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海辺の宿で、もう一度 ~大人の隠れ家みつけました~  作者: 月浦


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2/4

海辺の宿、海月屋

日が沈んだ直後の薄明かりが残っている時間だ。

今なら周囲の状況を確認できる。


海岸線は岩場が続いている。

陸地側は草木の生えた崖になっている。


(どうする?このままこの場所に留まるか?)


波が磯にぶつかってしぶきを上げる。

海が荒れているわけではないのだろう。

それでも不安を掻き立てるには十分なほど、波が砕ける音は激しかった。


海面に落ちた瞬間に、どこか別の場所に飛ばされたのだとしたら、この場所は特別なのかもしれない。

離れないほうが良いという考えが頭に浮かぶ。


しかし、今よりも潮が満ちてきたり、海が荒れたりしたら磯場は危険だ。

それにこの磯はかなりゴツゴツしている。

座って休むこともままならないだろう。


それなら崖の上によじ登って休憩する場所を探すか?

この場所から離れずに済むのがいい。

でも草木が茂っているので虫やヘビなど不快な生き物がいるかもしれない。


それとも岩場を歩いて砂浜や崖のない場所を探すか?

これが一番現実的に思える。

でも、再び戻って来られるのだろうか?


何か目印になるものはないか、もう一度周囲を見回した。

この場所は周囲の岩場より一段高くなっているが、それだけだ。

目印になるようなものはない。


その時になってようやく俺は釣り竿を握りしめていることに気がついた。


そうだ、持ち物は?

ズボンのポケットを弄る。

財布

スマホ

車のキー

ハンカチ

糸切り用の小さなハサミ

これが持ち物のすべてだった。


なんでスマホのことを忘れていたのだろう?

スマホの地図アプリで現在地を確認すればいいじゃないか!


震える手でスマホのロック画面を解除する。


圏外……


一瞬思考が停止しかけるが、なんとか踏みとどまった。

先程よりも更に暗くなってきた。

急いだほうがいい!


まずは目印をなんとかして、一刻も早くここを離れよう。


波を被っても問題ない目印が良いだろう。

釣り竿の先についているルアーを、糸を残して切り離し、その糸を岩場の突起に結びつけた。


いったん崖のほうへ向かった。

移動するのに片手は空けておきたい。

釣り竿は持っていけない。

少し高い場所の木の枝に糸を結びつけて、釣り竿を隠した。


それからスマホのライトを頼りに岩場を歩き出した。

岩場と岩場の間は飛び越えられる程度の幅であり、問題なく先に進めた。


しかし、30分ほど進むと5メートルほどの高さのある大岩が立ちはだかった。


意を決してスマホをポケットに入れ、大岩をよじ登り始めた。

大岩の表面はかなりざらついており、手に切り傷が増えていった。


それでもなんとかてっぺんまで登り切ることができた。

そして、そのてっぺんからは左にえぐりこむように広がる内湾と湾奥に点在する灯りが見えた。


(良かった)


思ったよりもすぐに人里に出られそうなことに俺は安堵した。


大岩を下りるのは、登るよりも大変だった。

滑り落ちそうになる度、必死にしがみついて支えた。

お陰で手のひらの傷は更に増え、血が滲んできた。


それでも大岩を下りると、足場も良くなり、随分と歩きやすくなった。

歩調を早めて歩き続けるとついに岩場が途切れ、大きな丸石が転がるゴロタ場になった。


ゴロタ場は足が取られる分、岩場よりも歩きづらい。

数十メートルも進むと疲れを感じ、立ち止まって息を吐いた。


まだ湾奥の灯りまでは数百メートルはありそうだ。


空を仰ぐと零れ落ちそうなほどの星空が見えた。

こんな状況でなければ、満天の星空に感動したのかもしれない。

しかし、月のない夜には明るくて助かるという感想しかなかった。


夜空から視線を戻したとき、視界の端にかすかな光が見えた気がした。

周囲を見渡してみると崖の中腹あたりに、木々に隠れるようにして灯りが一つ見えた。

湾奥の灯りを目指して歩いていたが、途中で見つけた別の灯りに俺は飛びついた。


灯りに導かれるように崖下まで近づいた。

見上げてみると、それほど傾斜はきつくなさそうだ。

これなら問題なく登れそうだ。


草木をかき分けて斜面をひたすら登る。

やがて踊り場のように平坦な空間に出た。


その空間の中心には昔話に出てきそうな古民家のような建物があった。

灯りに近づいてみるとそれは入口の横に置かれた行灯だった。


行灯には「海月屋」と書かれていた。


また、行灯の少し上には見間違えようのない温泉マークが描かれた木製看板が掲げられていた。


スマホで時間を確認すると20時を過ぎていた。

まだそんなに遅い時間じゃないから迷惑ではないはずだ。


少し勇気を出して扉を叩く。

「トントントン」

3回扉を叩いて反応を待つ。


数回繰り返しても反応がない……。


思い切って扉に手を掛けてみる。

ズズズッと音を立てて扉が動く。


中には提灯が一つ壁に掛けてあり、温かみを感じる光に包まれた。


「すみませーん」


反応がない。


もう少し大きな声を出す。


「すみませーん!」


今度は声が届いたのだろう。

奥でなにやら物音がし、小走りの足音が聞こえてきた。


姿を現したのは、色あせた小袖に前掛けをつけた、とても小柄な女性だった。


妙に落ち着いた大人の雰囲気のある女性だ。


「いらっしゃいませ。本日はどうされましたか」

少し呆然としていた俺に、笑顔で問いかけてくれた。


「あの、ここは宿泊できますか」

少し焦って答える俺。


「ええ、もちろんお部屋はご用意できます」

丁寧に答えてくれる彼女。


「支払いはカード使えますか」

最近は現金で決済することがほとんどなく、財布には現金が数千円しか入っていない。

内心ビクビクしながら尋ねた。


「申し訳ございません。

このような田舎ではギルドカードでのお支払いができる店はないかと存じます」

やや俯きがちに、申し訳なさそうに答えてくれた。


「……ギルドカード?じゃあ一泊おいくらですか?」

聞き慣れないカード名に戸惑ったが、現金オンリーなのは分かった。


(たのむ所持金で足りますように……)


「はい、食事付きで一泊大銅貨七枚、素泊まりで大銅貨四枚となっております」


(銅貨?10円玉のこと?)


俺は混乱したまま財布を取り出して小銭入れのファスナーを開けた。

中から10円玉を取り出し彼女に見せた。


「大銅貨ってこれじゃないですよね」

取り出した10円玉を彼女に手渡す。


彼女は一瞥してすぐに10円玉を俺に返した。


「お見受けするところ他国の小銅貨のようですね。申し訳ございません。

このような田舎の村では両替できるところはございませんよ」


会話に完全に行き詰まった。

彼女の言っていることは分かる。

でも全く理解できない。


思考停止状態で俺が立ち尽くしていると


「お連れの方はいらっしゃらないのですか」と問いかけてきた。


「ええ、俺一人ですよ」


「この街にはどのようなご要件でお越しになられたのですか」


「いや、その…道に迷いまして……」


(こいつ怪しい奴だって思われてるよな。それにこれ以上は迷惑になる。野宿できる場所を探そう)

そう俺が内心で決意していると


「それはさぞお困りでしょう。お代は結構です。どうぞお泊まりくださいな」

なぜか安堵したような表情で、彼女はそう言った。


素直にありがたいと思えた。

少し救われた気持ちになった。

だから少し強がることができた。


「ありがとうございます。

お気持ちは大変うれしいのですが、ご迷惑になりますので……」


そう言って頭を深く下げた。

そして振り向いて入口の引き戸に右手を伸ばそうとした時、俺の左手が少しひんやりとした手に引かれた。


「お待ちください。どこかにアテはあるのですか」

心配が声に滲んでいるように感じられた。


「大丈夫です。なんとかなりますよ」


振り返らずにそう言って扉を開きかけると強く手を引かれた。


「そういうわけには参りません。

もし野宿にでもなれば危険です。

でしたら、この宿に野宿するとでもお考えくださいな」


俺のちっぽけな強がりは簡単に折れた。


開きかけた扉を再び閉めると、勢いよく振り返ってしまった。


その勢いのせいで、危うくぶつかりそうになった。

少しでも動いたら触れてしまいそうなほどの至近距離で、濃厚なバニラのような甘い香りがした。


俺はただ立ち尽くすことしかできなかった。

彼女の香りに包まれ、俺はフワフワと漂うような心持ちになっていた。


突然、勢いよく入口の引き戸が開け放たれた。


慌てて振り返ると、そこには背の低い男が立っていた。

小汚い身なりに浅黒く日に焼けた皮膚。

男から漂ってくる生臭い匂いが彼女の甘い匂いを上書きしていった。


「なんだよー。一番乗りはおいらだと思ったのによ。

へっへっへ、お楽しみは今度にすっか。またな、ぼたん!」


牡丹さんが少し震えたような気がした。


男はあっけに取られている俺を一瞥すると、バタンと大きな音を立てて扉を閉め、そのまま去っていった。


男に向いていた意識が再び彼女の元に戻る。

彼女は掴んだ俺の左手を見ていた。


「随分と傷だらけではありませんか。

まあ、たいへん!

すぐに手当しましょう!

うちには切り傷の治療にはちょうどよい場所があるんですよ。

さあさあ、参りましょう!」


彼女は俺の手を離すと、玄関の隅に置いてあった草履を履き、壁に掛けてあった提灯を手に取ると扉を開けて外に出た。


少しあっけに取られたものの、俺もすぐ後を追って外に出る。

彼女が消したのだろう。

入口横の行灯の灯りは消えていた。


光源は彼女の持つ提灯だけになっている。


「暗いですから足元に気をつけてくださいな」


そう言うと彼女は俺の横に並んで、俺の足元を照らすように提灯を傾けて歩き出した。

彼女の歩調に合わせて隣を歩く。

宿の脇を抜けて裏手に回ると立ち止まった。

道は更に奥へと続いている。


「ここから先は私の後に付いてきてください」


俺は頷いた。

しかし、歩き出そうとする彼女に気になっていた言葉を投げかけた。


「あの…お名前、ぼたんさんって言うんですね」


立ち止まり、首をかしげて話を聞いていた彼女は、途端に申し訳なさそうな表情になる。


「これは申し遅れました。

確かに私の名前はぼたんです。

花の名前と同じ牡丹と言います」


花の名前というところで少しはにかんだ牡丹。


(なにか名前に思うところでもあるのかな)


それよりもまずは俺も名乗らないと。


「あっ、俺は吉田です。吉田健一です。

縁起の良い”吉”に田んぼの”田”、

健康の”健”に漢数字の”一”です」


聞かれてもいないのに早口で漢字まで説明してしまった。


「まあまあ、ご丁寧に。

縁起の良い吉田様ですね。うふふふ…」


提灯一つの仄暗い闇の中でも、牡丹の笑顔は大輪の花のように艶やかだった。


奥に続く道を彼女の後について歩いた。

時折吹くそよ風が彼女の長い黒髪を揺らし、甘い匂いを俺の鼻に運んだ。

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