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星の守り人  作者: quo


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166/169

砂塵と風、孔雀と鷹

馬車が行く。


晴れ渡る空。ナギルナの冷涼な風。


御者の背は鉄板に貼り付けられているように、背筋を伸ばして手綱を握る。二台の馬車は華美ではないが、道行く者たちは囲む傭兵の群れを見て自ら道を開ける。



セフィルは馬車の中から外を見ている。

光の大樹のこと。森の子のこと。


あの晩、皆が空を見上げる中、セフィルは自室に戻り、椅子に座って頬杖をついていた。カーテンが揺れたかと思うと、アランが傍らにいる。彼は光の大樹を見つめながら言った。シアンは無事だと。ただ、疲れているとも言った。

淡い光が差す部屋。セフィルはアランに何も問いかけない。人々の喧騒が収まるころ、彼はカーテンを揺らす風と共に部屋を去った。セフィルは顔をあげると、光の大樹が消えるまで、それを見つめた。


***


馬車の中、対面に座るソルジエは「二十二回」と言った。セフィルのため息の回数だと言って、彼もまたため息をつく。それにくすりと笑うアレタ。彼女は空気が読めていないことに気付かないでいる。セフィルはいつもの屈託のない笑顔で「緊張している」とだけ答えた。ソルジエはセフィルの目を見つめるだけで黙している。その沈黙とつくろうような笑顔で、やっと場の空気を理解したアレタ。気まずそうに馬車の外に顔を向けるだけになった。馬車の中の沈黙。そう長くはなかった。ソルジエはもう一度だけだと言って、ナスリード国王、マグナリードとの接見の段取りについて話を始めた。


既にロマーナがマグナリード王の知人に接見を願う手紙を出している。知人と言っても、王の算術の師だ。返事は直ぐに来た。「許す」と。


「もうすぐ王都だ。ハーリド皇子は入城していない。予定より遅れている」


先手を打つ。


ソルジエが、これまでに通った街々で幾度も口にしてきた言葉。王都に近づくにつれ、彼の眉間の皺は深くなる一方だった。それに飽きていたセフィルは、車輪が石を踏む音と同じ程度に聞きながら、馬車の窓から空を見上げる。空には一羽の鷹が弧を描いて飛んでいた。


ーーー目が合った。


セフィルがそう思った瞬間。鷹は風を捕まえ大空へ舞い上がり、去っていった。



後尾につける三頭の馬。ナギルナの地を最も速く駆ける馬たちが、物足りなさそうに歩いている。

そんな馬達にまたがるのはアレグレンとオルトス。そしてアラン。

アレグレンは顎を撫でながら黙り、アランは静かに目を閉じている。オルトスは彼の兵の気配を背中に感じながら、戦場の目で辺りを見回す。長い車列と、それを守る傭兵団。街道を行く者達を目だけで遠のける。




アレグレンとオルトスは、道中でアランに光の大樹についてしつこく聞いていたが、彼は口を開こうとしなかった。二人は諦め、無言のまま隊列に収まっている。先行していたオルトスの手下が三回目の「異常なし」の報を受けた時、アランが口を開いた。


「ハーリド皇子が風を掴んだ」


緩やかに、氷のように言う。オルトスは手綱を握り絞める。彼の馬は歓喜の嘶きを上げた。


駆け出したオルトス。セフィルは馬が地をける音に、馬車から顔を出す。迫るオルトスは冷涼な風に血の匂いを乗せ、馬車に投げ込む。それはセフィルに血の鼓動を与える。

セフィルが走る馬車の扉を開けると、身を乗り出すセフィルにロワイスが入城許可状を渡した。


「ちょっと行ってきます」


セフィルは笑顔なく言う。オルトスは馬を飛び降り、セフィルは馬車を飛び出て馬の背に跨り駆けだした。

蹄の音は猛々しく、馬の煮えた体は風を裂く。セフィルを乗せて。


セフィルの背を見送るアレタの足元に、木の葉が舞い落ちる。風が運んできた瑞々しい青い葉。血の風は緑の風に駆逐された。彼女はそれを拾い上げ、大切に胸に抱いた。


***


緩やかに波打つ黒髪の男。髪を後ろに束ね、風に揺らしている。


マグナリード。ナスリード国の王。


細い線と艶のある白い肌。そして、人の心を切り裂く細い目。バルコニーの欄干にもたれて、空を見上げている。城下町。そびえる城壁に開けられているのは砂漠への城門と森への城門。砂漠の匂い。若葉の匂い。彼は目を閉じ胸いっぱいに風を吸い込む。


マグナリードは欠伸をして言った。どちらが早いかと。バルコニーの向こうに広がるきらびやかな世界。金の花の刺繍が走る赤く絨毯。碧が包む白磁の壺。光を映す銀の燭台。そして、部屋を満たす甘い香り。妖艶な女たちが、柔らかな毛布に体を埋め、小さく騒めく。あるものは孔雀の意匠の扇を、またある女は金の刺繍がはいった袖を口元に当て、それぞれに二人の名を言い合い笑っている。



そんな女たちを、彼は鼻で笑う。彼が物憂げにしていると、一人の女が立ち上がった。長い黒髪を風に流し、バルコニーに進み出ると、彼女は空を見上げる。空の青が彼女の碧眼をさらに深くする。そして、白く細い腕を差し出すと、欄干に一羽の鷹が舞い降りた。彼女は鷹を優しく撫でる。そして、そっと耳を近づけると、薄く笑った。



***



砂漠への城門。衛兵は長槍を大地に突き立て、砂塵に目を細める。大地を駆ける影。砂を舞いあげる。彼らは膝をつく。

森につながる城門の衛兵達。腰につった剣に手を掛けている。彼らは迫る緑の風を感じる。


一閃


剣を抜き放った。しかし、風は軽やかにそれを飛び越し、城門を駆け抜けた。剣を仕舞う彼らの足元に、一通の手紙が舞い落ちた。彼らはそれを拾い上げ、蝋印を見ると風の背に膝をつく。


ナスリード国の城下町。迷路のような通りは、城に登る者達を迷わせ、せせら笑う。


砂漠の皇子は真っすぐに突き進む。大通りを横切り、行く手を拒む壁を飛び越え、裏路地を駆けると広場に飛び出した。そこにある市場。屋台を、人をなぎ倒す。市場にいた人々は倒れ込み、潰された屋台から転がり落ちた果実を、砂塵の皇子の背に投げつける。



褐色の肌の青年は、人の間をぬいながら、塀に沿って馬を駆る。市場にたどり着くと、下りて倒れた老婆に手を差し伸べた。老婆は礼を言い、城に行くのかと聞いた。青年が頷くと老婆は問うた。祝福があるのかと。青年は「確かめに行く」と答えた。老婆は青年の手を取ると、一粒の実を渡した。緑の実。固く小さな実。深い緑は空の青より深い。青年が礼を言い、馬にまたがると城を見上げた。市場の喧騒が止まる。子供たちが「あっちあっち」と指をさす。塀の一部が開いている。道が現れ、先には城の袂が見える。青年は馬にまたがると、笑顔で手を振り駆け出した。


走る二人。やがて進む道が近づく。セフィルは建物の切れ目から、砂漠の皇子に目を向ける。若獅子の血の鼓動が視線を押しのける。唯々走る。見ているのは城。そこに鎮座する王。セフィルは目を戻すと、声を上げ手綱を打ち、馬を風に乗せた。


二人は城の内門についた。そこには誰もいない。衛兵も迎えの侍従も。

乗騎は互いに睨み合い、立ち上がり、荒い息で、まだ走り足りないと主に訴える。二人は落ち着かせようとしていると、二人の兵士が現れた。彼らは手綱をつかむと、馬を引き、城に入るように言った。二人は互いに目を合わさず、開け放たれた内門をくぐった。


まだ日は高い。


だが、城壁の隙間から差す日の光は、城の回廊の床をうっすらと照らすだけだ。

二人は進む。誰もいない回廊。空気は冷たく足元を漂い、先を見通すことはできない。あるのは二人の足音だけ。二人は進む。言葉を交わすことなく。立ち止まることもなく。


やがて、明かりが見えた。蝋燭の光。扉の前に一人の使用人の男が立っている。無言で頭を下げ、扉を開くと、明かりが差し込んできた。眩い陽の光。一本の大樹が天を支えるかのように立っている。使用人は階段を上り始める。大樹を取り巻くらせんの階段。上り終えると、重厚で意匠の凝らされた扉が出迎える。使用人は一礼をして階段を下りてゆく。二人が何も言わずに立っていると、扉が音もなく開いた。


出迎えたのは一人の女。黒髪と碧眼。人を虜にする柔らかな笑み。白い肌は、明るい部屋にあっても、白く浮かび上がる。女は二人の手を取る。その手は彼女の柔らかな姿とは裏腹に、氷のように冷たい。女は二人の生気を吸うような手でゆっくりと部屋に引き入れる。一歩一歩が沈み込むような赤い絨毯。その先に男が胡坐をかいて座っている。彼の細い目は何も語らずにいる。


女が二人をマグナリードの前へ座らせた。彼は未だ口を開かない。ただ、女が傍らに座ると金の腕輪を渡した。異国の草花の意匠。自ら輝いている。彼女はそれを、指でくるくると回しながら奥へ消えた。


「いやはや、まさか同着とはね。彼女だけが言い当てた。全員がハーリド皇子に賭けたのだけどもね。彼女には『見る目』がある」


彼女は別格だと彼は言った。セフィルは自らの手を開く。汗で濡れ、わずかだが血の匂いがする。


「綺麗な方ですね。でも、夜にはお会いしたくない。それに、おっしゃる通り『見る目』がある。そう感じます」


セフィルの言葉に、マグナリードは鼻で笑う。


「鷹をみたのかい」


マグナリードの問いに、セフィルは首を傾げる。彼はまた鼻で笑う。



彼が指を鳴らすと女たちが現れ、テーブルに盃を置いて酒を注いだ。手のひらに乗る小さな盃。銀で出来たそれは、透き通る酒を満たし、光りを揺らす。マグナリードは何も言わずに飲み干す。セフィルも続こうとするが、そっとハーリドに目を向けると、彼は盃を見つめたままだ。


「マグナリード王よ。折角だが、私は酒をたしなまない」


マグナリードは謝罪すると、茶を勧めてきた。しかし、ハーリドは水がいいと言った。


「ほう。水かね」


マグナリードは女の一人に命じ、水を用意した。ガラスの水差しとガラスの器。陽の光を歪みなく通すほどに澄んでいる。女が水を注ごうとすると、奪うように水差しを手に取る。そして、自ら器に注ぎ、一気に飲み干した。


その光景をじっと見つめるセフィル。絢爛豪華な王の間。ハーリドが、またガラスの器に水を注ぐ。満たされ揺れる水面を彼は覗き込んでいるだけだ。

セフィルは盃に口をつける。口の中に広がる芳醇な香り。それとは裏腹に喉を炎が焼くほどに強い。マグナリードは顔色を変えずに、女に酒を注がせると、また一気に飲み干す。それぞれが何も言葉を発せずにいる。一人の女が欠伸をする。マグナリードは女たちを下がらせると、自分で酌をしながら話を始めた。


「ハーリド皇子とロマーナが会わせたいという青年。どちらを先に相手をするか悩んでいたが、同時に現れるとは」


マグナリードは「迷惑千万」と言うと、最後の酒を飲み干す。そして、二人に、この場で、それぞれの用件を聞くべきかと問うた。セフィルはロマーナ達を待つと言った。彼らは明日の晩には入城できると言った。マグナリードは頷くとハーリドに視線を向ける。彼は、彼の率いる者達の歩みは遅いと言った。マグナリードは目を閉じ、ロマーナ翁との会食が楽しみだと言って立ち上がった。そして、二人に部屋を用意してあると告げ、席を立つと部屋を出た。



絢爛豪華。天井に描かれた孔雀。二人の皇子がいる。孔雀の黒い目が二人を見下ろしている。楽園を羽ばたく傲慢は、二人を包むように羽を広げている。ハーリドの視界に初めてセフィルが入る。彼のガラスの器。満たされた水面が揺れる。セフィルはすでに空になった盃に口をつける。ハーリドは水差し、セフィルの盃を水で満たす。


水面の孔雀がセフィルを見ている。


開け放たれた窓から風が舞い込む。大きく揺れるカーテン。一際大きな窓に鷹が留まっている。




ハーリドはそれを見ると立ち上がった。セフィルを一瞥するとビロードのカーテンの影に隠れる女に一言、「風呂だ」と言った。女は一瞬呆けていたが、すぐにハーリドを浴場へ案内するために進み出る。部屋にはセフィルが一人。水面にいたはずの孔雀が、天井にいるのに気付く。見上げていると、女の顔が現れた。金環の女だ。


「汗臭い。水場で汗を落として。着替えは用意させるから」



セフィルは自分を見下ろしていた女についてゆく。あの重苦しい扉を開けて、樹の螺旋を下りてゆく。風が大樹を撫でながらゆっくりと舞い上がる。肉厚な葉は揺れない。しかし、時折吹く強い風は、女の黒髪を舞いあげる。大樹の葉は黒を排するように緑をまき散らし、女は乱れた髪を手櫛で整えるだけだ。セフィルはその手に金環が無いのに気付いた。視線を感じ取った女は、自分の部屋に放り投げてきたと言った。セフィルが理由を聞くと、鋳つぶして金の粒にするという。


「腕につけていれば、盗賊は腕を切り落とすでしょ。粒にすれば服の隅にでも縫い付けておけばいい。ばれて身ぐるみ剥がされても、手足も……。命も無事」


そういうこと。


女の言葉にセフィルは姉を思い出す。だが、満ちる空気は故郷と違う。彼が女の背を見つめていると、振り返りもせずに自分のことを話し始めた。

名はエステル。土地の者ではない。妹と旅してこの国に流れついたのだという。農作業を手伝って生計を立てていたが、市場に卸に行くと、店番を頼まれた。エステルが戯れに道行く人に声を掛けると、あっという間に卸した果実も野菜も売れてしまった。


「エステルさんは綺麗だから」


「よく言われるわ」


階段は続く。


市場の売り子が彼女の新しい仕事になった。ある日、城から使者が現れ登城せよと命を受けた。


「それから、あの男が(はべ)らしている女どもと一緒にいるわ」


「そうなんだ。王様はエステルさんには『見る目』があるって言ってたね。とても仕事が出来る人なんだね」


「よく言われるわ」


「妹さんも、きっと美人なんだろうね」


エステルが立ち止まる。セフィルは降りるのを止めない。


「ええ、よく言われているわ」


彼女とセフィルの間は、あと一段だけになる。エステルは振り返る。彼女の碧眼がセフィルの黒曜の瞳を捉えた。


「鷹は見ていない?」


セフィルは頭を搔き、唸りながら「何のことだか分からない」と答えた。エステルは階段から飛び降りる。まだ続く階段。音もなく床に舞い降りる。そして、セフィルに水場の場所を伝えると、乱れた黒髪を後ろへ束ねるように整えながら、外への扉へ歩き始めた。


「ねえ、エステルさん」


セフィルが呼び止め、老婆からもらった実を取り出した。


「これって、何の実?」


エステルはそれを見て怪訝な顔をする。そして、どこで拾ったのかと聞いた。市場で出会った老婆だと答えると、彼女は眉間に皺を寄せ、何かを呟いた後、オリーブだと言った。


「食べられるの?」


「食べられない物が市場にあると思う?」


セフィルは実を陽にかざす。深い緑が輝いている。それを、口に放り込むと彼の顔が歪む。そして、エステルに抗議する。苦くて渋くて食べられないと。


「長い時間、塩漬けにして渋抜きするの」


「ひどいよ。初めに言ってほしかったな」


セフィルの顔は歪んだままだ。エステルは悪びれた様子もなく、井戸の場所を教え、口をゆすげと言うと扉に手を掛け押し開ける。

薄暗い回廊が現れる。二人の皇子が歩んだ道。彼女は回廊へ歩き出す。そして、暗がりに消えた。


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