7.永久就職
──それから数ヶ月後。
王都の賑やかな大通りを、ボロボロの服を着て、虚ろな目で歩く男の姿があった。アレン・クロフォードだ。
彼は地方の炭鉱の事務仕事に回されたものの、そこでも計算ミスを連発して即座にクビになり、今や日雇いの仕事でなんとかその日暮らしを繋ぐ、哀れな浮浪者寸前の身となっていた。
「ハァ、ハァ……なんで俺が、こんなところで……アミリア、アミリアさえいれば……!」
彼が未練がましく元婚約者の名前を呟いたその時──
大通りの向こうから、きらびやかな王家の紋章が刻まれた、純白の高級馬車がパレードのように進んできた。
「おい、見ろよ! 隣国のユリウス王子と、その婚約者様だぞ!」
「あの方こそ、下町から奇跡を起こした『エトワール』のアメリア様だ! 本当に美しいな!」
「王子自ら、花嫁を迎えに来るなんて!」
群衆の歓声に、アレンはハッとして顔を上げた。
馬車の窓から見えたのは、最高級のシルクのドレスを身にまとい、かつて見たこともないほど眩しい、華やかな笑顔を浮かべるアメリアの姿だった。
その隣には、彼女を愛おしそうに見つめ腰を優しく抱く、誰もが平伏すほど美しいユリウス王子の姿がある。
「あ、アミリア……? 嘘だろ……なんで、お前がそんなところに……!」
アレンは馬車に駆け寄ろうとしたが、周囲を取り囲む屈強な近衛騎士たち(全員がエトワールの熱烈な会員である)によって、ゴミのようにあっさりと押し返され、泥水の中に転がされた。
「おい、汚い浮浪者は下がれ! 婚約者様に近づくな!」
「ち、違うんだ! 手を離せ! 俺はアミリアの、婚約者だ! う、うわあああああ!! アミリアァア! 話を聞いてくれぇえーー」
泥まみれになりながら叫ぶアレンの声に、不快感をあらわにしたユリウスが側近の男を呼んだ。
パレードを終え馬車が王国への橋を渡ろうとする時、ユリウスが馬車の窓をほんの少しだけ開けた。
その瞬間、泥まみれの男が叫ぶ。
「アミリアやっと見つけたぞ! お前こんなところで何をしている! 俺のために戻ってまた書類仕事を手伝え! 素直に謝るならもう一度復縁してやるからありがたく思え! 早く出て来い!」
アレンが馬車に手をかけようとした瞬間、シュナイゼル王国近衛騎士団によって引き離される。
「私の婚約者に向かって随分な物言いだな、羽虫が」
ユリウスの冷やかな鋭い一瞥だけで、アレンは、その圧倒的王者の威圧感に気圧され、ガタガタと震え出した。
「ほ、本当な、なのかっ。ア、アミリアの婚約者が……こんな可愛げのない無能な女を、り、隣国の王子が……」
「無能?──笑わせるな。彼女は我が国になくてはならない至高の天才であり、私の最愛の女性だ。君のような、他人の努力を搾取することしか出来ない真の無能には一生かかっても理解できないだろうがね」
ユリウスは吐き捨てるように冷酷に言い放ち、アレンを近衛騎士に門番へ連行するよう命じ、馬車の窓をピシャリと閉めた。
そして、アメリアに振り返ったユリウスは、先程の冷徹さが嘘のように、アメリアを優しく抱きすくめた。
「嫌なところを見せてしまったね」
「いいえ。私のほうこそ……ご迷惑をかけてしまい……」
「これからは、俺に何でも頼るようにってお願いしただろ? アメリア」
「窓ガラスの修理以外ですね?」
「君のお願いならガラス修理の勉強だって厭わないさ」
「ユリウス様……」
アメリアは恥ずかしげもなく、真っ直ぐ自分を見つめながら甘いセリフを言うユリウスに、頬が自然と熱くなるのを感じた。
「アメリア、これからは私の国で、その素晴らしい才能を存分に振るってほしい。もちろん、私の『最高の妻』としての職務もね?」
「ええ、喜んでユリウス様。私の完璧なマネジメントで、あなたも、あなたの国も、世界一幸せにしてみせますわ!」
◇◇
あの日、報われなかった過去を完全に置き去りにして、私の世界は眩しいほどの幸福で満たされていた。彼の手の温もりが、私の凍てついた心を今もじんわり溶かし続けている。
そして、運命の結婚式を明日に控えた今──
一生に一度の特別な夜だというのに、私たちはなぜか、いつも通り大真面目に仕事の話をしていた。
「ユリウス様この書類ですが、こちらの資料を一緒につけて会議でお話になってはどうでしょう? 具体的な数字があったほうが、財務部の方もきっと納得してくださると思いますわ」
「さすがは俺のアメリアだね。毎度君には驚かされてばかりだ。父上も、兄上ではなく俺に跡を継いでほしいと先日嘆いていたぐらいだよ」
「あらあら、それは平和的ではありませんわねぇ? アルバート様がお耳にしたら大変ですわ!」
「兄上はほら? あの調子だからね。昔からあまり政治に興味ない人なんだ……」
ユリウス様は苦笑いを浮かべながら、困った雰囲気で肩をがっくりと落とした。
それもそのはず、この国にはもう一つ私たちが頭を悩まされている懸念事項があったのだ。
ユリウス様のお兄様であるアルバート様は、王位継承権だけを考えたら長男であり、第一王子のお立場だが……
彼はちょっと……いえ、かなり変わった方だった。
ご本人はとても穏やかで素晴らしいお人柄なのだけれど、彼には壮大な趣味──というより、人生をかけた研究があった。
寝食を忘れるほど植物を愛し、国一番の「植物研究家」として没頭されている。
それ故、この国の「王太子」が未だ正式に決まっていなかったのだ。
しかも風の噂によれば、アルバート様には今のところ結婚する意思が全くないらしい。
「君のその素晴らしいマネジメント能力で、兄上をサポートしてくれる良き伴侶を見つけてやってはくれないだろうか?」
ユリウス様が、まるで捨てられた子犬のように、縋るような瞳で私を見つめてくる。その端正な顔立ちでそんな目で見つめられたら、断れるはずはない。だが……
……いえ、待って欲しい。結婚相談というのはあくまで本人に「結婚したい」意志があるからこそが入会していただき、条件に合う方をマッチングしていくもので、最初から結婚したくないと心を閉ざしている方に紹介するのは至難の業だ。
順風満帆に思えた私たちの結婚生活の前に、とんでもない「新たな課題」が舞い降りてきてしまった。
けれど、無理難題である方が、私の胸の奥にあるプロ根性がうずきだす。
これこそが「元エトワール代表」である私の腕の見せ所だわ!
「そうですわね。すぐに結婚、というのは難しくても……まずはアルバート様の高潔な研究を心から理解し、一番近くで彼を支えてくれるような素敵な女性を、何とかお探ししてみせます!」
「やっぱりアメリアは凄いね。どんな時も常に前向きだ。そんな君を、俺だけの妻として独り占めしてしまうことが、何だか世間に対して申し訳なく思えてくるよ」
「そんな、滅相もございません。ユリウス様のお力になれるということは、この国全体の繁栄に繋がるのですもの。私にとって、これほど名誉で誇らしいことはございませんわ」
「アメリア。君はなんて素敵な女性なんだ……これ以上、俺を君に沼らせないでおくれよ」
ユリウス様が、吸い込まれそうなほど美しい瞳で私をじっと見つめる。
その瞬間、胸がトクン、と大きく跳ね上がった。
(……いいえ、ユリウス様。あなたの底なしの優しさと情熱に、とっくに沼らされているのが私のほうですわ)
──だけど、そんな恥ずかしい本音は、まだ私の心の中だけの秘密にしておきましょう。
その後、目に前に山積みにされた大量の書類を、驚くべき早さでテキパキと片付けていく彼の横顔を見つめた。
私の愛した人は、甘い言葉をくれるだけではなく、為政者としても信じられないほど優秀で、本当に格好いい。
(……ふふ、貴方も相当凄いですけどね)
心の中でそっと呟いた瞬間。
「ハハハっ」
突然、静まり返った執務室にユリウス様の楽しそうな笑い声が響いた。
驚いて思わず彼の顔を覗きこむ。
「どうされましたか、ユリウス様?」
「いや、ごめんごめん。結婚式の前日の夜にまで、こうして大真面目に仕事の話をしたり、兄上の伴侶探しの作戦会議をしているカップルなんて、きっと世界中で俺たちだけだろうなと思ったら、おかしくて」
愛おしそうに目元を和ませて笑う彼を見て、私は自分の無骨さが急に恥ずかしくなってしまった。
元婚約者に言われた「可愛げがない」と言う言葉が、一瞬だけ頭によぎる。
「……申し訳ありません。色気がなくて、可愛げのない女で……せっかくのロマンティックな雰囲気を壊してしまいましたわね」
私が、きゅっと唇を噛みいたたまれず俯こうとしたその時、ユリウス様がすかさず私の手を取り、包み込むようにすくい上げた。
「それも含めて、俺はアメリアの全てに惚れたんだよ? 可愛げないなんて、とんでもない。そうやって俺の言葉に、いちいち真っ赤になって恥ずかしそうにする姿が……堪らなく愛おしいのに」
「ユリウス様……」
彼の熱い視線が全身を貫く。彼の細い指先が、私の頬に優しく触れた。
「明日まで、触れるのを我慢するだけで精一杯なんだ。だから、そんな顔をされたら困ってしまうよ」
彼の低い、熱を帯びた声が鼓膜を揺らす。
私の頬は、さっきよりもずっと、これ以上ないほど赤く染まっていくのだった──
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