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第19話 君と過ごす、初めてのクリスマスを

二〇二七年十二月十八日、土曜日。


 午前九時十三分。


 窓の外には、冬らしい澄んだ空が広がっていた。


 俺は机の前で、スマートフォンの画面を見つめていた。


 十二月二十四日。


 来週の金曜日は、クリスマスイブだ。


 以前の俺なら、ただの平日だった。


 仕事を終えて帰宅し、いつもどおり夕食を作る。


 街がどれほど賑やかでも、俺には関係がない。


 そう思っていた。


 けれど、今年は違う。


 みくと出会って、初めて迎えるクリスマスだった。


「……誘っても、いいんだろうか」


 誰もいない部屋で呟く。


 会いたい。


 その気持ちは、はっきりしている。


 ただ、クリスマスに誘うということが、どういう意味に聞こえるのか。


 考え始めると、指が動かなくなった。


 俺たちは、まだ恋人ではない。


 彼女が俺を大切な人だと言ってくれたことも。


 隣を歩くのが好きだと言ってくれたことも。


 初めて手をつないだことも。


 全部、覚えている。


 けれど、それだけで彼女の気持ちを決めつけたくはなかった。


 スマートフォンが震えた。


『朔夜、おはよう!』


 画面に浮かんだ名前を見て、思わず笑う。


『おはよう、みく』


『今日、寒いね!』


『ああ。外に出るなら暖かくしろよ』


『朔夜もね!』


 いつものやり取り。


 俺は少し迷ってから、文字を打った。


『みく、来週の金曜日は予定あるか?』


 送信した瞬間、心臓が大きく鳴った。


 数秒後。


『金曜日? 24日?』


『ああ』


『まだ何も決めてないよ!』


 俺は画面を見つめた。


 今なら、言える。


『よかったら、一緒に過ごさないか』


 送信。


 返事が来るまで、コーヒーが冷めていくことにも気づかなかった。


『えっ!』


 続けて、もう一通。


『朔夜とクリスマスイブ!?』


「……そうなるよな」


 俺は額に手を当てた。


 やはり、急すぎただろうか。


 すると、画面が再び明るくなった。


『嬉しい! 一緒に過ごしたい!』


 俺は息を吐いた。


 いつの間にか、息を止めていたらしい。


『ありがとう。俺も嬉しい』


『何しようね!』


『それは、これから考えよう』


『うん! 楽しみ!』


 俺はスマートフォンを置き、窓の外を見た。


 さっきまでと同じ冬の空だった。


 それなのに、少しだけ違って見えた。


     *


 午後一時四十七分。


 俺は梅田の街を歩いていた。


 クリスマスの飾りが、あちこちに並んでいる。


 赤いリボン。


 金色の星。


 小さなツリー。


 どれも、これまでなら足を止めずに通り過ぎていたものだった。


 今日は違った。


 みくが見たら、何と言うだろう。


 そんなことばかり考えていた。


 ショーウィンドウに、小さな雪の結晶の飾りがあった。


 その隣には、手のひらほどの白い箱が並んでいる。


 俺は足を止めた。


 贈り物。


 そういえば、何も用意していない。


「……何がいいんだ」


 独り言を呟いて、すぐに口を閉じる。


 彼女の好きなものを、俺は少しずつ知っている。


 温かい飲み物。


 美味しいもの。


 一緒に歩く時間。


 けれど、何かを贈るとなると、途端に分からなくなる。


 高価なものを渡せば、気を遣わせてしまうかもしれない。


 何も渡さなければ、少し寂しい気もする。


 俺は店に入らず、もう少し歩くことにした。


 焦って決めるより、彼女の笑顔を思い浮かべながら選びたかった。


     *


 午後三時二十一分。


 中之島へ向かう途中、小さな雑貨店を見つけた。


 入口には、冬の贈り物を集めた棚が置かれている。


 マグカップやハンカチ、小さな飾り。


 その中に、淡い色の手袋があった。


 俺は思わず手を伸ばしかけた。


 十二月十一日。


 みくと初めて手をつないだ夜。


 彼女の指先は、少し冷たかった。


 握っているうちに温かくなって、俺はそれが嬉しかった。


 今でも、はっきり覚えている。


「……手袋、か」


 それなら、冬の間ずっと使える。


 ただ、サイズも好みも分からない。


 俺は一度、手袋を棚に戻した。


 彼女のために選びたい。


 だからこそ、勝手に決めてしまいたくなかった。


 代わりに、小さなカードを一枚買った。


 雪の結晶が描かれた、白いカードだった。


 裏側には、短い言葉を書ける余白がある。


 それを見た瞬間、胸の奥に静かな考えが浮かんだ。


 手紙とは別に。


 今、彼女に渡せる言葉を書こう。


 まだ言えない気持ちではなく。


 今、ちゃんと伝えられる気持ちを。


     *


 午後五時六分。


 街の明かりが灯り始めたころ、みくから電話がかかってきた。


 俺は少し驚いて、通話ボタンを押した。


「……もしもし」


『朔夜! 今、大丈夫?』


「ああ。どうした?」


『クリスマスのこと、考えてたんだけどね』


 声が弾んでいた。


『お家で何か作るのもいいし、イルミネーション見るのもいいなって!』


「……どっちも楽しそうだな」


『でしょ!』


 彼女が笑う。


 俺は歩道の端に寄り、足を止めた。


「みくは、どっちがいい?」


『うーん……』


 少しの沈黙。


『朔夜は?』


「俺か?」


『うん。朔夜がしたいことも聞きたい』


 その言葉に、胸が温かくなった。


 俺は、しばらく考えた。


 彼女と一緒に料理をするのも好きだ。


 街を歩いて、同じ景色を見るのも好きだ。


 どちらかを選ぶ必要があるのだろうか。


「……両方じゃ、駄目か?」


『え?』


「少し街を歩いてから、うちで何か作る」


 電話の向こうで、みくが小さく息をのんだ。


「……疲れるなら、無理はしなくていい」


『ううん!』


 すぐに返事が返ってきた。


『それ、すごくいい!』


「……そうか」


『じゃあ、決まりだね!』


「ああ」


『ねえ、朔夜』


「何だ?」


『今年のクリスマス、楽しみだね』


 俺は、灯り始めた街を見上げた。


 行き交う人々。


 冷たい風。


 遠くから聞こえる、誰かの笑い声。


 そのすべてが、今は少しだけ特別だった。


「……ああ。楽しみだ」


 そう答えると、みくが嬉しそうに笑った。


     *


 午後八時三十九分。


 帰宅して、机の引き出しを開けた。


 一通目。


 二通目。


 そして、先週の日曜日に書いた三通目。


 十二月十二日。


 初めて手をつないだ翌日。


 あの日の気持ちを、便箋に残した。


 俺は三通の封筒を指先で揃えた。


 今夜は、新しい手紙を書かなかった。


 代わりに、昼間買った白いカードを取り出した。


 雪の結晶が描かれた、小さなカード。


 俺はペンを持った。


 何を書けばいいのか、もう迷わなかった。


『みくへ。


 今年のクリスマスを、一緒に過ごしてくれてありがとう。


 まだ当日じゃないけれど、今から楽しみにしている。


 寒い日になると思うから、暖かくして来いよ。


 朔夜より。』


 書き終えて、少し笑った。


 まるで、いつものメッセージみたいだ。


 けれど、それでよかった。


 大げさな言葉は、まだ必要ない。


 彼女に渡せるものを、彼女に渡せる言葉で。


 俺はカードを封筒に入れた。


 三通の手紙とは、別の場所に置く。


 これは、隠しておくための手紙ではない。


 クリスマスの日に、彼女へ渡すためのものだ。


 スマートフォンが震えた。


『朔夜、24日って何時に会う?』


 俺は少し考えた。


『午後三時はどうだ?』


『いいよ!』


『待ち合わせ場所は、また連絡する』


『うん! おやすみ、朔夜!』


『おやすみ、みく』


 送信して、画面を伏せる。


 俺は机の上の小さな封筒を見つめた。


 来週、これを渡す。


 きっと、少し緊張するだろう。


 彼女の顔をまともに見られないかもしれない。


 それでも。


 ありがとうと、伝えたい。


 君と過ごす、初めてのクリスマス。


 特別なことができなくてもいい。


 豪華な贈り物がなくてもいい。


 同じ景色を見て。


 同じ食卓を囲んで。


 帰り道に、また手をつなげたら。


 それだけで、きっと忘れられない一日になる。


 俺は、そう信じていた。

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