12-4
航海から戻ってくるまでに、ちょうど丸一年が経っていた。
わずか七日しか過ごしていなかった罪悪の街は、今やエルシーにとって、温かい我が家のような場所になっていた。もっとも、他の船員たちのように、地面に口づけをするような真似はしなかったけれど。
街を再び歩き回ってみると、一年前に比べて、かなり大きく変わったことに気づいた。橋の下にうずくまっていた物乞いの集団は姿を消し、街灯があちこちに行き渡り、空気にはもう悪臭が漂っていない。代わりに潮の香りを含んだ風が感じられた。食べ物を売る屋台もちらほらと現れ始めていた。かつてこの界隈は、財布を持って歩くだけでも危険だったというのに、ましてや商売など論外だったはずだ。何度も摘発されながらも根強く残っていた闇市も、今ではすっかり一掃されていた。
エルシーはまっすぐ審判所へ向かい、ちょうど仕事を終えたアーサーを見つけると、魔族の宮廷から持ち帰った上等な酒を手に、彼を誘った。罪悪の街には坂道が多く、二人は塀の上に腰かけた。アーサーの見た目は三十歳前後で、種族もありふれた人間だ。エルシーも、航海中に目立たないよう染めた茶色の髪がまだ戻っておらず、尖った耳も帽子の中に隠していたので、二人はまるで、世間話をする普通の町人同士のようだった。
アーサーが瓶を開けている間に、エルシーは単刀直入に切り出した。「わたしの弟は博物学者なの。以前、アンリエット王女のことを研究していて、彼女が使った変身薬――脚を作り出す薬――を再現しようとしたことがあるわ。そのとき、彼はドリアン王国の歴史も調べたの。アンリエットと結婚した王子は、名前が残っていなくて、彼女の後事を済ませたあと、国を離れて各地を旅して回ったそうよ。人間の寿命を考えれば、ドリアン王国が滅びる前に、王子はもう亡くなっていたはず。でも、勇猛で戦に長け、アンリエットの理念を支持していたという彼が、そう簡単に諦めるものかしら?」
「それは、寝物語でも聞かせてくれるのかい?」
「もう一人、わたしの友人がいるの。アイセンティアで書物と知識を司る一族の出身よ。わたしの頼みで、ありとあらゆる郷土伝承をくまなく調べてくれて、そこに、名を残さない英雄が一人いたことを突き止めたの。彼はドリアン王国近辺の魔獣を数多く討伐して、夜落の地へと進んでいった。その過程で、彼は火神の神賜まで受けている。それが、あなたでしょう。あなたの耳の後ろの刺青はチューリップよね。友人が言ってたわ、アンリエット王女が一番好きだった花はチューリップだって。あなたが今使っている名前も、本名じゃないはずよ。それはドリアン王国の王政時代、男性に最もよくある名前の一つだから、たとえ誰かが偶然あなたのことを知っても、どのアーサーなのか見分けがつかない。歴史書に残っていても、この名が誰を指すのか、誰にも分からなくなる」
それを聞いて、アーサーはあっさりと言った。「それは、もはや秘密というほどのものでもないな。遅かれ早かれ、君にも分かることだ。聞くところによると、君はアンリエットの涙が欲しいそうだね?」
「アンリエット王女の真珠があなたの保管下にあるなら、わたしには、それを持っていく資格はないわ。別の方法で、弟と妹を贖うことにする」
「罪悪の街とアイセンティアの間で商貿同盟が結ばれれば、二人の精霊の子供を連れ出すのは、簡単なことになるだろう」
エルシーもそれは分かっていた。皮肉なことに、オイローパ王女はアイセンティア出身だというのに、罪悪の街は世間一般の認識では、今も黒魔法の呪いに覆われた不吉な土地のままだ。うかつにオイローパ王女が精霊の出であることを暴けば、アイセンティアに大きな厄介事をもたらすことになり、光精霊たちも、それを見過ごすわけにはいかなくなる。今のところ唯一の方法は、罪悪の街が力をつけるのを待ち、最も俗物な木精霊たちでさえ「規則を破らざるを得ない」状況を作り出すことだった。それこそが、オイローパが帰国して人手を募っている理由だった。
エルシーはアーサーに尋ねた。「どうして偽名を使ってるの?あなたの祖国と関係があるの?」
「アンリエットのためだよ。彼女が史書の中で、誰かの早世した婚約者として扱われるのを望まなかった。あの年齢で彼女のしたことは、普通の人には想像もつかないほどの影響を与えたんだ。今、海の妖精がむやみに船乗りを殺さなくなったのも、彼女のおかげだ。オイローパ王女の理念は、彼女によく似ている。平等と自由が実現する機会を、もっと多く作りたいという思いだ。僕たちは完全に調和した世界を作り出すことはできないけれど、少なくとも、この混沌とした都市でだけは、自由を確かなものにできる」
エルシーは言った。「わたしには、そんな立派な理念はないわ。わたしはただ、自分の家族と一緒に、あのひどい一族から離れたいだけ」
「自分自身の思いがあるなら、それで十分だ。君の仕事は護衛で、王女のために刃を受け止めること。この都市の未来を設計するのは、僕とセースの仕事だよ」
「二人とも、頑張ってね。わたし、妹と約束してるの。彼女が結婚する前に、必ず連れ出せるだけの力を手に入れるって」
「君の弟のことで、少し耳にしたよ。軍に入ったそうだね」
「ホーネグが?本当に?」
「一族に強いられてね。実戦で敵を殺すわけじゃなく、従軍祭司としてだけど、ラグマンに連れていかれたんじゃ、あまり楽ではないだろう」
アイセンティア王国の最も堅固な同盟国、人間の帝国ラグマンは、強大な軍備を誇り、しばしば他国の紛争に「正義の維持」を理由に介入する。精霊族からも認められている以上、ラグマンがそれほど質の悪い国だというわけではないが、優しくて素直なホーネグがあそこで従軍するとなれば、苦労は目に見えていた。
エルシーは歯を食いしばって言った。「わたしのせいで、族母はホーネグに手を出したのね。次に罰を受けるのは、きっとアンウィだわ」
「君の弟の面倒を見てくれる人は、手配してある。妹さんについては――アイセンティア宮廷で今、最も注目されている貴族の令嬢だそうだね。血魔族の三王子が、熱心に君の妹を口説いているらしい」
「アンウィは彼に借りがあるの。それに族母は、喜んでアンウィを血魔族のところへ嫁がせるでしょうね。でも小アンウィが本当に愛してる人は……わたし、急がなきゃ。これ以上は引き延ばせない」
「焦らないで。君はまず、ここに根を下ろさなければならない。わたしが支えるけれど、何より大事なのは、罪悪の街とアイセンティアの関係だ」
「分かってる」
それでも、軍営で怯えているであろうホーネグや、権謀術数渦巻く宮廷で生き抜いているアンウィのことを思うと、エルシーの心は、どうしても静まらなかった。
日々、エルシーは誰よりも必死に剣の稽古に励んだ。任務にあたるときも、一瞬たりとも気を抜いたことはなく、数多くの刺客でさえ、彼女を越えることはできなかった。
船の上では、彼女はまさに水を得た魚のようだった。抜群の平衡感覚を持つ彼女は、荒波の中でも、一太刀ごとに安定した剣を繰り出せる。実のところ、陸で王女の護衛を務めるよりも、海の上で自由に戦うほうが、彼女には性に合っていた。
戦闘の技が磨かれていく一方で、彼女はさまざまな景色も目にしてきた。その中でも、彼女が一番気に入っているのは極北鎮だった。人間の王国の最北端に位置しながら、花神の加護を受けて不凍港を持つこの港町は、ほかの大きな港湾都市のような喧騒とは無縁で、主に漁船が停泊し、新鮮な漁獲を南へと運んでいた。
幸運にも、彼女は極北鎮の花神生誕祭に参加したことがあった。一面に咲き誇る花々の光景は、アイセンティアの祭りを思い出させるほど賑やかだった。もっとも、あの頃、花精霊だった彼女は、他の貴族たちと一緒に高台に座り、代わり映えのしない演目を眺めるだけで、平民たちのように花びらの雨の中で楽しく踊ることはできなかったけれど。
極北鎮を経由するのは、たいてい金楓城へ向かう途中のことだった。夜魔族の金楓城は、世界第七位の大都市だ。大都市というものは、どこもほとんど似たり寄ったりで、商隊、旅人、冒険者で溢れている。それよりも、極北鎮のような異国情緒あふれる町のほうが、エルシーの好みだった。
再び世界を一周して罪悪の街へ戻ってきたとき、エルシーは初めて、ひどい疲労を感じた。バイシーに、航海の途中で亡くなった船員の補充を探してほしいと頼まれ、彼女は引き受けたあと、疲れた体を引きずって一度ぐっすり眠り、翌日になってから審判所へ向かった。
罪悪の街を狙っていた海賊たちが大勢捕らえられ、ちょうど取り調べを受けようとしているところだった。
エルシーは役人に挨拶を済ませると、海賊と判定された捕虜、あるいは罪があまり重くない者たちの中から、何人かを選ぶつもりだった。
ところが、捕らえられていたのは、ほとんどが殺人や略奪を繰り返してきた常習の悪人ばかりだった。建物じゅうを走り回っても、あと一人が見つからない。彼女は先に選び終えた人々をバイシーのもとへ向かわせ、自分は改めて、新しく捕らえられたばかりの一団を見に行った。
ぼさぼさの髪をした海賊たちの中に、彼女は一目で、貴金属のような銀髪を持つ人間の少年を見つけた。
人間の中で銀髪の血筋といえば、十中八九、貴族の末裔だ。この少年の質素な身なりからして、おそらく私生児か、平民の血が何代か混ざった末裔だろう。
エルシーはその銀髪の少年に歩み寄って尋ねた。「あなた、船員?それとも海賊?」
銀髪の少年は言った。「どちらでもない」
「じゃあ、どうしてここにいるの?」
銀髪の少年が答えずにいると、エルシーは傍らの船員に目を向けた。相手は慌てて答えた。「このガキは、こっそり船に紛れ込んだんです」
エルシーは笑って言った。「わたしも、同じことをしたことがあるわ。何のために乗り込んだの?」
銀髪の少年は負けじと彼女を睨みつけて言った。「ただ、家を出たかっただけだ」
「それも、わたしと同じね。あなたに決めた、ついてきて」
銀髪の少年を船に連れ帰り、バイシーの前に差し出すと、バイシーは忙しそうに、顔も上げずに言った。「人数は、もう足りてる」
「あなたが探せって言ったんじゃない!」
「あなたの動きが遅すぎたのよ」
「それじゃあ、この子はどうするの?」
「あなたの手下にしておけばいいわ」
そう言うと、バイシーは彼女を追い出した。
部屋を出たあと、エルシーと銀髪の少年は、しばらく互いを見つめ合った。
エルシーは尋ねた。「えっと……まだ名前を聞いてなかったわね?」
銀髪の少年は顔を背けた。
エルシーは言った。「わたしが剣を持ってないからって、甘く見ないでよね。武器がなくたって、あなたをしっかり叩きのめせるんだから」
「ああいう手合いには、もう何度も殴られてきた」
エルシーはため息をついて言った。「また始まった。わたしたちのことを、ただの殺人強盗の海賊だと思ってるんでしょう」
「違うのか?」
「今の『罪悪の街』を、案内してあげる」
もちろん、それより先に、エルシーはこの少年の身の潔白をしっかりと確認した。
調査資料によれば、この「シセド」は確かに船に紛れ込んだだけで、海賊とは一切関わりがなかった。密航者の多くが海賊船を選ぶのは、いくらかの金さえ握らせれば、貨物室に隠れることを見逃してもらえるからだ。もちろん、出航してしまえば、海賊たちの態度は一変し、密航者を奴隷のようにこき使い、陸に着けば直接売り飛ばすことも珍しくない。シセドも、そんな不運な一人だった。罪悪の街がこの海賊船を叩き落としていなければ、彼はきっと、人身売買の市場を転々とする奴隷になっていたことだろう。
騒がしい酒場で、エルシーは周りの声を抑え込むほどの大声で言った。「じゃあ、あなたはパンプローナ出身なのね」
「もう少し静かに」
「ここでは誰も、あなたの出身地なんて気にしないわ!夜落の地の者も、魔族も、いろんな人がいるもの」
「君は、花精霊だろう」
「わあ、言われるまで気づかなかったわ!」
シセドは顔を赤くして、無理に落ち着き払って尋ねた。「僕に、何をするつもりなんだ?」
「仕事を紹介しようと思ってたんだけど、もう人数が埋まっちゃったの。あなた、何か、やりたい仕事の種類はある?探してあげるわ」
シセドが睨み続けるので、エルシーは言った。「それとも何?自分で何とかするつもり?わたしはエルシー。今は使用人はいらないし、あなたは雑用が得意そうにも見えないし。何か得意なことはある?」
「……僕は、画家だ」
「画家!何を描くの?」
「何でも」
「肖像画は描ける?わたし、ずっと誰かに描いてほしいと思ってたの。それなら、セースのところへ行くといいわ。水精霊は芸術品の商売が大好きだから、わたしにはよく分からないんだけど。とにかく、すごく抽象的な絵を描いて、暇とお金を持て余してる人たちに競らせるのよ。でも、あなたは水精霊みたいな種族の天賦があるわけじゃないのに、彼らより上手く描けるの?何か作品はある?それとも、今ここで一枚描いてみる?」
シセドは眉をひそめて言った。「精霊が、こんなにうるさいとは知らなかった」
「わたし、話すのが大好きなの。実家はすごく堅苦しい大家族で、冷たくてね。女中と話すときでさえ、人に聞かれない場所でこっそり話さなきゃいけなかった。今は自由に話せるんだから、たくさん話さなきゃ損でしょう。それで、あなたは芸術家なの?あとでセースのところに連れていくわね!」
「それは誰だ?」
「罪悪の街の城主の副官よ」
「僕を、直接、城主の副官に会わせるのか?」
「そうよ、あなたはお金もないし、知り合いもいないんだから、ここで仕事を見つけなきゃ。誰かがただであなたを養ってくれるなんて、思わないことね」
シセドの態度は、次第に警戒から戸惑いへと変わっていった。彼は尋ねた。「どうして、僕を助けてくれるんだ?」
「わたしは生まれつき善良なの。……まあ、本当は、わたしがあなたを選んで、このまま放っておいたら、わたしの数少ない良心が痛むからよ。あなたにも、行きたい場所があるんでしょう?ここで働いてお金を貯めれば、いずれここを離れられるわ」
「どこへ行けばいいのか、分からないんだ」
「どういうこと?適当に船に飛び乗ったってこと?」
「だいたい、そんなところだ」
「計画がまるでないのね。危うく奴隷になりかけたのも無理ないわ」
「あそこを離れられるなら、どこだって構わなかった」
休みの日だったので、エルシーはシセドを連れて、街じゅうをあちこち歩き回った。
シセドはすっかり驚いた様子で、思わず認めた。「罪悪の街が、こんな場所だとは思わなかった」
「昔はひどかったって――わたしも、聞いた話だけど。わたしがここに来たときには、もうだいぶ整っていたの。大通りを歩いていて、小さな路地に入らなければ、基本的には安全よ。剣は使える?」
「習ったことはある」
「あなたも、貴族の子孫なの?」
「私生児だ」
「そんな顔しないで。もともとどんな身分だったとしても、こんなめちゃくちゃな場所に来たら、あまり深く考えすぎないことね」
「君は……ペナイシュ家の人?」
「どうして分かったの?」
「花精霊の肖像画を描いたことがあって、そのとき、ペナイシュが最も強大な花精霊の一族だって聞いた」
「あなたが描いた花精霊は、どこの家の人だったの?」
「分からない。傍系の男性だった」
「今、一枚、わたしに見せてくれる?」
エルシーに促されて、シセドは紙とペンを取りに戻り、酒場の中の様子を手早くスケッチしてみせた。
エルシーは感嘆の声を上げた。「わあ、本当に実力があるのね」
シセドは褒められた途端に顔を赤くし、顔をそむけて言った。「得意なのは油絵なんだ。でも、それには時間がかかる」
「セースは最近すごく忙しくて、あなたに会う時間はないかもしれないわ。それまでに、作品をいくつか増やしておくのはどう?それまでの間、お金は先に貸してあげる。住まいは、この酒場の二階にすればいいわ。ここなら安全だし、わたしは店主と仲がいいから、よく面倒を見てもらえるはず。ちょっとうるさいけど」
「ありがとう。この街の風景を先に描きたいんだ。うるさいのは構わない」
「ここに、何か描きたくなるくらい美しい場所があるの?」
「故郷にいた頃は、風景画ばかり描いてたんだ。あそこは本当に美しい場所だから。もしあそこで生まれていなかったら、きっとこんなにたくさん風景画を描くこともなかったと思う」
「あなたの故郷は、どんな場所なの?」
シセドが故郷デルヴォのことを語り始めると、その目には熱のこもった光が宿った。
デルヴォには小さな橋と川がいくつもあり、国で最も重要な運河に寄り添うように広がる、ステンドグラス工芸の中心地だった。芸術品の取引が盛んなため、多くの水精霊や木精霊がこの街を訪れる。シセドはこの小さな町を深く愛していて、幼い頃から画家の弟子となり、さまざまな時間帯、さまざまな区域のデルヴォを描くことに夢中になっていた。だからこそ、人物画よりも風景画のほうが得意だった。
エルシーは言った。「罪悪の街は、かなり醜いけどね。描くようなものは何もないわ」
「お金を稼ぐには、たいてい人物画の依頼を受けるんだ。ただ、時間がかかるけど」
「画材も、お金がかかるわよね?今のあなたは、何も持ってないんでしょう?」
シセドは顔をそむけた。
エルシーは言った。「じゃあ、まずわたしの肖像画を描く仕事を依頼するわ。画材と絵の具は、わたしが用意する。描き終わったら、セースに見せに行く。彼があなたに力があると思えば、そのあとの仕事を手配してくれるはず」
シセドは姿勢を正して立ち上がり、エルシーに向かって頭を下げて言った。「ありがとう」
「わたしの美しさを、全部描き切ってよね!それに、できるだけ早くね。じゃないと、セースが出かけてしまって面倒なことになるから!」
三日後、シセドは絵を仕上げた。エルシーの半身像だった。
絵の中のエルシーは、いたずらっぽい笑みを浮かべ、片手で頬杖をつき、肘を酒場の木の卓に預けていた。桃色の長い髪は艶やかな光沢をまとい、生き生きとした瞳は、まるで何か人をからかう悪戯でも企んでいるかのようで、露わになった腕には、かすかな筋肉の線が浮かび、襟元に結んだ絹布の柔らかくたなびく質感までもが、見事に描き出されていた。
エルシーは大いに満足し、さらに嬉しいことに、セースもこの絵をとても気に入り、すぐにシセドを自分の芸術家チームの一員として迎え入れた。種族天賦が「芸術的美感」である水精霊のもとに付くことで、シセドの才能は、最も良い形で発揮されることになった。
出航していないこの間、任務のない時間には、エルシーはいつもシセドのもとを訪れ、彼が罪悪の街の風景を描くのを眺めながら、今ではすっかり修繕されたこの橋が、かつては麻薬売人たちの取引の場だったのだと、あれこれ話して聞かせた。
エルシーは言った。「ここ、変わるのがすごく速いの。どんどん良くなってる。いつか、あなたの故郷にも負けないくらいになるわよ」
シセドは答えた。「競争してるわけじゃない」
「故郷が恋しい?あなたは、辛い思いをしたからここを離れたって言ってたけど、故郷そのものは、本当に素晴らしい場所なんでしょう?わたしも、家の事情でここに来たけど、やっぱり安美伊緹絲のことは恋しく思うもの。アイセンティア王国の王都よ。本当に美しい場所なの。能言獣と人間、精霊族が共に暮らしていて、どこもかしこも植物の清々しい香りがして。建物もとても美しいわ。千年の古都なのに、よく保存されてる。わたしは夕暮れが一番好き。街じゅうの灯りが一斉に点る瞬間が。まるで一筋の銀河みたいなの」
「機会があれば、僕も見に行ってみたい」
「城主はもう手配を終えてるから、もうすぐわたしも戻るの。弟と妹を迎えに行かなきゃ。あなたも一緒に来る?」
「ずいぶん早く僕を信用するんだな」
「どのみち、あなたじゃわたしの指一本にも敵わないもの。それに、あなたが小アンウィとホーネグを描くところを、見てみたいの」
いつものように、シセドは静かに絵を描きながら、エルシーが弟や妹がどれほど可愛いか、幼い頃にどんな面白い出来事があったかを延々と語るのに耳を傾けていた。やがて、エルシーはシセドにも、自分の過去を語るよう促した。シセドには兄弟姉妹はおらず、物心ついたときにはすでに、画家の弟子として押しつけられていた。弟子時代の暮らしは厳しく、収入のほとんどは師匠の懐に入り、ほかの弟子たちとは陰に陽に争い合い、シセドの絵をこっそり壊されたり、金を盗んだと濡れ衣を着せられたりすることもあった。
彼は言った。「師匠は、僕らのことを兄弟姉妹のようなものだと言ってたけど、僕にはまるで、本来あるべき兄弟姉妹の姿には見えなかった」
エルシーは尋ねた。「実の父親や母親を探したいと思う?」
「母は、僕を産んですぐ、難産で亡くなったんだ。父については、関わりたいとさえ思わない。せめて、母の出産を助ける治療師を一人呼ぶことくらい、できたはずなのに、彼は何もしなかった」
「それで思い出したわ。ある船員――というか、海賊って言うべきかしら――その人と、親のことを話したことがあるの。その人、故郷に残してきた息子が、いつか自分と同じように航海に出て、海の上で巡り会えたらいいって言ってたのよ。わたしは言ってやったわ、何よそれって。探すなら母親でしょう、母親は少なくとも子供を産んで初めて母親になるんだから。でもあなたは、父親だってだけで、何もしなくても父親になれるなんて、都合が良すぎるでしょうって。そのとき、彼とは大喧嘩になった。もっとも、殴り合いにはならなかったけど。わたしには敵わないから。わたしの育ての母は花精霊の女性だから、当然、祭司として祭壇で修行する身。育ての父は高位の木精霊貴族で、一日中外で遊び歩いて、あちこち旅行してる。花精霊の一族は女性が族長で、女性が尊ばれる仕組みだけど、だからって女性のほうが本当に恵まれてるのかしら?実のところ、男女は関係ないの。大事なのは、選ぶ権利があるかどうか。わたしは、小アンウィとホーネグに、自分が望む暮らしを生きさせてあげたいの」
「それが、本当の兄弟姉妹の感覚なんだな」
「違うわ。わたしが小アンウィとホーネグを愛してるのは、血が繋がってるからじゃない。呼び方も血縁関係も、全部まやかしよ。本当に大事なのは、わたしが心から、本当に彼らを愛していて、最後の瞬間まで、彼らのために戦うということ」
「君は、立派な人だな」
エルシーは笑って言った。「残念ながら、わたしはこれから先もずっと『オフィーリアの娘』であり続けるんだけどね。わたしの母は、わたしよりずっと偉大な人だから」
「僕にとっては、君はエルシー・ペナイシュだ。名前も姓も、たいした意味はない。ただ、君を見分けるための言葉にすぎない」
エルシーはその言葉を噛みしめるように味わい、満面の笑みを浮かべて言った。「そうね、名前は呼びやすくするためのものだもの。別に、嫌う必要もないわね。本当にわたしを愛してくれる人にとって大事なのは、わたしの名前じゃなくて、わたし自身なんだから」
「僕が絵を好きなのは、絵の中でなら、自分の考えを伝えられるからなんだ。たとえば、僕の目にこの街がどう映っているか、誰かがどんな人なのか。言葉で説明するより、ずっと簡単なんだ」
「じゃあ、わたしは、あなたの目にはどう映ってるの?」
シセドの耳がまた赤く染まり、彼は無理やり冷ややかに答えた。「あとで、絵に描いて見せるよ」
残念ながら、シセドが改めてエルシーの肖像画をじっくり描き上げる時間は、もうなかった。
ついに、罪悪の街とアイセンティアの間で、商貿協定が結ばれたからだった。
それと同時に、アンウィ・ペナイシュがまもなく結婚するという知らせも、エルシーの耳に届いた。




