表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の守り人  作者: quo


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

165/169

光の大樹

女がいる。ヴェールの女。

女の黒衣は月明かりを闇に吸い込んでいる。


おやまあ。夜の散歩で手なずけるとは、さすがは我が主。しかし……。


「後ろの御仁。主が『悪い虫』とお感じの様で。まあ、そうでしょうねえ」


シアンは呟く。マリエルから目を離すことなく。

彼女の背後の獅子。老いた獅子。それはシアンの呟きに何も答えない。代わりにシアンの首筋に冷気が張り付いている。


「ご心配召されるな。我が主は砂漠の皇子様になぞ興味はない。お忙しい方なのです」


老いた獅子は低く唸る。立ち去れと。シアンはそれを鼻で笑う。冷気が彼女の首を締めるように巻きつく。シアンの沈黙に、それは次第に強くなる。彼女は目を閉じると少しだけ指を動かした。地面に指の動いた分だけ跡が残った。それは生き物のようにうねり、古い文字になる。大地の精霊が目を覚まし、ゆっくりと老いた獅子を囲む。冷気は刃になろうとしている。精霊たちは黒曜の刃になろうとしている。


青く冷たい。黒く鋭い。月の明かりが二つを照らす。ゆっくりと辺りに匂いが立ち込める。殺し合いの匂い。

それが満ちようとしたとき、皇子が立ち上がった。


冷気は退き、風が運び去った。

シアンは自分の手のひらを見る。そこには汗が滲んでいる。彼女は「情けない」と呟き、自身を鼻で笑った。


シアンが大地の精霊に感謝の言葉をかけていると、マリエルも立ち上がった。

集落の入口でマリエルを待つシアン。見ているとマリエルは立ち止まり空を見上げた。月の灯りは彼女を照らすが、背後の影は深く暗くなり、不穏を引きずり忍び寄る。


「おやおや。マリエル様。こんなにも体を冷やしてしまって。寝床に帰りましょう。このシアンが体で温めて差し上げます」


急に背後に現れたシアン。マリエルを驚かせる。

マリエルを逃がさないように黒衣で強引に包み込む。いつもはシアンの足を踏んで逃げるマリエルだが、大人しくシアンに体を預ける。そして手に持った小枝をシアンの目の前に出すと、それを彼女に渡す。


「踏んだの。そしたら折れた」


シアンは折れた小枝を見つめる。マリエルは集落へ歩いていく。シアンは小枝を懐に仕舞い込むと、主の後に続いた。


***


「奴らの方が早かったか」


小さく簡素な移動用の天幕の中、ハーリド皇子とムザック。そして兵達がいる。

斥候の報にハーリドは眉間に皺を寄せている。『奴ら』は、ハーリド達の宿営地へ転進し、急速に近づいている。



蝋燭の灯りは揺らめき、重い空気で小さくなっている。

沈黙の中、何も言わずにアリムが入ってきた。彼は、空気を吸い込むとムザックに準備の進捗を聞いた。ムザックは髭を撫でながら、少しの間、天井を見つめて言った。


「今から全員でかかれば夜明け前には」


ムザックはアリムが命じる前に天幕を出た。

ハーリドは全員を見渡すと言った。


「出来るだけ前に出る」


そして、たった十人の『教導兵団』の半数を陣に残すと言った。天幕に沈黙が流れるが、それが満ちる前に『教導兵団』兵達は次々と天幕から出て行く。そして、外が一気に騒がしくなる。ハーリドは自ら剣を取り、立ち上がる。アリムも立ち上がるが、ハーリドの前に立ちはだかる。


「死で赦しを乞う。それで足りるのですか」


若獅子に老いた獅子が言う。ハーリドは剣を抜いた。切先はアリムの喉元に向けられる。


「人を信じ、任せ、そして頼る。王の器がそれを拒むか」


老いてもなお、気高さを宿すアリムの瞳。ハーリドに語りかける。

彼は剣を鞘に収めると、無言で天幕を出た。外にいた従卒が彼の後を追おうとするが、アリムはそれを止めた。ハーリドは行き交う兵卒の中を切り分け消えた。


***


集落の入口。二つの石柱。荒野と人の地を分かつ門。

獣を払うかがり火に浮かぶ一人の男。ナギルナ国の皇子が腕を組んで少女を見下ろしている。


彼の行く手を阻むのは、小さな少女。

瞳に映るかがり火は揺らめかず、男を映さない。

アミラは両手をいっぱいに広げて、火の粉と共に入り口を塞いでいる。



深夜に始まった皇子達の動き。闇夜に響く声と石を打ち付ける音。たたき起こされた人々は、不満より興味をもって、音の方向に目を凝らしている。アミラもその一人だったが、集落の入り口に人影を認めると、一気に駆け出した。そして、今の睨み合いに至る。


人々を天幕に押し込もうとしていたザイフがそれに気付く。慌てて駆け寄り、皇子からアミラを遠ざけた。暴れて父親に抗議するアミラを仲間に預けると、彼はハーリドに騒音の苦情を言った。ハーリドは謝罪の言葉を口にすると、マリエルへの面会を申し入れた。頭を下げる皇子に驚いたが、それ以上に、旅するただの少女の名を口にしたことにザイフは言葉を失う。


どうしていいか分からずに立ち尽くすザイフ。彼の背後から声が聞こえた。振り返るとマリエルがいた。ヴェールの女も。少女は毅然としているが、胸に手をあてている。かがり火の揺らめきで、少女のその手は震えているように見える。


「ザイフさん。皇子さんとお話してもいいですか?」


ザイフは頷く事しか出来なかった。


マリエル達は寝床になっている天幕に入った。外は霜が降りるほど寒い。暗い冷気が天幕に満ちている。寒さに慣れないマリエル。彼女は「寒い」と言い、シアンに、もっと焼石をもってくるように頼んだ。シアンは主の命に抗おうとしたが、マリエルはシアンを見ようとしない。仕方ないのでハーリドを睨みつけると天幕を出た。


二人は向かい合う。ハーリドは石のように座し、マリエルは羊の毛の毛布に座っている。それは、彼女がさっきまで包まっていたものだ。寒さに震えるマリエルに、ハーリドは着ていた外套を投げて渡した。その外套は柔らかく、薄いが天幕の内の冷気を払うのに足りる。マリエルは礼を言うが、彼は何も言わない。


ハーリドは眉間に皺を寄せ、マリエルを睨むように見る。だが、マリエルの瞳は澄んだままだ。


「人であり、人ではないものが近づいている。我々が全力をもって討つ」


彼は拳を握り締める。マリエルはハーリドが、次の言葉を吐く前に頷き、「シアンは強い」と言った。

ハーリドは肺の空気を吐き出す。誰にも気付かない程にゆっくりと。すると、彼の拳に入れた力は自然に抜けた。彼が立ち上がると、マリエルは「自分の目で確かめたい」と言った。


ハーリドは彼女を見下ろすが、瞳を見ようとしない。そうして「勝手にしろ」と言って天幕をでる。マリエルは彼を追って外套を返そうとするが、ハーリドは「くれてやったもの」と言って立ち去った。外の寒さのなか、外套に包まるマリエル。それは外の冷気を払うのには足りない。


「マリエル様。中に入りましょう。そんな薄い外套では寒さは防げません」


いつの間にか、マリエルの背後にシアンがいる。彼女が手にする籠には沢山の焼石がある。だが、その熱は去り、冷たくなっている。


「言いたいことが沢山あります。たとえ主であっても」


マリエルはシアンに抱き付くと「暖かい」と言って彼女の胸に顔を埋めた。

冷え切ったシアンの体を、マリエルの言葉が包み込む。


「シアンは優しい。そして強い」


「マリエル様は『我儘』という言葉をご存じで?」


「うん」


シアンはため息をつくばかりだった。


***


ハーリドが戻った彼らの天幕は粗方片付き、代わりに木箱の蓋が散乱している。その中を行き交う者達。ムザックはその者達に、髭を撫でながら指示している。彼はハーリドの存在に気付いても髭を撫でることを止めない。


「進捗は」


ムザックはハーリドの言葉に唸るだけだ。


「準備が出来た物からでいい。兵に渡せ」


彼はそう言って立ち去った。



ハーリドが指揮所として残された天幕に向かう。兵達は整然と並び、その先頭にアリムがいる。


「いかがでしたか」


アリムの言葉にハーリドはゆっくりと息を吐いた。そこにいる兵達の視線が集まる。


「全員で臨む」


兵達は目を閉じ、声なく歓喜する。そこに、斥候の兵卒が駆け寄りハーリドに膝をつき言った。「間もなく」と。斥候の兵卒は歯を打ち鳴らし震えている。

ハーリドは無言で歩き出す。アリムも兵達も無言で歩き出す。忙しく走り回る人々の足が止まる。その足は震えだし、そして、地にひれ伏した。



『教導兵団』の兵達。

兵卒達が彼らの馬を引いて来ようとするが、馬達は何かを感じ取り、暴れていななき、彼らをなぎ倒す。兵卒達が口に入った砂を吐き出していると、『教導兵団』の兵達が現れた。馬達は彼らを目にすると、鼻息が荒いまま動かなくなる。兵達は轡を引き鞍を付ける。その姿を兵卒達は呆然と見つめていると、ムザックの配下の者達が木箱を持って現れた。彼らは十数個の木箱を慎重に地面に置く。中には赤い石の付いた矢、青い流紋の紋章がついた大盾、そして、黒曜の剣がある。


兵達がそれぞれに手に取り身に着けてゆく。ハーリドはゆっくりと黒曜の剣を手に取り、闇夜にそれを掲げ振り下ろし闇を斬った。切れ味に満足するハーリド。砂の匂いに紛れる緑の匂いに気付く。目を凝らすと何者かがいる。マリエルだった。

ハーリドは、未だ地べたに座り込んでいる兵卒に、彼女に馬を用意するように言った。


まもなく軍馬がやって来る。兵卒を引きずりながら。軍馬は兵卒を放り、マリエルの前に立つ。彼女は立ったままだ。軍馬は彼女の匂いを嗅ぎ、身を寄せると頭を垂れた。軍馬の顔を撫でるマリエル。軍馬は落ちている鞍の所まで行くと、自ら「つけろ」と言うようにいななく。


その光景に一人の兵が手を止めた。兵は手にした矢を見つめると、握り締めて矢筒に収めた。



***



やれやれ、やはりこうなったか。


シアンは集落の物見櫓に立ち、マリエルと『教導兵団』の動きに目を凝らす。ヴェール越しに、胸いっぱいに風を吸い込むと体の中に異物が入り込む感覚に襲われる。咳き込み、風の流れてくる方向を見ると大きな闇が遠くに揺らめいている。


シアンが眉間に皺を寄せてそれを見ていると、足元が騒がしいのに気付く。

集落の男達が女子供を天幕に押し込めている。彼らはそれが終わると、手に古びた剣と鎌を手に取り広場に集まる。彼らが放つ熱は渦を巻いてシアンの足元にまで昇っている。彼女はその熱を自らの冷気で払う。


「無駄なことを。しかし、主の命だ。私はそれに従うのみ」


彼女は目を固く閉じるとそう呟いた。彼女は小さくため息をつくと、両腕を広げて古い言葉を紡ぎ始めた。


***


駆けている。荒れ地の乾いた砂が舞い上がる。

軍馬の群れ。軍馬の目は血走り息は荒い。またがる者達。息は深く血の巡りは彼らから『人』を奪う。


やがて濃くなる闇。ひるまず駆ける彼の後尾につけるマリエルは、胸に手を当てる。

そして思い出す。この息苦しさを。


先頭を行くハーリドが身を起こす。兵達は剣を抜き、弓を握りしめ、大盾を構える。

やがて陣形を変える。それは矢のように鋭い。走るにつれてその鋭さは増し、やがてうねり始め、蛇になる。

ハーリドが剣を抜き掲げる。その先にあるのは砂塵をまとう闇だった。


蛇は風を切りながら闇を取り囲む。

兵達が矢を放つ。吸い込まれるように闇に消えた矢。やがて赤い光となって弾けて闇に穴を穿つ。次々に矢が放たれて闇が大口を開けると、そこには数十の騎兵がいた。純白の衣。穏やかな緑の帯。首から下げた神の御印。手には錫杖。聖王国の僧侶だった。

彼らの目には精気はない。ただ正面を見ているだけ。その中央に黒衣の男がいる。手に掲げられた錫杖の先端には琥珀がある。


黒衣の男がそれを振る。

僧侶達の顔が歪む。呻く(うめ)。食いしばる口から血がただれる。巻き上げられる砂の音。歯が割れる音が重なり空気を揺らす。

口から血が滴り落ちる。それは純白を赤く、赤黒く染める。


黒衣の男が錫杖をハーリドへ向ける。僧侶達は彼に馬を向けるが目は虚ろ。

兵達が迫る僧侶達に矢を放つ。黒衣の男が錫杖を振り上げると、闇が立ち上がり矢を吸い込む。そして、錫杖の琥珀が鈍く光る。矢は光を失い地へ落ちた。


闇の中で鈍い光を放つ琥珀。複雑な軌道で走る。

地面が激しく波打ち、砂が巻き上がり小石になる。肉を引き裂き骨を砕かんと、鋭い杭となりハーリドへ襲いかかる。

アリムが叫ぶ。大盾の兵が馬を飛び降りハーリドの前に躍りでる。

盾の流紋に青い光が走る。光は辺りを包み、荒れ狂う石の杭を弾く。僧侶達が高らかに賛美歌を叫ぶと杭の勢いが増す。


流紋は次第に光を減じ、大盾は削られてゆく。軍馬達は杭に肉を引き裂かれ、悲鳴を上げて倒れてゆく。盾を構える兵達の呼吸は乱れる事無く、目を見開き盾の向こうを見ている。ハーリドは黒曜の剣に手をかけ静かに目を閉じている。


蛇は二手に分かれる。アリムに従うは四人の兵。側面を駆ける。

闇から飛び出て襲いかかる僧達をアリムが薙ぎ払う。


四人は弓に矢をつがえる。


一人。全身全霊で弓を引き絞り放つ。光が闇に小さな穴を穿つ。

一人。息を深く吸い、細く吐き出し放つ。小さな穴の奥。光は弾け闇を払う。

一人。目を細め一射。黒衣の男の首を射抜く。錫杖の動きが止まる。

最後の兵。目を見開き、呼吸はなだらか。駆ける軍馬に跨り、舞う砂で風を読む。


息が止まった。


放たれた。風は切り裂かれ悲鳴を上げる。そして、琥珀は砕ける。

闇が跡形もなく消え去る。


若獅子の咆哮。駆ける。


大盾は投げ捨てられ、剣を抜いた兵達が後に続く。振り下ろされた黒曜は僧侶の錫杖を斬り、腕を斬り、喉を掻く。

側面を行く兵達が矢を射続ける。矢は僧侶の頭を突き抜け、胸を裂く。


矢は尽きる。兵達は弓を捨て抜刀する。



マリエルは見ている。

血が舞っている。緩やかに。空に昇るように風に乗り、彼女の元まで流れてくる。

彼女は手を伸ばす。血は霧雨のように手に降り注ぐ。


***


「やはり駄目か」


琥珀が砕け統率を失った僧侶達。腕のない者は走り、足のない者は這い、四肢のない者は讃美歌を叫ぶ。

未だ無傷の僧侶は量をしてハーリド達を圧倒する。それでもハーリド達は息を乱すことなく黒曜の剣で舞い、僧侶達を肉に変えている。血の飛沫が甲冑にへばりつく。次第に息が乱れだす。終わりが近づくが、若獅子は退かない。


ハーリドは待っていた。それは『終わり』。この世界の争いの『終わり』。

僧侶達の動きが止まる、そして身を翻し膝をつき、一つの方向に向き讃美歌を歌いだす。その先にあるのは黒衣の男だった。


未だ馬に跨る黒衣の男。頭は力なく揺れ、首を貫いた矢がそれをつなぎとめている。目は虚空を見るが、手は別の生き物のように矢を掴むと引き抜き放り投げる。黒衣の男の頭が落ちる。体だけになった男が錫杖を掲げる。高らかに。

僧侶達の体から美しく輝く光の粉が沸き昇る。そして消えてゆく。

次々と倒れる僧達。光の粉は一層、輝きを増して渦を巻き、そして、黒衣の男の杖に絡みつく。


光は何かの形を作り始める。

ハーリドは立ち尽くし、彼と兵達は目の前の光景に息を吞む。琥珀だった。



アリムは叫んだ。

ハーリドの名を。アリムの叫びでハーリドは我に返る。そして、アリムの指さす方角を見ると、空に小さな光が昇り、落ちてゆく。それは風に運ばれ消えようとしている。ハードリは「散れ」と叫び、走り地に伏した。


眩い光に夜が退く。そして、集落から轟音と煙が疾風となって風を散らす。眩い光が空高く駆けあがり黒衣の男の頭上に達する。そして、一時、空に留まる。太陽のように。


光は弾ける。音は無い。あるのは光の破片。それは矢となり大地に降り注ぐ。


矢は地に突き刺さると火炎となり、爆轟と共に地を穿つ。

舞い上がる岩の破片は炎となり、僧侶達の体は燃える事無く炭となり地に降り注ぐ。


静寂。夜が戻る。


ハーリドは身を起こし辺りを見わたす。炎に包まれた石の破片。人の形の炭は風に運ばれ散ってゆく。炎の星屑と炭の黒。地上に歪な夜が敷き詰められている。

兵達も同じく身を起こし、中にはすでに立ち上がった者もいる。


安堵のため息をつくが、立ち上がった兵の一人が剣を構える。彼の視線の先。黒衣の男が立っている。何事もなかったように。手にする錫杖の琥珀消え、錫杖は金色となっている。

ハーリドは集落の方へ目を向ける。しかし、空に次の赤い光は昇らない。彼は舌打ちをすると立ち上がり黒曜の剣を握り締める。刀身に金色が映る。アリムが、兵達が、ハーリドが一斉に走り出す。雄叫びをあげ、黒曜の剣を高らかに上げて。


黒衣の男はゆっくりと体をアリムに向ける。そして、錫杖を振った。


鋭い音が空気を引き裂く。

それは悲鳴。大地の悲鳴。


アリムは飛び退く。本能だった。無意識が足が地を蹴り、身を飛ばし、地面に叩きつける。気付くと地面に亀裂が入っている。大地が自らを引き裂いた痕。次々と振られる錫杖。大地の亀裂は走り、生き残った馬と僧侶を飲み込んでゆく。

悲鳴は大きさを増し、亀裂は広く深くなる。そして、貪欲に命を食らう。まるで、命という餌を飲み込むように。


「退け!」


ハーリドの叫びは、大地の悲鳴に打ち消される。翻弄される兵達。間断なく足元を走る亀裂をかわすのが精一杯。アリムもその場を離れることが出来なくなっている。

ハーリドは走り出した。悲鳴を打ち消すほどに叫び、亀裂を飛び超えて。


突如、悲鳴と亀裂がおさまる。ハーリドは立ち止まる。

黒衣の男の錫杖は、光を鈍くし、よりその形をあらわにさせている。黒衣の男は錫杖を大地に突き立てた。


全てが止まる。風も雲も闇も。


空と夜は裂けたまま。兵達が辺りを窺う。

アリムは立ち上がり黒曜を構える。聞こえるのは自らの心音と、砂粒が地面に落ちる音だけ。うす暗い闇の中、一人の兵が息を整えていると、亀裂の一つから柔らかな光が立ち昇ってきた。彼はゆっくりとそれに目を向ける。すると、彼の目に光が入り込む。光は暖かく柔らか。疲れた体は癒され、心を『人』に戻す。握られていた黒曜が手から滑り落ちる。そして、光に導かれるように一歩、また一歩と亀裂へ近づいてゆく。


ハーリドが兵を止めようと叫ぶが兵の動きは止まらない。駆け寄ろうとすると、自身の足元の亀裂も光を放ちだす。彼は光から目を背けた。しかし、光は無数の亀裂から立ち昇る。囲まれ進も退くも出来ない。


光の粉がハーリドを包み込む。

その温もりと柔らかい感触。それに抗おうと自らの足に短剣を突き立てる。その瞬間、頭の中に黒い感情が流れ込む。恨みと悲しみ。そして、破壊の衝動と復讐の誓い。彼の心に亀裂が走ろうとする。耐え切れずハーリドは叫ぶ。その叫びに答えるように、光は一層輝きを増す。


彼は苦痛から逃れようと、足に突き立てた短剣を引き抜き、自らの首筋に刃を当てた。短剣に力を入れようとした瞬間。光は減じ黒い感情は流れ去った。


次々と亀裂の光りが退いてゆく。彼は短剣を収めると、流れ始めた風に柔らかく香る緑を感じた。

小さな人影。光をかき分け歩いている。それを包む外套は静かに風を受け、柔らかく揺らめいている。


マリエルだった。

黒衣の男が剣に手をかけるが、それを抜く前に跪くように倒れ、光の粉になり散った。一人、錫杖に向かって進むマリエル。辺りの光の粉は彼女を取り囲むように漂い始める。それは、獲物を囲む獣の群。

ハーリドは声を聞いた。それは頭の中に直接、語りかける。


”私は『彼』と一緒に『彼女』を鎮めます”


マリエルが短剣を抜く。古い文字が刻まれた短剣。刃を持たない短剣。刻まれた古い文字の全てが緑の光を放ち始める。古い文字は短剣を這い回り、やがて一つの言葉になる。そして、緑の光がマリエルを包む。


錫杖は震えて吠える。そして眩い光を放ち、光の粉の奔流となりマリエルを襲う。彼女が短剣をかざすと、光の粉は切り裂かれる。外套ははためき、千切れ空に舞う。マリエルは光の奔流を切り裂きながらゆっくり進む。そして、錫杖へたどり着く。


嵐のように吹き付ける光の粉。マリエルは短剣を振り抜いた。錫杖は悲鳴と共に折れ、また亀裂から光の粉が流れ出し大地を覆おうとする。マリエルを包む緑の光はほどけ帯になる。それは光の粉を短剣に導く。マリエルが短剣を天に掲げると、光の粉は天に舞い上がる。

ハーリドの目に映るのは光の柱。緑の光は螺旋を描き光の粉と共に夜空を照らす。その光景に心を奪われるハーリドだったが、緑の光が一瞬揺らぐ。石が砕ける音がする。ハーリドの足元に復讐が伝わる。最後の力を振り絞るように地が裂けると集落へ走り始めた。悲鳴をあげて。光の粉を撒き散らしながら。


***


「そろそろ出番ですね」


シアンは物見櫓から飛ぶと、従えた風の精霊と共に舞い降りた。

彼女の足元には、石と木片が散らばり、硝煙の匂いが立ち込めている。一回しか使えなかった『光の矢を降らせる兵器』。淡い光を放つ玉石は地面に転がり、石の筒は煙を吐き出し続け、地面に配された青い石板は割れている。それを見てシアンは鼻で笑う。


「おい。ヒゲ。私の後ろへ下がれ。大地の力。山の力。震えながら見ていろ」


ムザックはシアンを睨みつけながらも、部下に下がるように命じた。駆けだす人々の足音が遠のく。そして、亀裂が光を放ちながら蛇のように走る。全てを飲み込む蛇。悲鳴を上げながら。


「砂が多いな。岩場だったらよかったのだが」


シアンは光をまき散らす蛇を睨みつける。砂を一摘みすると辺りにばら撒いた。砂は這い回り古い言葉と、精霊の言葉の円陣を作り出す。そして、淡く青い光が円陣に満ちてゆく。彼女は目を閉じると、大地の精霊を呼び出し地面を指さす。


「退けよ」


言葉と共に岩の壁が地中からせり上がる。しかし、光の蛇は易々とそれを食い破る。シアンは目を見開き両手を広げた。円陣は砂を舞い上げ、さらに広がる。そして、きつく目を閉じ両手を差し出す。


「叩き潰せ」


岩の壁はさらに厚くなり、光の蛇を四方から立ち上がり亀裂を押しつぶす。それでも光の蛇は、岩の壁を食い破る。


「食いつくせ」


大地が盛り上がる。岩が割れ竜が現れる。岩の竜は鎌首を擡げ光の蛇に襲いかかる。

食らいつく。光の粉が舞い散り夜空が染まる。

一匹、また一匹と岩が割れ竜が現れる。そして、次々と光の蛇に襲いかかるが、光の蛇もまた竜を飲み込んでゆく。それでも竜は岩を割り、襲いかかる。永遠と感じられる時間。それは繰り返される。




シアンの足元に亀裂がある。吐き出される光は無い。最後の竜。亀裂に半身を横たえている。

円陣の光は去り砂になって消えた。シアンはヴェールを剥ぐと地面に座り込んだ。彼女の額に汗が浮かぶ。


ふう。まったく。危ないところだった。


彼女は汗を拭うと空を見上げた。

光の粉は天高く舞い上がり、緑の光りに導かれるように空を覆っている。


嗚呼。光の大樹。


シアンは地面に大の字になって寝転んだ。夜空の光はゆっくりと減じてゆく。そして、空に夜が戻った。

風のある、雲のある、月のある夜。それを眺めていると、ひょっこりと少女の顔が現れた。アミラだった。


「大丈夫ですか?」


今にも泣き出しそうな顔だった。シアンが「水を一杯」と言うと、少女は駆けだした。彼女が力を振り絞り、身を起こそうとした時、懐から何かが落ちた。拾い上げると、それはマリエルが踏んで折った小枝だった。枯れていた、地面に落ちていた小枝。小さな葉をつけている。見つめていると、アミラが桶いっぱいの水を息を切らしながら走って来ている。


シアンは小枝を地面に突き刺すと、「たらふく飲め」と言って立ち上がった。


***


遠く夜空に立つ光の柱。緑の光を伴い夜空を照らしている。


セルドガ国。ロマーナの別荘。

深夜にも関わらす使用人達が、外に出て夜空を指さして騒めいている。


黒髪に褐色の肌。真直ぐな眼差しの青年。

バルコニーから光の柱を見つめている。




魔族の娘。丘の上。銀髪を風に流している。

その後ろに控える赤い髪の女。近衛の女が前に出ようとするが、それを制する。

女の碧眼は光の柱を見つめている。



青の甲冑。白の甲冑の対極の騎士。彼らの野営地。未だ消えない血と死の匂い。

兵達が夜空の光の柱に驚き、鐘を鳴らしている。

行き交う兵士のなか、白金の髪の女が空を見上げている。

彼女は携えた剣の柄を握り締める。



褐色の肌の男。艶やかな髪を後ろに束ねている。

死線を超えてきた男。山の岩肌に立ち、獣の目で光の柱を睨みつける。



それぞれが同じ光の柱を、光の大樹を見つめている。



***


夜が明けた。雲は夜明けの光を受けて薄く輝く。

風は冷たく、荒れ果てた大地を撫でている。


男と少女が向き合っている。

男は獅子の風を、少女は緑の風をまとっている。



あの夜から少女は三日三晩、眠り続けた。

付き添っていたヴェールの女は、少女の目覚めに歓喜し涙した。



獅子の男は言う。行くのかと。少女は頷く。

彼は従卒から外套を受け取る。丁寧になめされた革。羽毛が詰め込まれた厚手の外套。

ナギルナの地のあらゆる冷気を退ける。それを少女に掛けてやるが、その手はぎこちない。


少女は微笑んで言った。


「セフィルはいい人ですよ。でも、ちょっと嘘つき」


彼は一瞬、目を見開くと破顔した。


「そうか。それはいい事を聞いた」


少女も笑った。


少女が外套の暖かさに浸っていると、獅子は目を細めて彼女に尋ねた。


「あの夜。光に抗った。そして、黒い感情が俺の中に流れ込んできた。あれはなんだ」


少女は風と空を見るだけで答えない。

男はそれ以上、それを聞くことを止めた。


風が強くなる。雲は空から払われ、深い青が現れる。


「旅の終わり。もう一度会えるか。好きなものを言え。用意しよう」


「はい。じゃあ、エールをちょっぴり。あとは、沢山の甘い木の実」


獅子の風が去り、ハーリドの笑みが現れる。

暫し、彼は少女を見つめる。そして、澄んだ瞳に自身を見る。


「じゃあ、また。ハーリドさん」


「そうだな。またな。マリエル」


マリエルは馬に跨る。そして、風が吹く方へ馬を向ける。その後にヴェールの女が従う。


女は空を見上げる。

風は雲を寄せ集め、厚くし暗雲となりつつある。


「シアン。心配しないで」


彼女は主の言葉に頷いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ