ!?」


 下手に目を開ければ失明しかねないほどの閃光だった。その向こうにいるはずの女神に向かって、俺は必死に声を出した。


「違……私じゃ……ない。これ、は……あ、あああああ!!」

「シュエリス!? くそぉ! どうなってやがるんだ!?」


 シュエリスが叫び声を上げた。出会ってからこれまで、怒りをあらわにすることもなかった月の女神が初めて上げた絶叫だった。まるで、断末魔の叫びだった。耳を覆いたくなるが、目を守るのに片方使っているためそれはできない。そんなことよりもシュエリスを助けなくては。


「いけませんアルス!! 逃げなくては巻き込まれ――」

「リュカゥ!? どこだ!? シュエリスは!?」


 頭痛に耐えながらも立ち上がった俺は、一瞬の浮遊感を感じた後にまったく別の場所に立っていた。


「リュカゥ!! 何考えてるんだ!? シュエリスを助けないと!!」


 そこは、リュカウの神域だった。またしても不気味なフォルムの食虫植物が蔓延り、とても神が住まう場所とは思えない雰囲気になっていたが。俺はそんなことには構っている暇はないと、転移魔法を唱えた。


「リュカゥ!?」

 

 しかし、それは発動しなかった。理由は一つしかない。時空の女神が力を貸さなかったからだ。


「なんで力を貸さない!? シュエリスは!?」


 石畳の上に蹲るリュカウに、俺は詰め寄った。


「アルス……シュエリスはもう……」


 こちらを見上げたリュカゥの顔は、涙でグシャグシャになっていた。突然の泣き顔に一瞬怯んだ俺を見つめ、リュカゥが天頂を指差した。

 

 冬の空は高く、町の灯が届かない密林の空には広大な天の川がきらめいていた。瞬く宝石のごとき恒星たちであっても、それは何億年も前の光にすぎない。夜空でもっとも大きく輝くのは、太陽を反射して黄金に光る衛星――月のはずだった。


「シュエリス……?」


 俺が見上げた夜空のどこにも、月はなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ