第14話
「光島、ちょっと最近気が緩んでるんじゃないか?高2の頃はこんな点数取ってなかっただろ」
「はい…すみません」
「謝ることじゃないんだよ。俺は光島に夢叶えて欲しいんだ。なんか悩みでもあんのか?」
「いえ…特にそういうわけではないです」
「今が頑張り時だぞ。悩みがあったらなんでも俺に言ってくれ。1人で抱え込まず、周囲の大人を頼れ。分かったか?」
「はい…ありがとうございます」
熊谷先生…。
悩みはあります…。
10年前に戻ってからもう1ヶ月が経った。一向に元に戻る気配がないんです…。
そんなこと言っても信じてもらえないだろうな。
32点と書かれた物理の小テストを手に職員室を離れる。
昼休みに先生に呼び出されて説教だなんて学生時代一度もされたことなかったのに…。
優等生キャラなはずが…。
落ち込みながら教室まで歩いていると、自販機で缶コーヒーを買う智喜を見つける。
飄々とした顔でコーヒーを飲みながら廊下を歩いている。
…そんな渋い高校生なかなかいないって。
後ろから追いついて話しかけようとしたその時。
「早瀬くん…!」
可愛らしい女子が智喜を呼び止めた。
「なに?」
「これ…週末福岡行った時のお土産、よかったら」
女子が手渡したものを智喜は不思議そうに受け取る。
「ありがとう」
女子はモジモジして何か言いたげだ。
「あの…早瀬くんともっと仲良くなりたくて、時々話しかけに来てもいい…?」
かわいいなぁ。
私が思わず相手の女子に恋に落ちてしまいそうなほどのかわいさだ。
智喜は動じることなく、表情を変えない。
「いいけど」
いいけど、じゃないでしょうが!
もっとなんか言ってあげなさいよ。
女子とわかれて歩き出した智喜が私の存在に気付いた。ニヤリと口角を上げている。
「熊に説教された?」
「はぁ…」
ため息が漏れる。
「最近気が緩んでるんじゃないかって」
「なんだそれ」
智喜がクシャリと笑う。
こっちに来て1ヶ月。
毎日のように接しているうちに、智喜はより一層柔らかくなった。
「いいよねぇ、智喜は。毎回小テスト満点だし」
タイムスリップした私が勉強に苦労する一方で、智喜はいつもの如く飄々と難題をクリアしていっている。
医師としての腕はピカイチだったし、出身大学は知らないけど頭が良さそうだったから、特に驚きはない。
けれどあの”早瀬智喜”がここまで優秀だとは知らなかった。
結局始業式の日に退学することはなく、智喜は毎日学校に通っている。
「逆に怖がられてるけどな、キャラ変だって」
学校一の不良が毎日学校に来て授業を受け、上位の成績を取っていることに生徒はもちろん、教師陣は驚きを隠せないようで、一気に注目の的だ。
優等生とまではいかないが、不良少年の面影はなくむしろその大人びた様子に、本物の不良たちは拍子抜けしたのか、特に最近争いごとも起きてないらしい。
あの始業式の日、智喜に詰め寄って暴言を吐いた彼の母親のことを、私は触れないでいる。
智喜もその話はしない。
彼が高校を辞めずに登校し続けている理由は聞いたことがないが、きっと、彼にとってここが居心地のいい空間になっているのだろう。
毎日バイトには行っているようだけど、学費だとかそういった込み入った話は私も智喜も避けている話題だった。
教室に戻って、午後の授業が始まる。
熱血教師の“熊”こと熊谷先生が黒板を叩きながら叫んでいる声も、今の私には心地いいBGMのように聞こえていた。
自習室で勉強した成果がさっぱり出ない……高校の物理、難しすぎる……
目の前の智喜は机に突っ伏して寝息をたてているので、非常に見晴らしが良い。
最近授業中ずっと寝てるな…。
さっきもコーヒー飲んでたのに。
夜遅くまでバイトしてるのかな…。
智喜は弱音を吐かない。というか、自分の話をほとんどしない。こちらから質問したらなんだかんだ答えてはくれるが、決して聞かれた以上のことは話さない。
でも10年前学費が払えなくて退学するほどだったのだから、今学校に通っているということは、その分多くの時間働いているということだろう。
なんか私にできること、あるかな。
そんなことを考えながら授業で先生の言っていることが理解できず、頭を使うことに疲れて机に突っ伏す。
後ろの席の傑くんが先生に当てられ、前に出て黒板に書き込んだあと、自席に戻る途中でコツンと私の机の端に小さな紙切れを置いた。
顔を上げると、後ろの席の傑くんが左手でシッシッと手を振っている。
そっと紙切れを開いてみると、そこにはノートの端を破った雑な紙に、丸っこい文字でこう書かれていた。
『結衣、今日放課後アイスおごるから付き合って! 』
思わずクスッと笑いが漏れそうになる。
授業中に手紙を回すなんて、一体いつ以来だろう。
授業が終わると傑くんが近づいて来て無邪気な笑顔を向けてきた。
「ね、行くでしょ?」
「っ……!」
ふいに近づいた顔。瑞々しくて、男の子らしさと少年っぽさが同居した大きな瞳。
思わず心臓が跳ね上がる。
「傑くん、顔近い……!」
「照れてるの?」
ニシシと笑う傑くんの姿に、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
目の前で生きている。私に話しかけて、笑いかけてくれている。
大人になった私にとって、傑くんはもう二度と触れられない「過去の人」だったのに。今、こうして手を伸ばせば届く距離に彼がいる。
嬉しさと同時に、切ない痛みが胸を突き刺す。私たちはいつ未来に戻ってしまうかわからない。戻ってしまったら、また傑くんのいない世界になってしまう。この瑞々しい笑顔を、私はいつまで見つめていられるんだろう。
放課後。
私は傑くんに引っ張られて、校門近くのコンビニに向かっていた。
「早瀬ー! お前も行くぞ!」
傑くんは当然のような顔をして、一人で帰ろうとしていた智喜の首にガシッと腕を回した。
「 なんで俺が……おい、放せよ桜場」
「いいからいいから! 結衣にアイスおごるついでに、早瀬の分もおごってやるからさ。男同士、親睦を深めようぜ!」
「俺はバイトが……」
「バイトなら夕方からだろ? 30分だけ! な!」
強引な傑くんのペースに巻き込まれ、智喜は心底迷惑そうな顔をしながらも、結局拒みきれずに3人でコンビニの前のベンチに並んで座ることになった。
傑くんはソーダ味のガリガリ君、私はイチゴのショートケーキアイス、そして智喜の手には、傑くんに強引に渡された小豆のアズキバー。
「早瀬ってさ、意外と和風なアイス選ぶよな。渋いね〜」
「……お前が勝手にカゴに入れたんだろ」
智喜はブツブツ文句を言いながらも、固いアズキバーをガリッと一口かじった。
「固っ……」
「ははは! アズキバー舐めたらダメだって! 歯折れるぞ!」
傑くんが大声をあげて笑う。その無邪気な笑い声に引っ張られるように、智喜の唇の端が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……お前、本当にうるさいな」
「うるさいとか言うなって! 俺はクラスのムードメーカーって呼ばれてんの!」
「自分で言うなよ」
呆れたようにツッコミを入れる智喜。そのやり取りは、まるで長年付き合ってきた友達同士みたいに自然だった。
智喜はきっと、こんな風に同年代の男友達とくだらないことで笑い合ったことなんて、今までなかったのかもしれない。いつも孤独で、お金のためにバイトばかりして、周囲からは「不良」だと警戒されて。
でも、傑くんのまっすぐで突き抜けた明るさは、智喜が作っていた心の壁を、いとも簡単にノックして壊していく。
今の光景が微笑ましく思うのと同時に、10年前同じ経験を智喜にさせてあげたかったと、胸が痛んだ。
「結衣、一口頂戴!」
傑くんが私のイチゴアイスを覗き込んでくる。
「えっ、ダメだよ! 傑くんのはソーダじゃん!」
「いいじゃん! 俺のガリガリ君あげるから!」
傑くんが大きく口を開けて私のイチゴアイスを頬張る。
「ちょっと、一口が大きいってば!」
わあわあ騒ぐ私たちを、智喜は相変わらず静かに、どこか温かい目で見つめていた。
「智喜も、イチゴ食べる?」
私が差し出すと、智喜は一瞬驚いたように目を見開き、それから少し照れくさそうに目を逸らした。
「……いらない。甘すぎる」
「えー、美味しいのに」
「早瀬、遠慮すんなって! 結衣のイチゴアイスうまいぞ!」
「お前が勝手に食ったんだろ……」
夕暮れ時の空が、綺麗なオレンジ色に染まっていく。
コンビニの前で、3人でアイスを食べながらくだらない話をして笑い合う。
どこにでもある、どこにでも転がっているような、高校生の放課後。
でも、私にとっても、智喜にとっても、そして傑くんにとっても、これは絶対に失いたくないかけがえのない宝物だった。
智喜がアズキバーを静かに噛み締めながら、遠くの夕焼けを見つめている。
「あっ、あれ未奈と川西じゃね?」
「ほんとだ」
並んで歩く2人に手を振る。
すぐに気付いた2人が嬉しそうに近寄って来る。
「結衣と傑じゃん、何してんのこんなところで。あっ、智喜もいる。やっほー」
「俺らもアイス食べるか」
「泰ちゃんの奢りで」
未奈と川西もすっかり智喜くんと仲良しだ。
アイスの奢りを巡ってギャーギャー騒ぐ2人と、それを見て笑う私と傑くん。
静かに見守ってる智喜。
この日常がずっと続けばいいのにな…
そんなことを願わずにはいられなかった。




