10-10
ある朝、空が療養院の部屋を出ると、マリリンが居住まいを正して彼を待っていた。
彼女は片膝をつく礼をして言った。「四殿下より通達を預かってまいりました。ご意思がおありでしたら、わたしが正式に護衛契約を結ばせていただきます」
空は、それが何を意味するかを知っていた。
貴族だけが、「規則を破って」フェラキオ家と契約を結ぶことができる。
彼が、叙爵されるのだ。
空は言った。「これから、よろしくお願いします」
マリリンは立ち上がって言った。「おめでとうございます。子爵になられたことで、背負う責任は増えますが、その力で成し遂げられることも数多くあります。今後、あなたと四殿下の関係は、単なる友人にとどまりません。フェラキオ家の者として、そしてあなたの今後の護衛として、わたしの私的な望みを申し上げます。どうか、四殿下をこれまで以上にお支えください。国内の若い新たな力として、アイセンティアに貢献してくださることを願っています」
空が答えようとしたとき、普段着姿のイルコが歩み寄ってきて、壁にもたれ、くすりと笑った。
マリリンが下がると、イルコが進み出て言った。「子爵、おめでとう」
空は気まずくなって、からかわないでほしいと頼もうとしたが、イルコの表情が冗談ではないことに気づいた。
そうだ。これは冗談で済ませていいことではない。
彼は本当に、子爵になるのだ。
今は自分を疑っている場合ではない。この爵位を授かった以上、この栄誉に恥じない振る舞いをしなければならない。
彼とイルコは、血を流すことなく反乱の戦争を食い止めた。イルコのことはさておき、空自身にも、エドウィンを倒す手助けをし、弦羽を救い、それに加えてアンバール迷宮や、聖女リアンドラヤの護衛……こうした功績を合わせれば、決して軽んじられるものではない。しかもそれは、彼や弦羽が働きかけて得たものではなく、王室の決定だった。
空はイルコに尋ねた。「君も、欲しかったものを手に入れられたのか?」
イルコは言った。「ラグマンへ行くことを許されたわ」
「どうするか、もう計画はあるのか?」
「今のところは、お店を開きたいと思っているの。小さなバーかしら。ズーラン鎮のような情報酒場じゃなくて、暑い季節にぴったりの、爽やかなカクテルを出すだけの店」イルコは笑って言った。「今度は、お酒に余計なものは入れないわ」
空は言った。「本当に、君の目標はそれだけなのか?もっと大きいんじゃないのか?」
「あなたの言う通り、実はわたしも、自分の欲望が膨らんで、また同じ道を歩んでしまうのが怖いの」
「今回の君の決断は、本当に後悔していないのか?オスワルは、君によくしてくれていたようだったけど」
イルコは言った。「ええ、そうよ。あなたにも分かるでしょう。彼は他の人とは違った。みんながわたしの食事の作法や、体つきが十分に華奢かどうかを難癖つけているときも、彼だけは、わたしがちゃんと食べているかを気にかけてくれた。わたしが果汁を好きだと知ると、領地の新鮮な果物をたくさん送ってくれたの。彼は本気で、わたしが結婚によってアクミリン家の一員になることを支持してくれていた。けれど、少主との結婚は大変すぎるから、自分が仲を取り持って、アクミリン家の同世代の中から、わたしにもっと合う人を探してあげようと言ってくれたわ。そうすれば、もう計算ずくの日々を送らなくて済むからって。どうしてわたしにだけ特別に優しいのか尋ねたら、わたしの強さを買っているからだって」
「なるほど、その縁があったから、彼は僕たちの計画を信じたのか」
イルコは小さな声で言った。「もう言わないで。わたしがどれだけ悪人でも、良心くらいは少しあるの。ちゃんと、痛むのよ」
結局、より良い暮らしを手に入れるために、自分を信じてくれたオスワルを売ったのは、イルコだった。
イルコは言った。「わたしのことはもういいわ。わたしより、あなたのことのほうが大事だもの。あなたはこれから貴族になる。かつて貴族だったわたしから、いくつか忠告をあげる。ほとんどは、あなたがもう身をもって経験してきたことだけれど」
空は言った。「人をあまり信用するな、ということか?」
イルコは首を振って言った。「早いうちに、自分の『家』を作ることをお勧めするわ」
空は言った。「そんな先のことは、今は想像できない」
イルコは言った。「オズバイ家やアクミリン家みたいに大きくする必要はないわ。あなたが家を広げたがるような人じゃないことは分かっている。あなたは冒険者だもの。ただ、友人である四王子のために尽くしたいと思うなら、やはり人手と人脈が要る。護衛や執事といった、家としての基本的な骨組みを揃えなさい。もし自分で権力を振るわないのなら、あなたの権力を代行する人が必要になるわ」
空は言った。「マリリンがいれば十分じゃないのか?」
「今のアイセンティアの情勢は、五大名門のうちの一家が欠けていて、しかもそれが人間の家門だということ。アクミリン家の領地の一部は、間違いなくあなたが引き継ぐことになるわ。そこが、あなたの基盤になる。エルフと人間の勢力の均衡のため、そしてあなたが四王子の最も信頼する相手の一人だから、王室はあなたに大きくなってほしいと考えているの。アクミリン家の空白を埋めるようにね」
空は言った。「でも、僕は青血貴族にはなれない」
イルコは言った。「五大名門が必ず青血貴族でなければならないなんて、誰が言ったの?木エルフは、けっこう俗物エルフよ。オズバイ家に流れているのも青い血じゃないけれど、金と権勢があるから、国内の地位は青血貴族よりも高いわ」
考えたすえ、空は、自分が第二界からの異邦人であることを打ち明けた。「僕に流れているのは、そもそもこの世界の血じゃない。五大名門に取って代わるなんて、できるはずがない」
空の話をひととおり聞き終えて、イルコは驚いたように言った。「まったく感じさせなかったわ。この世界に馴染むために、きっとたくさん努力したのね」
その言葉に、空は目頭が熱くなり、ほとんど抑えられなくなった。それでも最後には、なんとかこらえた。
そうだ。彼がどれほど努力して、今ここまで辿り着いたか。
彼を知らない人の目には、すべて運の良さに映る。水を飲んで冷たいか温かいかは、飲んだ本人にしか分からないというのに。
イルコは優しく言った。「あなたはもう十分頑張ったわ。努力だけでは変えられないこともある。叙爵は、絶対的な肯定よ。過去のあれこれは抜きにして、ただ今のあなたとわたしとして言うなら、わたしはあなたのこれからが、すべて順調にいくことを祈っているわ」
空はそこでようやく尋ねた。「君の言う『家を作る』って、いったいどういうことなんだ?」
イルコは言った。「あなたが大きな家の当主になる必要はないの。あなたは種になるのよ。王族は、あなたに称号を与えてくれると思う。人があなたの話をするとき、その異国めいた響きの名前ではなく、称号のほうを思い浮かべるようにね。その称号のもとに蒔かれた種は芽吹いて、頼りない一人の貴族から、木エルフの王族が使える名を築き上げていく。それは、木エルフの王族が信頼できる、人間の家門になるわ。もちろん、これは最も理想的な結果よ。人間はいつだって、事を台無しにするものだから」
空が心配しているのは、まさに自分も台無しにしてしまうことだった。「みんな、人間は最も狡猾で、本性が最も変わりやすいと言う。僕は、次のエドウィンになってしまうのが怖いんだ」
イルコは言った。「それとも、かつてのわたしのようになるのが怖いの?」
空は黙って認めた。
イルコは言った。「他の人のことは分からないけれど、あなたは簡単に自分を変えてしまう人じゃないわ。わたしが前に会ったときと比べると、あなたはずいぶん変わったけれど」
空は尋ねた。「それは、いい変化なのか?」
「この世界で立っていくなら、そういう変化は必要よ。わたしはこれから出発するの。これが最後の顔合わせになるかもしれない。あなたは、わたしに対して、まだ陰を抱えているでしょう?わたしが失脚したとき、あなたが追い打ちをかけなかったことは、忘れないわ。軍営で、マリリンさんがからかわれるところを、あなたも見たでしょう。わたしも情報屋をしていた頃、似たような目にたくさん遭った。そんなとき、わたしはよくあなたのことを思い出したの。正直すぎて、ちょっと馬鹿みたいだった。わたしはあなたを死なせようとまで思ったのに、わたしの家が滅びたと知ったあとで、あなたは、自分の助けを受け入れないかと尋ねてきた。どの面下げて頷けたっていうの。今のわたしは、相変わらず非情なままよ」
空は言った。「以前の君が同じことをしたら、胸は痛んだか?」
イルコは言った。「たぶん、痛まなかったわ」
空は言った。「なら、君だって変わったんだ」
イルコは言った。「自分ではよく分からないわ。ラグマンへ行けば、また新しい始まりね。今度こそ本当に、カクテルを売るだけで済んで、もう陰謀に巻き込まれずに済めばいいけれど」
空は言った。「君のこれからが、すべて順調でありますように」
イルコと正式に別れたあと、空はテイラロを見舞いに行った。
テイラロは、かつて毒を盛られた花エルフと同じように、庭で最も大きな希望の樹による治療を受けていた。
リアンドラヤによれば、早くても一年、場合によっては数年かかるという。
彼はテイラロの顔を見つめた。
彼女は、彼がこの世で初めて目にしたエルフだった。あのとき彼女の美しさが与えた印象は、今思い返しても、彼を震わせるほどだった。
それから次第に、彼はエルフの美貌に慣れてしまったようで、生活の重心は他の友人たちへと移っていったのに、彼女はずっと彼を信じ、頼り続けた。結局、彼女に対して、あまりにも申し訳ないことをしてきた。
複雑な感情は、今はすべて憂いへと変わっていた。彼は彼女の病床の傍らに腰を下ろし、小さな声で言った。「君が目を覚ましたら、また最初から友達になろう」
ほかにも、多くのことが、また一から始まるだろう。
これから彼は、その手にした力で、身近な人たちを守っていく。
そのとき、扉を叩く音がして、入ってきたのは弦羽だった。
二、三言雑談を交わしたあと、弦羽は本題に入った。
彼は言った。「この手で人の命を終わらせてみて、君の気持ちが少しは分かるようになった。もちろん、人によって事情は違うけれど」
空は言った。「ああ、違うよ」
同じになるはずがない。
弦羽は言った。「エドウィンは……かつて、僕の友人になっていたかもしれない。子供の頃の学友候補の一人だったが、僕たちはずっと反りが合わなかった。君たちが来る前に、彼と話をした。彼の考えは、やはり理解できない。だが、彼という人間について、より深く知ることができた。それが、彼を殺したという実感を、かえって強くしたんだ。彼がシーデを刺したのは、彼を守るためだった。もし彼が完全な悪人だったなら、まだ楽だっただろう。僕は、家族に大切に守られすぎていた。迷宮で、僕の金のリンゴが、子供の頃の何の憂いもない時間に留まりたいというものだったのを、覚えているか?僕は楽な道を歩いてきた。これから、ようやく、僕がとっくに負うべきだった責任を負うことになる」
空は言った。「でも、君の家が君をそう育てたのには、やはり理由があったと思う。君は悪意にあまり触れずに育ったから、自分が貫く信念を持てている。だから最後の魔弾は、君じゃなくて、エドウィンに当たったんだ」
弦羽は言った。「それと、エドウィンと、力の使い方について話し合ったんだ。もし僕が、これからずっと、もう単純ではない世界と向き合っていかなければならないのなら、僕も彼のようになってしまうんじゃないかと考えていた」
空は答えた。「ならないよ。君が僕と話しに来たのは、勝利の話じゃない。それだけで、君と彼の本質が違うと分かる。もし今も立っているのがエドウィンだったなら、彼が考えるのは、絶対に君との情なんかじゃない」彼は弦羽を見据えて、きっぱりと言った。「たとえ本当に、君が揺らぐ日が来たとしても、君は僕や雪に話してくれるだろう?そうしたら僕たちは、一緒に解決の方法を探す。そうだろう?」
弦羽はようやく、少し吹っ切れたように笑った。「ああ」
空は言った。「君は本当の意味での王族になって、僕は貴族になる。これから新しいことがたくさん起きるだろうけど、僕たちは互いに助け合う。僕たちは、エドウィンのように一人じゃない」
その言葉は、空自身に聞かせるためのものでもあった。
彼が爵位を得たのは、一人でできたことではないし、一人で背負う必要もない。
彼は、イルコの「家論」を弦羽に話して聞かせた。
弦羽は言った。「彼女の言う通りだ。僕はもう、君の家の構成員を探し始めている」
空は冗談めかして言った。「それは、王子としての命令?」
弦羽は真面目な顔で言った。「君に、王家の手先になることを強いるつもりはない。ただ、君が自分の身をきちんと守れるようになってくれれば、それでいいんだ」
空は言った。「不思議なんだ。人を知れば、まだ知らない部分がどんどん見えてくるものだと思っていた。でも君は、初めて会った日のままだ。君を知れば知るほど、その確信が強くなる。僕は、自分がずいぶん変わったと思う。正直に言うと、僕も、かつて戦った相手のような人間になってしまうのが怖いんだ」
月神の魔弾は、ある意味で、神による裁きだった。
だが空は、自ら試す勇気がなく、それを弦羽に託した。
弦羽は言った。「僕がエドウィンと友人にならないと決めたのも、君と友人になると決めたのも、僕自身だ。もし君がエドウィンのようになっていたら、僕は今、君と同じ道を歩いていない」
空は微笑んだ。
弦羽が去ったあと、リアンドラヤがやってきた。
テイラロを診察したあと、リアンドラヤは言った。「今のところ、彼女の状態は良好よ」
空はテイラロを見つめて言った。「もう誰も傷つけたくない。その誓いを、守れなかった」
リアンドラヤは言った。「あなたはもう、十分やったわ。戦争がどんなものか、知っている?」
空が呆気にとられていると、リアンドラヤは言った。「わたしも、本当の最前線で戦ったことはないの。イソン王子に従ってからは、いつも後方支援ばかりだった。殿下は、わたしが戦場を怖がることをご存じで、特別に守ってくださった。わたしが扱うのは主に毒で、最前線で外傷の患者と向き合うこともなかったわ。だから、戦争について知っていることはやはり限られている。それでも、戦争のあとの世界は経験している。今、千年が過ぎて、残っているのは勝ち負けだけ。それが深い影響へと姿を変えて、けれど、戦争でさまざまな形で犠牲になった人たちは、ほとんどの人の顔が消えてしまった。わたしの境遇は、最も恵まれたほうよ。聖女という虚名を得て、それでも、戦争を思い出すのは痛みに満ちているわ。戦争がもたらすものが、死だけであったことなんてない。わたしが伝えたいのは、あなたが一つの戦争を食い止めたということ。それは、とても大切なことよ」
空はついに、口に出した。「でも、僕は軍功を立てていない。そんな僕にも、叙爵される資格があるのか?」
リアンドラヤは静かに言った。「治療者にとって、人を治したいのと、世界に傷病者なんて一人もいなくなってほしいのと、どちらだと思う?」
空は言葉に詰まった。
リアンドラヤは続けた。「王室があなたを貴族に叙するのには、当然、正当な理由と考えがあるはずよ。あなたが心配しているのは、四王子の友人だからというだけの理由なの?」
「そうだ。それに、他の人間たちを牽制するためとか、いろいろな理由があるんじゃないかと……」
「わたしの目には、多くのことが変わったわ。でも、今に至るまで、木エルフの王族は、それほど変わっていないと思うの。彼らはずっと公正だった。一部の人が言うように、俗物エルフになったわけじゃない。彼らがあなたを貴族に叙するのは、まったく理にかなっているわ」
外から突然、轟音が響き、リアンドラヤはびくりと震えて尋ねた。「雷?」
空は言った。「学院の工学部の学生たちが、アクミリン家の罪が暴かれたのを祝って、花火を作ったんだ」
リアンドラヤは言った。「ついでに見に行って、歩いてきなさい。少しの間でもいいから、他のことをして、まず自己不信から抜け出すのよ」




