第5話
ブルルル、ブルルル。
バイブレーションの音で、私はハッと目を覚ました。
目を覚ます直前、いつも同じ夢を見る。
カンカンカン、と高らかに鳴り響く踏切の音。眩しい夏の太陽。
制服のシャツを少しはだけさせた傑くんが、自転車を押しながら振り返って笑っている。
『結衣、早くしないと置いてくよ』
追いつこうとして走り出した時、足がもつれて転ぶ。彼が心配そうに駆け寄ってくる。
『結衣、大丈夫?』
そう言って差し出された手を、私は掴むことができない。
次の瞬間、景色は真っ暗な手術室へと変わり、心電図のフラット音が耳をつんざく。
どんなに胸臓マッサージを続けても、彼の脈拍は戻らない。
『どうして救ってくれなかったの?』
傑くんの声が暗闇に溶けていき、私は息ができないほどの罪悪感で目を覚ますのだ。
——あの日から10年。私は今でも、あの夏に取り残されている。
「結衣、電話鳴ってるわよ」
ハルさんに揺さぶられて目を覚ます。寝ぼけた頭でスマホを取る。
『もしもし』
『本当にインターフォン壊れてるみたいですね。さっきから鳴らしてるんですけど聞こえてないですよね?』
桜場先生の低い声が響く。
『えっ?!もう家の前にいるんですか?』
『今着きました』
やばい。時計を見ると約束の7時半。また寝坊だ。
ハルさんを見ると優雅にトーストを食べている。
「結衣のも作ったわよ、早く食べなさい」
「あ、ありがとう」
足を引き摺りながら玄関に向かい扉を開ける。足はまだ痛むが昨日よりマシだ。
そこには桜場先生が立っていた。私の姿を見て少し驚いているのを見て、今自分が寝起き姿でいることを思い出して恥ずかしくなる。
「あ、えっと、寝坊しちゃって、今起きたので、すぐに準備します」
「取りたい物があるんでそれだけ取っていいですか?」
「桜場先生のお家なんですから当たり前です」
桜場先生が家に入る。慌てて洗面所に向かおうとするも、足が痛くて思わず顔を歪ませる。
「バカなんですか?時間あるんでゆっくり歩いてください」
桜場先生にピシャリと言われ、はい...と弱々しい返事をして洗面所に行き、顔を洗って歯磨きを済ませた。
リビングに戻ると目を見開いた桜場先生と目が合う。
「光島先生、こいつ何でいるんですか?」
「こいつとは失礼ね、ハルって呼びなさい」
「昨晩からですよ!」
「一緒に寝たんですか!?」
聞いたことのない桜場先生の大きな声に驚く。
「何か問題でも....?」
「いや、光島先生、あの、知らないかもしれないんですけどハルはこう見えて生物的には男...」
「もうとっくに女になりましたようだ!なにあんた嫉妬してんの?楽しい女子会だったわよね」
「うん!」
さあトースト食べ、と言われトーストに齧り付く。
「おいしい!桜場先生も食べますか?」
「大丈夫です」
そういえば出勤時に着て行く服がない。昨日着た服をもう一度着たら3日連続同じ服になってしまう。流石に常田先生に突っ込まれても言い訳できない。今日は本当に男性の家から出勤するわけだし。
「ハルさん、今日着て行く服がなくてお洋服貸してくれませんか?」
「いいよ~あたしセンスいいでしよ」
「オシャレです!」
「あんたそれより手大丈夫?」
まだズキズキと多少痛むが平気だった。
「怪我したんですか?」
桜場先生が私の手を取る。手が熱くなるのを感じた。
「....後で病院で薬出します」
「ありがとうございます」
食べ終わってハルさんから着替えを借りる。
「ちょっと智喜、気が利かないわね!レディーが着替えるんだから部屋出てってよ!」
「お前も出てけよ」
「私はレディー!」
バーンとハルさんが勢いよくドアを閉めて桜場先生が追い出される。慌てて着替えて通勤バッグを掴む。
「ハルさん、色々ありがとうございました!桜場先生にお洋服渡しますね」
「はいはい!仕事頑張って結衣!」
部屋を出ると玄関先に不機嫌そうな桜場先生が立っている。怒っているだろうか。
「待たせてしまってごめんなさい」
「いえ、行きましょう」
助手席に乗り込んだ。
「まさかハルが来るとは思わず...すみません」
「いえ、最初はびっくりしましたけどハルさんのおかげで楽しく過ごせました」
「ならよかったです」
「中学の同級生なんですよね?」
「はい。高校は違いますけど。あいつなんか変なこと言ってませんでした?」
「親友だって言ってましたよ。見放さないでいてくれたって」
「そんな大した友情じゃありませんよ。ただお互い居場所がなかっただけです」
照れ隠しとも取れる発言だったが、そう言う桜場先生はどこか寂しそうで、それ以上のことは聞かなかった。
「来週の学会までに足の痛みが引くといいですね」
来週、静岡で学会がある。私は聞くだけだが、桜場先生は発表をするはずだ。こんな足を引きずっていくわけにはいかないので、何とか治さなければ。
「マンションに問い合わせたら、今日の昼間の工事でエレベーター直るみたいです」
いつまでも迷惑をかけるわけにはいかない。
そう伝えると、桜場先生はフロントガラスを見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……よかったです。あいつがいつまで俺の家に居座るか分かりませんし、光島先生まで巻き込まれたら溜まったもんじゃない」
信号待ちで止まった車内で、桜場先生は少しだけハンドルを握る手を緩める。
「……まあ、昨日の夜、一人で暖房の壊れた部屋で凍えてるよりはマシでしたけど」
「凍えてないですよ!ブランケットありましたし!」
「あれ一枚で真冬を越せるなら、救命医やめて極地探検隊にでもなった方がいいですよ」
「なっ……!」
相変わらず一言多い。けれど、横顔を覗き込むと、彼の唇の端がほんの少しだけ緩んでいるように見えた。
「……とにかく、今日はまだ無理して歩かないでください。学会までに治らなかったら荷物持ちさせますから」
「はいはい。ありがとうございます、桜場先生」
赤信号が青に変わり、車が静かに走り出す。
車内を満たす静寂が、今朝までのバタバタとは対照的に心地いい。
彼の優しさに触れるたび、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、私は流れていく街並みを眺めていた。




