第7話
「お疲れさまです」
駐車場で然桜場先生に会った。
「足は治りました?」
「はい、もうすっかり。本当にありがとうございました。今度なにか奢らせてください」
桜場先生は少し考えてから言った。
「今日晩飯一緒に食べません?」
「え、今日ですか?」
「なんか用事あるなら別日でも」
桜場先生へのお礼はなるべく早くしたいと思っていた。でも今日は未奈たちの店に行く約束がある。
少し考えて言う。
「今から私の知り合いが経営してるお店に行くんですけど、桜場先生も来ますか?もちろん私の奢りで」
桜場先生は少しだけ嬉しそうに、私の思い上がりかもしれないけれど、そんな顔をした。
お店に入ると未奈が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「結衣!久しぶり!」
「久しぶりって2週間前に会ったじゃない」
「2週間でも寂しかったよ」
店の奥で料理する川西に手を上げて挨拶する。
「よっ、光島」
幼少期はかなりの弱虫でお調子者だったが、すっかり一家の主である。
近所に住む幼馴染3人組のうち2人が女だということに川西は小学校高学年で気付き、今までずっと"結衣”と呼んでいたのに、ある日突然"光島”と声を掛けられた時は驚いた。
こちらも気を遣って"川西”と呼ぶようにしたが、高校生になっても川西は未奈のことを”み一ちゃん”、未奈は川西のことを"泰ちゃん”と呼んでいた。
異性と線引きをしたい年頃に、好きな女子のことは遠ざけることのできない気弱な優しさを持っていたのがいかにも川西らしい。
「えーっと、どちら様?」
未奈が驚いた顔をこちらに向ける。
「あ、同じ病院で働いてる桜場先生。色々助けてもらったからお礼の食事」
「ほー!何を助けてくれたのかわからないけどありがとうございます!」
桜場先生はどうも、と小さく会釈する。
「あれ?どこかで私たち会ったことあります?」
「え、未奈と桜場先生面識あるの?」
「いや、何となく見覚えがある気がして....」
桜場先生はじっと未奈を見つけるも何も言わない。
「まっ、気のせいねきっと!それより何食べる?」
「いつもので。桜場先生は?」
「光島先生と同じものでお願いします」
「了解!お待ちください~」
2人でカウンターに並んで座る。
「メニュー確かめないで大丈夫でしたか?」
「大丈夫です。特にこだわりないので」
2人でカウンターに並んで座り、運ばれてきた料理に手を伸ばす。
メニューも確かめずに注文した桜場先生だったが、文句ひとつ言わずに黙々と箸を進めていた。
お水を飲む横顔を見つめると、長いまつ毛が伏線がちな目を静かに覆っている。
「桜場先生って、普段何食べてるんですか? 今日の昼もカフェテリアでうどん食べてましたよね」
「……何食べてるか、ですか。コンビニの弁当か、病院のうどんですね」
「それだけですか? 好きで食べてるわけじゃなくて?」
「栄養が摂れて、早く食べ終わるなら何でもいいので」
無駄を極限まで省いた彼らしい理由に、思わず苦笑いが漏れる。桜場先生は人に興味がないと思っていたが、何よりも自分自身に興味がないようだった。
「光島先生は休みの日、何食べてるんですか?」
「私はお好み焼きとかラーメンとか、ハンバーガーも大好きです! 美味しいもの食べてる時が一番幸せだなって思います」
「……食べ物の話でそこまで熱くなれるのは、羨ましいですね」
「桜場先生は、今までで一番幸せだと思ったことって何ですか?」
桜場先生はグラスの水滴を指先でぬぐいながら、ポツリと言った。
「……幸せとか、考えたこともないです。毎日生きるのに必死で、そんなこと考える余裕もなかったですし」
その言葉は冷たく突き放すようでもあり、どこか遠くを見つめる目は寂しげでもあった。
けれど、彼は少しだけ視線を下げて、小さく付け加えた。
「……でも」
「……?」
「こうやって温かい飯を食べてる時は、悪くないんじゃないですか」
あまりにも不器用で、彼らしい答えだった。思わずクスッと笑ってしまうと、桜場先生は「……意味がわかりません」と気まずそうに横を向いた。
そこへ、笑顔の未奈がジュースのグラスを持ってこちらへ歩み寄ってきた。
私の目の前にペラッとした紙が置かれる。
「なにこれ?」
「いいから見てみて」
言われるがまま紙を捲ると、そこに写っていたのはエコー写真。
「えっ……!? 本当に!?」
「うん! まだ初期なんだけど、泰ちゃんも大喜びでさ」
厨房の奥で川西がデレデレとした顔で大きく手を振っている。幼馴染の新しい命の誕生に、私の胸は温かい祝福の気持ちでいっぱいになった。
エコー写真を撫でる。既に愛おしい。今まで何度もエコー写真を見てきたが、こんな感情になったのは初めてだった。
「おめでとう、未奈、川西・・・」
涙を流しながらしばらく私と未奈は抱きしめ合った。
桜場先生も驚いたように目を丸くした後、「……おめでとうございます」と静かに頭を下げた。
しかし、その直後だった。
「あ……ごめん、ちょっと、クラッとする……」
未奈が急に顔色を失い、その場に崩れ落ちそうになった。
「未奈!? どうしたの!?」
「未奈!?」
厨房の川西が叫ぶが、店内は満席の客で溢れており、火を使っている川西はすぐには手を離せない。私がパニックになりかけたその瞬間、隣にいた桜場先生が素早く立ち上がり、未奈の肩をしっかりと支えた。
「光島先生、落ち着いて。脈を見ます……初期の脱水か、急激な血圧低下です」
桜場先生の声は驚くほど冷静で、通りがかった店員に「氷の入っていないお水とタオルの用意を」と素早く指示を出す。
「泰ちゃん、お店離れられないよね!? うち、ここから歩いて3分だから。未奈をうちで休ませるよ」
私が叫ぶと、桜場先生は迷いなく未奈を抱え上げるようにして支えた。
「行きましょう。僕が運ぶので、案内してください」
「桜場先生、すみません……! 」
申し訳なさそうに頭を下げる川西に「気にしないでください」と短く告げ、私たちは急いで私のマンションへと向かった。




