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無能な婚約者に不要と言われたので辞めて王子の婚約者に転職しますね  作者: 蒼良美月


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8/9

8.結婚

 ──「アメリア様、ユリウス殿下がお迎えにいらっしゃいました」


 侍女の震えるような、けれど歓喜に満ちた声を合図に、控室の重厚な扉が静かに開く。


 そこに立っていたのは、純白の礼服を身に纏ったユリウス様だった。


 普段の凛々しさに加え、今日の彼はどこか緊張した、しかしこの上なく優しい表情を浮かべている。


 私の姿が視界に入った瞬間、ユリウス様は息を呑んだ。アメジスト色の美しい瞳が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれる。


「……言葉を失う、とはこのことだね。世界中のどんな宝石を集めても、今のアメリアの美しさには決して敵わない」


「ユリウス様……そんなに真っ直ぐに褒められると、ヴァージンロードを歩く前に赤くなってしまいます」


 私が、はにかみながら俯くと、ユリウス様が愛おしそうに目を細め、私の前にそっと膝をつき、手を差し出した。


 ──あの時の突然のプロポーズ(仮)とは今は違う。私はこの人を心から信頼し愛している。


 差し出された彼の綺麗で男らしい手のひらを見つめながら、私は脳裏に、かつて受けたあまりにも理不尽な仕打ちが蘇る。


「お前のように愛想のない女は必要ない」「無能な女は不要だ」──そう言って私を「下級民族」と蔑み嘲笑った、元婚約者の姿。


 あの頃の私は、夜が明ける恐怖と戦いながら、ただ自分の価値を証明するためだけに血の滲むような努力を重ねていた。

 誰も見てくれない、誰も認めてくれない。どれだけ書類を完璧に片付けても、返ってくるのは「愚図で無能」と冷酷な罵倒の毎日だった。


 だけど、今、私の前で跪いている人は違う。


 ペンや書類で擦れ、決して「令嬢らしくない」私の手を、ユリウス様はまるで世界で一番大切な宝物であるかのように見つめている。


 彼が私に言ってくれた言葉『これこそが君が戦ってきた証であり世界で最も美しい手だ』


 あの時の彼の言葉で、私の凍りついていた心の奥底がじんわり溶けていった。


 あぁ、私は間違ってなかった。この傷だらけの手で必死に生き抜いてきて本当に良かった──


 私は、彼の差し出した手に、誇りを持って自分の手を重ねる。

 ユリウス様はにっこり微笑み、私の手の甲に深い敬意を込めたキスを落としてくれた。


「この手で君は自分の運命を切り拓いた。これからは俺がその手を引き、共に歩もう。君を裏切らない。二度と孤独にはさせない」


「はい……あなたと共に、どこまでも参ります」


 私たちは腕を組み、大聖堂のヴァージンロードへと足を進めた。


 大聖堂の扉が開いた瞬間、パイプオルガンの荘厳な音色が天から降り注ぐ。ステンドグラスから差し込む七色の光が、私たちの進む道を鮮やかに、祝福するように照らし出していた。


 視界が滲む。光りの向こうに見える参列者たちの温かい拍手が、かつて私を「無能」と呼び捨てた世界への反証のように思えてならなかった。


 隣を歩くユリウス様の体温が、ドレス越しにも伝わってくる。

 その温もりが、私に「もう一人で戦わなくていいんだ」と教えてくれているようだった。


「アメリア」


 隣を歩くユリウス様が、前を見据えたまま小さな声で私を呼んだ。そして、組んだ腕から伝わる私の緊張を解きほぐすように、私の手をぎゅっと強く握りしめる。


「俺の妻になってくれて、ありがとう。君を世界一幸せにすると神に誓うよ」


「私も、あなたを幸せにします。私のこの手で、今度はあなたを支え続けます」



 ──祭壇の前へと辿り着き、私たちは向き合った。

 ベールがゆっくりと上げられ、ユリウス様のアメジスト色の瞳が、涙で潤んだ私の瞳を真っ直ぐに映し出す。


 誓いのキス──


 それは、過去のすべての悲しみと苦しみを、今日という日のための美しいプロローグへと昇華させる、奇跡の瞬間だった。





 ◇◆




 夜になり、大聖堂での興奮が冷めやらぬまま、私たちは静かな時間を迎えていた。


 王宮の広大なバルコニーに、柔らかな夜風が吹き抜けていた。

 遠くで聞こえる祝宴の余韻は、壁一枚隔てた向こう側で心地よく溶けていく。


 華やかなシャンデリアの光も、貴族たちの賑やかな喧騒も、今の私たちにはどこか遠い世界の出来事のように感じられた。


 私の薬指で、結婚指輪が月の光を浴びて鈍く、しかし確かな存在感を持って光っている。


「アメリア。……今日は、本当によく頑張ったね」


 背後から掛けられたその声に、私は胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。

 私の夫になったユリウス様の温かな両手が、そっと私の肩を包み込む。


『頑張ったね』


 たった五文字の、ありふれた言葉。

 けれど、これまでの人生で、誰一人として私にかけてくれなかった言葉。


 かつての婚約者からは「可愛げのない女」「無愛想な無能」と蔑まれ、彼から押し付けられる膨大な仕事を完璧にこなしても「やって当然だと」と切り捨てられた。


 どれだけ努力しても、どれだけ心身を削っても、その対価として与えられる賛辞は全てアレンのものになり、私はただの『都合の良い道具』として扱われていた。


「私は間違っていない」「いつか分かってもらえる」と自分を鼓舞しながらも、私の心は、誰かに努力を認められることにずっと飢えて、乾いていたのだ。


「……ねえ、ユリウス様。まだすべてが夢のようで、時々、怖くなってしまうの」


 私は肩に置かれたユリウス様の手の上に、自分の手を重ねた。


「何もかもが嫌になって逃げるように王宮をあとにし、なんとか一人で生きていくために必死に始めた小さな結婚相談所が、まさかこんな未来に繋がるなんて。それに、隣国の王子様に見初められるなんて……あの頃の私に言ったらきっと正気を疑って笑い飛ばすわね」


 ユリウス様は静かに愛おしそうに笑い、私の頬にそっと額を寄せた。


「君は、誰よりも聡明で、誰よりもひたむきだった。誰にも頼らず、自分の手だけで運命を切り拓こうとした君の気高い勇気こそ、俺が一番に惚れたところなんだよ。だから、もう過去の呪いのような言葉なんて忘れていい。これからは君の努力も弱音もすべて俺が一番近くで受け止める。一生かけて、俺が君を証明し続けるよ」


『俺が証明し続ける』その言葉が、私の心の最も深い場所に突き刺さり、堰を切ったように涙が溢れだした。


 声にならない嗚咽が漏れ、気づけば私は子供のようにユリウス様の胸に顔をうずめて泣いていた。


「あ……あぁ……っ」


 涙が止まらない。溢れてくるのは、今が幸せだからという理由だけではない。

 かつて誰にも救われず、一人で凍えていた過去の私が、ようやく「もう泣かなくていいんだよ」と許されたような、そんな救済の涙だった。


 私の頬を伝う涙を、ユリウス様は優しい指先で何度も何度も拭ってくれる。


 否定され続け、傷だらけだった過去の私が、ユリウスというたった一人の「理解者」に出会ったことで、ようやく温かい光りに包まれ、癒やされていく──


 私はもう、無能なんかじゃない。

 私は私のままでいいのだ。


 月明かりの下、ユリウス様が私の涙を愛おしそうに舐めとり、優しく唇を重ねてくれた。

 その甘く、深い口づけの中に、私はこれからの未来をすべてみた。


 誰かに必要とされ、愛され、そして私自身も命をかけて愛したい人が、今、目の前にいる──


 彼の美しい瞳に映る私は「不要」と言われ、自分を責め続け自信さえも無くしかけていた愚かな私はもう存在していなかった。




「お忙しい中、最後までお読み頂き大変ありがとう御座います」

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