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悪役令嬢が消えた  作者: 渚月(なづき)


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第6話 沈黙を破る薬

父の手紙を手がかりに、わたしは薬草園の植え替え記録を探した。


 植え替え記録とは、どの区画にいつ何を植えたかを示す台帳だ。わたしが管理していた頃は、すべての変更を日付入りで記録していた。何月何日、第何区画、何を抜いて何を植えたか。天候や土壌の状態も付記していた。それが、薬草園の「記憶」だった。


 宮廷薬局の書庫は、今も施錠されていない。施錠する必要がないほど、誰もこの記録に興味を持っていないということだ。地味な書類仕事を重要だと思う人間は、この宮廷にはもういない。


 台帳を開いて、わたしは目を疑った。


 記録が書き換えられている。


 わたしの筆跡を模倣した──しかし微妙に違う──字で、いくつかの植え替え記録が上書きされていた。本来そこにあったはずの薬草の名前が消され、別の名前が書き込まれている。わたしの字は縦線がやや右に流れる癖がある。この書き換えは縦線がまっすぐだ。よく似せているが、わたしの字ではない。


(これは……わたしが在籍していた時期に、わたしが植えたことにされている)


 つまり、第七区画に植えられた今の株は追放後に仕込まれたものなのに、記録上はわたしが在籍中に植えたことになっている。おそらく、以前は人目につかない別の場所で密かに栽培されていたヘレボルスを、わたしが去った後に、より大量に──薬の材料に紛れやすい区画へ移し替えたのだ。万が一毒が発覚した場合、罪はわたしに被せる算段だ。追放された悪役令嬢が、最後に毒草を仕込んでいた──そういう筋書き。


「用意周到ね……」


 けれど、書き換えには痕跡が残る。インクの色が微妙に違う。古い記録の上に新しいインクで書けば、乾き方が異なる。光に透かせば、下の元の字が僅かに見える。


 羊皮紙に使われるインクは、鉄とタンニン酸の化合物──没食子インクと呼ばれるものだ。オーク等の木にできる虫こぶ(没食子)からタンニン酸を抽出し、硫酸鉄と混ぜて作る。書いた直後は薄い灰色だが、空気に触れて鉄が酸化すると、次第に黒褐色に変わる。古いインクほど酸化が進み、深い黒になる。新しいインクは、まだ青みが残る。この色の違いは、書き換えの決定的な証拠になる。


 わたしは該当する頁を丹念に記録した。書き写すだけでなく、ハインツに頼んで紙を光に透かしながら、下に見える元の文字も読み取った。


「元の記録にはセージと書いてある。それがヘレボルスに書き換えられている」


「セージを抜いて毒草を植えた、ということか」


「そう。しかも、わたしが植えたことにしている。巧妙ね。でも、インクの違いは誤魔化せない。時間の経過という証人は、買収できないの」


 証拠がまた一つ増えた。



 その翌日、わたしは辺境から持ってきた薬草を宮廷薬局に正式に納入した。セイヨウノコギリソウ、カモミール、ペパーミント。どれも基本的な薬草だが、品質は確かなものだ。リンツァーの土地で、わたし自身の手で育てたもの。


 薬局の事務官たちは、わたしの薬草を検査した。品質は問題なし。むしろ、最近の仕入れ品よりはるかに良質だという評価だった。


「こんなに状態のいい薬草は久しぶりだ。色も香りも鮮やかで、乾燥具合も完璧だ」


 事務官の一人が、思わずといった様子で言った。


「以前はこれが当たり前でした」


 わたしの言葉に、事務官は口を噤んだ。わかっているのだ。品質が落ちたのは、仕入れ先が変わったからだと。でも、それを口にすることはできない。口にすれば、ヴァンゲルトに目をつけられる。


 納入を終えて廊下を歩いていると、後ろから足音がした。軽い、リズムのよい足音。


「イルザさん」


 ヴァンゲルトだった。前回と寸分違わぬ、人好きのする表情。


「良い薬草をありがとうございます。辺境であれだけのものを育てるのは、大変でしょう」


「慣れていますから」


「ところで、少しお話があるのですが。今夜、食事でもいかがですか。宮廷近くに良い店がありまして。辺境の薬草事情について、もっとお聞きしたい」


 誘い。警戒した。けれど、表情には出さなかった。


「ありがたいお申し出ですが、今夜は先約がありまして」


「そうですか。残念です。では、また改めて」


 ヴァンゲルトは去り際に、ふと足を止めた。振り返る動作が自然すぎた。計算された動き。


「そういえば──ナターシャという侍女をご存知ですか?」


 心臓が跳ねた。けれど、わたしの足は止まらなかった。歩きながら振り返った。立ち止まれば、動揺を悟られる。


「ええ。以前のわたしの侍女です」


「最近、姿が見えないのですよ。どこかへ行ったのかと思いまして」


 わたしはヴァンゲルトの目を真っ直ぐ見た。その目は笑っていた。口元も笑っていた。けれど、その奥にある感情は──探りだった。どこまで知っているか。何を掴んでいるか。それを、この男は笑顔の裏で計っている。


「存じません」


「そうですか。まあ、侍女は入れ替わりが激しいですからね」


 ヴァンゲルトが去った後、わたしの手は冷たくなっていた。


 あの男は知っている。ナターシャがわたしに会いに来たことを。そして、ナターシャがもういないことを。


 知っていて、探りを入れてきた。


(焦っているのか。それとも、わたしを試しているのか)


 宿に戻ると、ハインツが地図を広げていた。


「クラインベルク商会の倉庫の場所がわかった。王都の東区画、川沿いだ。古い倉庫街の端にある」


「倉庫?」


「薬草の仕入れ先が一本化されたなら、そこにすべての薬草が集まっているはずだ。品質の悪い薬草を故意に納入しているなら、証拠は倉庫にある」


 わたしは頷いた。


「行きましょう。でも、忍び込むのではなく、買い付けの客として」


「客として?」


「わたしは辺境の薬師。リンツァーの薬屋に卸すために、新しい仕入れ先を探しているという設定なら、不自然ではない。商会は客を拒まないわ」


 翌日、わたしたちはクラインベルク商会を訪ねた。倉庫は川沿いの古い建物で、看板だけは立派だった。金箔の文字。新しい看板。中身と外見の落差が、すべてを物語っている。


 応対に出た商人に、薬草の見本を見せてもらった。


 そして、わたしの目は一瞬で見抜いた。


「この薬草──乾燥が不十分ね。葉の中心にまだ水分が残っている。この状態では保管中にカビが生える。保管温度も適切ではない。すでに初期段階のカビの胞子が見える」


「え、そんなはずは──」


「それから、このラベルにはカモミールと書いてあるけれど、花弁の形状が違う。これはカモミールではなく、マトリカリア。見た目は似ているけれど、薬効が異なるわ。カモミールの花托は中空で、マトリカリアの花托は詰まっている。割れば一目瞭然よ」


 わたしは花を手に取り、指で裂いた。花托の断面を商人に見せた。詰まっている。マトリカリアだ。


 商人の顔が強張った。


「ここの薬草を宮廷に納入しているの?」


「そ、それは──」


「品質管理はどなたが?」


 商人は何も答えなかった。額に汗が浮いていた。


 わたしは心の中で、証拠の山にもう一つ石を載せた。


 帰り道、ハインツが言った。


「あの商人、誰かに連絡するだろうな」


「ええ。ヴァンゲルトに。でも、それでいい」


「いいのか?」


「追い詰められた人間は、必ずミスをする。わたしたちがここまで調べていると知れば、ヴァンゲルトは何か手を打つでしょう。証拠を隠すか、人を動かすか。その動きが、次の証拠になる」


 ハインツは少し笑った。


「あんたは本当に──冷静だな」


「冷静じゃないわ。怒っているの。ただ、怒りで動くのは敵と同じになってしまうから。怒りは燃料にはなるけれど、舵にはならない」


 ハインツが、わたしの隣を歩く歩幅を、少しだけ狭めた。並んで歩く距離が、少しだけ近くなった。肩が触れそうで、触れない距離。


 わたしはそれに気づいて、何も言わなかった。


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