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悪役令嬢が消えた  作者: 渚月(なづき)


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第8話 宰相補佐官の告白

管理人の死により、宮廷は緊張に包まれていた。


 評議会は薬草園を封鎖し、すべての宮廷薬の使用を一時停止した。民間の薬師からの仕入れが急遽拡大され、わたしが辺境から持ち込んだ薬草の一部が、宮廷で使われることになった。


 王太子アルベルトが、初めてこの件について口を開いた。


「薬草園の件は、速やかに解決せよ」


 それだけだった。状況を把握しているのかどうかすら、わたしにはわからなかった。関心があるのか、ないのか。そもそもこの騒動が、彼が仕組んだ追放から始まっていることを、この人は理解しているのだろうか。


 わたしの追放を宣告したあの王太子は、今も広間の玉座に座っている。あのとき感じた冷たさは、今も変わらない。


(あの人は──利用されていたのだろうか。それとも、すべてを知っていたのだろうか)


 その答えは、まだ出ない。今は、目の前の敵に集中する。


 ヴァンゲルトは評議会に書面を提出した。クラインベルク商会との取引はすべて適正であり、親族関係については「公私を分けている」と主張した。毒草については「管理者の過失」とし、植え替え記録の改竄は「確認できない」と否定した。


 書面は巧妙だった。一見、筋が通っている。法的な文言を使い、責任の所在を曖昧にし、直接的な否認を避けながら、全体としては無実を主張している。おそらく宰相府の法務に長けた人間が助言している。


「やはり書面だけでは崩せない。直接の証言が要る。物証と証言の両方が揃って、初めて壁が崩れる」


 わたしが呟くと、ダーレンが訪ねてきた。珍しいことだった。彼は宿には来ない。人目を避ける人間が、わざわざ足を運ぶ。それだけで、ただ事ではないとわかった。


「話がある。二人だけで」


 ハインツは席を外した。わたしの目を見て、頷いて、部屋を出た。信頼しているが、これはダーレンの意志だ。


 ダーレンは椅子に座り、しばらく黙っていた。窓の外を見ていた。それから、ゆっくりと口を開いた。


「わたしは──あなたの追放に関与した」


 息が止まった。


「……どういう意味」


「ヴァンゲルトが追放の計画を持ちかけてきたとき、わたしは反対しなかった。公爵に頼まれていたにもかかわらず。評議会の場で、黙っていた。黙っていれば、追放は進む。反対しなければ、それは賛成と同じだ」


「なぜ」


「恐れたからだ。ヴァンゲルトの背後には宰相がいる。宰相のベッカートは、三十年この宮廷を支配してきた人間だ。宰相に逆らえば、わたしの家族にも危害が及ぶ。妹が一人いる。宰相府の侍女として働いている。人質のようなものだ」


 ダーレンの声は淡々としていた。けれど、その指は膝の上で微かに震えていた。この人の震えを見るのは、初めてだった。


「あの日、評議会の場でわたしが声を上げていれば、あなたは追放されなかった。あなたが追放されなければ、公爵が一人で動く必要もなかった。すべては、あそこで黙ったわたしから始まっている」


「……」


「あなたに報いる方法は、もうこれしかない」


 ダーレンはポケットから、封筒を取り出した。古い封筒だった。何度も開封された跡がある。


「これは、ヴァンゲルトが宰相に宛てた私信だ。クラインベルク商会を通じた予算の横流し、薬草園の管理者交代の計画、そして──公爵を排除する必要があるという記述がある」


 封筒を受け取る指が、自分のものではないような感覚だった。中身を開くと、ヴァンゲルトの几帳面な字が並んでいた。


 そこには、すべてが書かれていた。


 わたしの追放は、薬草園の利権を手に入れるための第一段階だった。品質管理のできる人間を排除し、知識のない管理者を据え、毒草の混入経路を確保する。クラインベルク商会を通じて薬草の仕入れ価格を水増しし、差額を宰相府の裏金に回す。年間で莫大な金額が動いていた。


 そして、それに気づきかけた公爵──わたしの父を、薬草園の毒を使って──。


 文字が滲んだ。涙ではない。手の震えで、焦点が合わないのだ。呼吸が浅くなった。深く吸って、吐いて、もう一度吸った。


「どうやってこれを手に入れたの」


「ヴァンゲルトの執務室の金庫から。合鍵は、かつて宰相が補佐官全員に配布したものだ。宰相府の金庫は共通鍵で、管理が杜撰だった。ヴァンゲルトはそれを知らなかったのだろう」


「これを出せば、あなた自身も……」


「窃盗の罪に問われるだろう。だが、構わない。最初から覚悟している」


 ダーレンの目は、初めて人間らしい光を帯びていた。後悔と、覚悟。そして──赦しを求めてはいない目だった。赦されるつもりがない。ただ、正しいことをするために来た。


「この書簡は、わたしから評議会には出せない。盗んだ人間の手から出た瞬間に、盗品扱いで証拠能力を失う。だが、あなたが手にすれば──」


「やめて」


 わたしは首を横に振った。


「あなたを許すとは、まだ言えない。でも──あなたが持ってきたこの証拠は、受け取る。あなたの覚悟も、受け取る」


 ダーレンは僅かに目を伏せた。頷いた。それ以上は何も言わなかった。



 翌日、わたしは証拠を携えて評議会に臨んだ。


 ヴァンゲルトの私信。薬草園の改竄記録。クラインベルク商会の品質報告。ナターシャの証言の記録。管理人の死亡状況の報告。


 すべてを、順序立てて提示した。観察し、仮説を立て、検証し、証拠を提示する。わたしのやり方だ。薬草を育てるように、丁寧に、一つずつ。


 議場は静まり返っていた。


 ヴァンゲルトは最初、私信の存在そのものを認めなかった。筆跡鑑定の要請すら、盗品を根拠にした手続きだと退けようとした。だが、議長が書簡の実物を取り上げ、封蝋と便箋の透かし紋の一致を認めた瞬間、ヴァンゲルトの抗弁が途切れた。


「それは──盗まれたものだ。証拠として認められるはずが──」


「私信の内容が事実かどうかが問題です。盗まれたかどうかではありません。書かれている金額、日付、人名──これらが事実と一致するかどうかを、評議会が確認すればよいのです」


 わたしの声は、自分でも驚くほど静かだった。胸の底には熱があるのに、指先までは届かせない。届かせれば、この場で負けると知っていた。


 議長が問うた。


「ヴァンゲルト財務官。この書簡の内容は事実か」


 沈黙。


 長い、長い沈黙の後、ヴァンゲルトは崩れるように椅子に座った。柔和な仮面が、音を立てて剥がれ落ちていく。


「……この字は、わたしのものだ。それは認める。だが、書いたのは個人的な覚書に過ぎない。誰かに宛てた指示ではない」


 議場がざわめいた。筆跡を認めながら、内容は個人的な覚書だと主張する。巧みな後退だった。共犯者の名は、最後まで口にしない。追い詰められてもなお、自分一人の罪に押し込めようとする計算が働いている。この男は、まだ完全には崩れていない。


 わたしは表情を変えなかった。けれど、胸の奥で何かが軋んだ。


 この男の背後に、父の死がある。そのことは、もうわたしの中で確信になっていた。けれど、確信と証明は違う。この場では、まだ名を呼ばせることができない。


 焦ってはいけない。ここで急げば、ヴァンゲルトはすべてを個人の覚書として処理し、背後の人間は無傷のまま逃げる。一番奥にいる相手を引きずり出すには、もう一歩、別の舞台が必要だった。


 評議会はヴァンゲルトの身柄を宮廷警護隊の監視下に置き、さらに三日の審議期間を設けることを決めた。正式な拘束にも、黒幕への追及にも、まだ一枚壁が残っている。けれど、その壁を崩す算段は、すでに始まっていた。


 廊下に出ると、ハインツが窓辺に立っていた。外の光を背に、こちらを振り返った。


「どうだった」


「半分だけ。あの男は、自分の筆跡は認めたけれど、黒幕の名は出さなかった。まだ、守っているものがある」


「次の山は、その名前を引きずり出すことか」


 わたしは頷いた。そして、ハインツの顔を見た。


「ハインツ。ありがとう」


「何がだ」


「ずっと、隣にいてくれたこと」


 ハインツは少し笑った。不器用で、温かい笑顔だった。視線だけは、真っ直ぐにわたしを捉えて離さなかった。


「礼を言われる筋合いはない。俺が勝手にいただけだ」


 わたしの目の奥が、静かに熱を持った。けれど、この熱は、まだ外に出してはいけないものだった。


 まだ、もう少しだけ。


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