第17話
「俺の母親はどうしようもない人なんだ。元々父親の浮気相手で、父親が他の相手と結婚が決まったのが許せなくて…。2人の結婚を阻止するために、俺を作った」
公園のベンチに2人腰掛けている。
そよ風が涼しい中、流れる空気は重く、その割に智喜の口調は淡々としていた。
「父親は大金を払って子どもを堕ろさせようとしたけど、母親は強行突破して俺を産んだ。そこに愛情なんかこれっぽっちもない。母親は父親のことも大して愛してなかったと思う。結局金が全てで、自分のものだと思ってた人が他人に取られるのが許せなかったんだ」
隣に座っているのに、すぐ近くにいるのに、智喜がすごく遠くに感じる。
「でも浮気相手の妊娠を知っても彼女は動じずに、そのまま親父と結婚した。数ヶ月後その彼女も妊娠して、俺の母親には大金を払う代わりに二度と姿を現さないよう誓約書を書かせて、桜場傑が親父の”待望の第一子”になった」
町中の憧れの家庭、なはずだった桜場家の裏の顔。
智喜が、第一子なはずなのに。
祝福されて生まれてくるはずだったのに。
「俺が生まれてからも母親は男を取っ替え引っ替えして、町を転々として。小さい頃から、金をせびりに母親に頼まれて親父のところに行かされてたから、桜場傑の存在は一方的に知ってた」
「傑くんは智喜のこと、兄弟だって…?」
「知らない」
“早瀬!”と無邪気に智喜を呼ぶ傑くんを頭に浮かべる。
「時々見に来てたんだ。最初はただの興味本位で、血が繋がった弟がどんなふうに過ごしてるのか気になって。自分は愛されてるって、信じて疑わないような顔してるなって思ってた。傑のことが、ずっと嫌いだった」
“嫌い”、その3文字が心に重くのしかかる。
少しの沈黙の後、決心したように智喜はまた口を開いた。
「高校生の頃、この家から跡をつけて、達野高校に通ってるって知った。その頃母親はまた懲りずに男に入れ込んで、隣町のアパートに引っ越したから、これはチャンスだと思って、猛勉強して同じ高校に転校した」
思わず横にいる智喜の方を見るが、智喜はどこか遠くを見ていて、目線が交わることはない。
「傑のことが羨ましくて、嫉妬してて、大嫌いで。でもずっと、近付きたくてたまらなかった」
傑くんのことを頑なに“桜場”と呼ぶ智喜が、いつのまにか“傑”と口にしていることを、彼は多分気付いていない。
「俺にとって母親も親父も敵で、家族じゃなかった。だから多分、俺は、傑なら俺の気持ち分かってくれるかもしれない、たった1人の家族になってくれるかもしれないって。そう思ってたんだと思う」
たった1人の家族になってくれる──。
その言葉は寂しくて、切ない。
「転校初日、転校生だからって理由で目をつけられて、帰る途中、不良に絡まれたんだ。人気のない道で殴られた。そこに、傑はたまたま居合わせた。けど俺を見捨ててあいつは逃げたんだ」
「逃げたって…」
「巻き込まれると思って怖かったんだろ。走って逃げた。俺と目が合ったのに。助けてって、言ったのに」
智喜の拳に力が入る。
「傑からしたら、ただの見知らぬ転校生なんだから助けないのも仕方ないって今なら思う。けど当時の俺は絶望して、諦めて、その日から高校には行かなくなった」
転校初日以降、学校には来ず、喧嘩ばかりしている不良。
それが私が早瀬智喜について知っていること。
「もうこれ以上、隠し事したくないから言うけど…」
智喜は優しい顔をして私を見た。
「その日、光島に会って、傷の手当てしてもらったんだ。覚えてないだろ」
「私が…?」
思いがけない言葉に心臓が飛び跳ねる。
タイムスリップ初日の会話を思い出す。
『実は初めて病院に光島先生が来た日から気付いてました。同じ高校だった、光島結衣だって』
『どうして言わなかったんですか?』
『覚えてないみたいだったし、俺のことを認識してないだろうと思って』
『話したことあるってことですか?高校時代に?』
『1回だけですけどね。忘れてても無理もないです』
その1回が、転校初日の出来事だったというのか。
記憶を辿るが、思い出せない。
顔に出てたのか、智喜は可笑しそうに笑う。
「思い出そうとしなくていい。ただ、感謝してる。あの時光島が手当てしてくれてなかったら─」
智喜はその言葉の続きを言わなかった。
「その時、光島は悩ましそうに言ってた。片思いの子がいるけど、踏み出せないって。今と変わらずボーッと生きてる感じだったな、確か」
「なっ…!」
智喜は私の反応を見て笑うけど、その笑顔に力がないことなんて、すぐに分かる。
「これが俺の誰にも言ってない秘密。あと光島に言ってないことは…あ、俺が桜場智喜になった理由とか」
軽い口調で言って誤魔化してる。
どうしてまたそうやって強がるの…?
ふぅ、と息を吐いて智喜は続ける。
「もう大体今の話から想像つくだろ」
「親権がお父さんにうつったの…?」
「そんな綺麗な話じゃないけどな。…傑が死んだ後、親父の病院を継ぐ跡取り息子がいなくなったから、代わりに俺を引き取って医学部に入れたんだ」
傑くんが亡くなった後、傑くんのお母さんは地方の実家に戻り、大きな家には傑くんのお父さん1人が取り残されたと聞いた。
傑くんの死で心が病んでしまっただの、その結果2人が離婚するだの噂になったのを覚えている。
「母親はようやく親父が自分の方を見てくれたって大喜びでさ。大金に靡いてなんの躊躇もなく親父に親権を譲った。俺は親父に言われる通り医学部に入って医者になった。本当に、どいつもこいつも気持ち悪いだろ」
どいつもこいつも──。
その中に、まるで自分自身も入っているような言い方だった。
「もう十分か?これ以上隠してることはない」
智喜は立ち上がって歩き出そうとする。
「あ、待って…」
追いかけようとして足が絡れ、バランスを崩す。
転びそうになったところを、智喜に抱きとめられる。
「わっ…!ありがとう」
さっきも思ったけど、智喜ガリガリだ…。
「ねぇ、ちゃんとご飯食べてる?医者なら分かるよね、身体仕事しててご飯食べなかったら栄養失調で…」
智喜は迷惑そうに耳を塞ぐ。
「大げさなんだよ、光島は」
その言葉に立ち止まる。
私が急に立ち止まったので、智喜は不思議そうにこちらを見る。
「どうした?」
『大げさなんだよ』
そして迷惑そうに耳を塞ぐ仕草。
頭に何度も今のシーンが反芻する。
滝のように、当時の記憶が流れ込んでくる。
涙が止まらない。
「どうした?光島」
心配そうに覗き込む智喜は覗き込んでくる。
「…思い出したの、全部」




