47話 激流下り
男視点はどうしても恋愛的雰囲気が薄くなりますが、しばらくお付き合いください。
只今、カヌーに乗って激流下りの真っ最中である。俺はカヌーの後方に立ち、白波立つ流れから制御を奪われまいと懸命にパドルを操作していた。前方に座る女は、微動だにしていないように見えて、カヌーが転倒しないよう体重移動で微調整していた。指示もしていないのに、実に気が回るものだと感心する。
ただし、女はちょっとムクれていた。
昨晩、水浴びをした後、しばらく薪ストーブの前でガタガタ震えていたが、俺がつくったオカアユを渡すと、黙ってちゃぷちゃぷと食べていた。そのままストーブの前で眠ってしまったので、ベッドまで運んでやった。
朝、俺が起きた時には、女は水浴びも済ませ、狩人の服に着替えて待っている状態だった。カヌーに乗ってからも一言も話さないし、振り向きさえしなかった。
大体、俺が「カヌーに乗れ」と言ったのに、女は黙ってそのまま乗り込みやがった。そこは――このカヌーはどこから出しましたの?――と訊いてくるところじゃないのか? 何せ俺は、――たまたまここに流れ着いたんだろうな――という完璧な言い訳も考えていたのだから、拍子抜けもいいところである。
ただ無言の女の後ろ姿を見ていると妙なモヤモヤが心を過る。
父が死んでから、俺はずっと一人だった。街へ帰れば、誰彼と訊ねて来たが、それでも一人であることに変わりなかった。丸一日声を出さなかったという日もあったが、苦痛に思ったことはない。寂しいと思ったことも一度もなかった。
人が嫌いなわけではない。殊更一人が好きというわけでもない。必要なかった。それだけのことである。
だが、ここ数日の俺は、この三年間を合算したよりもよく喋っていた。俺が父の子であることは知っていたようだが、街の連中のように――父に向けるような期待する目――もしない。俺なりに、女といることが楽しいと思っていた。
絆されたつもりはないが、曲がりなりにも女が王都育ちのお嬢様だったことを考えると、すこし適当に扱い過ぎていたかもしれない。
モヤモヤの正体など判っていた。寂寥感だ。無縁だと思っていた孤独感だ。
「ごめん。ヤリ過ぎた」
俺は、聞こえるか、聞こえないかぐらいの小さな声で、女に謝った。
「いえ、わたくしこそ、汚い言葉を使ってしまい、申し訳ありませんでしたわ。それに、どうやら、わたくしの――犬の尾を喰うて廻るが如し――でございましたわね。わたくしは髪喰い虫などという、下種な虫に寄生されている悍ましい女でございます。ゴブリンさえも股間を抑えて忌避するような汚らしい女でございます。それなのに、己を顧みず、厚かましくも、あなた様の嫁であるなどと、さぞ御不快なお気持ちにさせてしまっていたことでしょう。今はもう、あのまま激流で死んでしまえば良かったのではないかと考えておりますの。あなた様もそう思っていらっしゃるのでしょうね。いえいえ、あなた様は、 わたくしのことなどこれっぽっちも興味はございませんものね。わたくしのことなど眼中にありませんし、何も思っていらっしゃいませんし、これまでわたくしなりに、あなた様に気に入られようと、頑張って来たつもりでしたが、まったくの徒労でございました……」
昨晩に続いて、早口でめっちゃ喋る。
「そんなことねーよ。女狩人の時は可愛い……って思ったぞ」
反論するつもりが、つい出てしまった本音に、――しまった!っと舌打ちした。が、女からの反応はなく、どうやら激流の水音にかき消されたようだった。俺はホッと息をつく。
それより今はカヌーを降りた後のことである。見張りのオークの死角になるよう、すでに対岸の断崖ギリギリを流れ任せに進んでいた。あと半刻(15分)もすれば、断崖の岩場が切れて、岸が砂地になる。そうなると、いつでも接岸して上陸できるが、それはオークから視認されるということであった。見つかる前にカヌーを捨てたとしても、陸地に隠れる場所はない。砂場を走るよりカヌーで流れた方が速い。しかし見つかってから悠長にしていると、カヌーに直線距離で詰められてしまうわけであり、それも得策ではない。すべてはカヌーを乗り捨てるタイミングが肝になる。
岩場が徐々に低くなり、砂地が見え始めた。
「伏せろ!」
女は黙って身を低くした。
『北西の川』との合流地点が目視できるようになると、その『北西の川』の対岸にオークらしき影がちらほら見えるようになった。
そして俺は身を伏せて、見張りのオークから目を外さずにタイミングをはかっていた。
――その時
「今、なんとおっしゃいました?」
――伏せろ、と言ったが?――とは思ったが、今は集中する時である。
「可愛い!とおっしゃいましたよね? わたくしのこと可愛いと思ってらっしゃったのですね」
女は、カヌーに乗ってから初めて振り向いた。感無量とばかりに目頭を押さえている。
が、今はそんな話をしている場合ではない。敵を見ろ。と言うか、それは半刻(15分)ぐらい前の話だ。
そして、ついにオークの一匹がこちらに気がついた。カヌーに槍を向け「ブヒィーーー」と怒号を上げた。
「降りるぞ!」
そのタイミングでカヌーの頭を砂浜に向け、流れを利用してそのまま接岸すると、俺は、女の手を引きカヌーから飛び降りた。
『北西の川』のオークのテリトリー側からは、ジャブジャブと水を切って川の中を走って来る三匹のオークが見えた。
俺は、女の手を握ったまま、右、つまり北西へ方向を変え、『北西の川』の左岸に沿って、上流へ向かって走った。
オークはまだ川の中程であり、戦闘を避けるには、ここでどこまで引き離せるかが勝負だった。
俺は、繋いだ女の手から糸のように細くした魔力を静かに流し込んだ。女の毛細血管から吸収された魔力は太い血管で集合して女の心臓をめざす。あとは心臓が女の体中に俺の魔力を拡散してくれるだろう。
女の体に俺の魔力が充満すると、押し出されるようにして、女の魔力が俺の中に入って来た。
女の魔力は暖かかった。冬の暖炉のようだった。すごくいい温度だ。ホッコリする。嫌な気分じゃない。そしてまたそれを女の体へ押し戻す。それを繰り返しているうちに、俺と女の魔力がシンセサイジングされていく。
つまり俺と女の体の中で魔力を循環させているのだ。昔はよく父にして貰って、森のあちこちを駆け回ったものである。父以外と実践するのは初めてだったのもあり、少し不安だったが、思った以上に上手くいった。これで女も随分楽になるはずだ。
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