第16話
「中間テスト嫌だなぁ」
未奈の声に頷く。
全く同じ気持ちだった。
テストなんて何年ぶりだろう…。
「私次のテストで下から50番目以内だったらお小遣いストップされちゃうんだ」
デジャヴだ。
なぜかすごく記憶に残っている。
確か未奈は日本史でひどい点数を取って、それに足を引っ張られて下位50位となり、お小遣いがストップ。
そこから期末テストまで、苦しい期間を過ごしていた。
「日本史重点的にやった方がいいよ」
「日本史?頭いい結衣が言うなら間違い無いね。勉強してみる」
「正確に言うなら頭がよかっ”た”、だけどね…」
「え?なんか言った?」
「ううん、なんでもない」
未奈、あなたのお小遣いを守るために私もできるだけのことはやったわ…。
あとは勉強頑張ってくれ…!
祈るように未奈を見つめながら廊下を歩いていると猫背の智喜を見つける。
「智喜、体調はもう大丈夫?」
休み時間、廊下ですれ違いざまに声をかけると、智喜はほんの少しだけ口角を上げた。
「ああ。親父さんたちにもよろしく言っておいてくれ」
「うん、伝えるね。あ、今日の放課後も自習室行く? 傑くんも誘って」
私の言葉に、智喜は首を横に振った。
「いや、今日はいい。ちょっと用事があるから」
「用事……? バイト?」
「……まあ、そんなところ。じゃあな」
ひらひらと手を振って教室に戻っていく智喜の背中を見つめながら、胸の奥で嫌なざわめきが広がっていくのを感じた。
「用事」と言う時の、あのどこか遠くを見るような、冷たく澄んだ瞳。
昨夜彼が言っていた『学費の当てはある』という言葉が、頭の中でこびりついて離れなかった。
智喜は一体、どこで学費を得ようとしているんだろう。
嫌な予感が拭えず、私は放課後、校門を出て一人で歩き出す智喜の後を、周囲に気づかれないように追った。
電車に乗り、数駅行ってから降りて、少し高級感のある閑静な住宅街へと入っていく。
智喜は迷いのない足取りで立ち並ぶ一戸建ての合間を縫い、とある立派な邸宅の前で足を止めた。
表札を見上げる智喜の拳が、ぎゅっと白くなるほど強く握りしめられている。
ここはどこ…?
嫌な予感が止まらず、汗がじんわりと滲む。
私は角の電柱の影に身を隠し、息を殺して様子を伺った。
智喜は深く息を吐き出すと、決意を固めたようにインターホンを押した。
しばらくして、玄関の重厚なドアが開き、中から一人の男性が出てくる。スーツを着た、50代手前のガッチリとした体格の男性だ。
その男性の顔が見えた瞬間、私の息が止まった。
見間違うはずがない。
何度も見かけたことのある顔。そして、傑によく似た目元。
この町では有名な名医。
傑くんの……お父さん……!?
頭の中が真っ白になった。
なんで智喜が、傑くんのお父さんの家にいるの?
なんで智喜は、傑くんのお父さんに向かって、拳を震わせながらそこに立っているの?
混乱する頭の中で、過去の記憶が怒涛のように駆け巡る。
10年後のお墓で、傑くんのお母さんが桜場先生に向かって叫んでいた暴言。
高校時代は「早瀬智喜」だった彼が、大人になって「桜場智喜」になっていたこと。
「学校に行かず働け」と言い放った、派手な格好をした智喜のお母さん。
傑くんと、智喜の、どこか似ている背格好——。
バラバラだったパズルのピースが、一気に嵌まっていく。
「…お父さん」
智喜の声は震えていた。
智喜と、傑くんは……同じ父親を持つ、異母兄弟だというのか?
「何しに来た」
低い声が響く。息子と話していると思えないほど、その声は冷たかった。
「傑と同じ制服じゃないか。わざわざ引っ越してまで、同じ高校に転校したのか。相変わらず大層な執着心だ。傑に近付いて何のつもりだ」
智喜は頭を下げた。その顔は歪んでいる。
「…学費を貸してください。大人になったら、絶対返します。傑には、俺の存在を知られないようにしますから」
思わず口を押さえる。そうでもしなければ、今にも叫び出してしまいそうだった。涙がポロポロと溢れ出る。
「養育費は十分な額払ってる。母親が使ってるんだろ」
「バイトもしてるけど、足りなくて…」
「お前ら親子は金に関する時だけ俺の前に現れる。都合のいい時だけそうやって遜るのもそっくりだ。その度に金を渡してるのに、まだ足りないって言うのか」
智喜がどれほどの屈辱とプライドを押し殺して、あの場所に立っているのか。
『今、楽しいんだ。お前たちがいて……普通に学校通って、卒業したいんだ』
昨夜の智喜の声が脳裏に蘇り、胸が引きちぎれるほど痛む。
智喜を傷つけないで。
「もう帰ってくれ」
バタン、と門が閉まる。
智喜は力無く歩き出した。
衝動的に追いかける。
腕を掴むと、振り返ってこちらを見る智喜の目に光はなかった。
「また盗み聞きか」
「嫌な予感がしたから…」
「聞いてただろ。放っておいてくれ」
「でも私…」
「今は1人になりたいんだ」
1人にならないで。
1人になっちゃダメ。
「どうしていつもそうやって…。私は智喜の力になりたいのに、どうして頼ってくれないの?」
「光島に何ができるんだよ。関係ないだろ」
鋭利な言葉がナイフとなって胸に刺さる。
痛かった。
けれど智喜はその何倍も、痛い思いをしてるはずだ。
「そうやっていつも突き放す。自分は大丈夫なフリをする」
「…鬱陶しいんだよ」
智喜のそんな大きな声を今まで聞いたことはなかった。
「俺の人生の中で高校時代なんて最悪なんだよ。記憶から消し去りたくてたまんないのに、こんな所にタイムスリップして…」
今にも壊れそうな細い身体を抱き締める。
こんなに痩せ細っていたんだと、初めて身体に触れたことで知る。
智喜の肩が涙で震えているのに、気付かないフリをした。
「…元の世界に戻りたい」
屈強で寡黙な男が初めて漏らした弱音も、何もしてやれない無力な自分も全部まるごと、抱き締めた。




