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井ぴエの毎日ショートショート  作者: 井ぴエetc


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1371/1372

第1371話 知らない手配書


「さあさあみなさんお立合い……」


 そんなふうに読売よみうりが声をり上げ、橋のたもとで瓦版かわらばんかかげ、呼びかけていた。

 道行みちゆく町人、芸者も武士も、ふとり返って、なにがあったのかと耳をかたむける。

 押し込み強盗で世間をさわがす窃盗せっとう団の尻尾しっぽがついにつかまれたのか、吉原なんかでささやかれている悲恋ひれんに決着がついたのか、はたまたちまたうわさ幽霊ゆうれいさわぎの正体なんかがあばかれたのか、先日、おかみが打ち出した御政道ごせいどうへの辛口からくち批評ひひょうかもしれないし、近々開催かいさいされる祭りのお知らせだったりするかもしれない。

 とにもかくにも、刺激的しげきてきな話題に事欠ことかかないのが江戸の町。

 そこで起きた不思議な出来事。


-*-*-*-*-*-


 番所ばんしょけこんできたのは、目元すずやかな色男。

 かんざし職人だと名乗なのる男は、おかきに一枚の紙を差し出して、


「こいつを見つけやした」


「ほう」


 と、岡っ引きが見たところ、紙はどうやら手配書だ。

 人相の悪いじじいが、達者たっしゃ筆遣ふでづかいでえがかれている。


「どこにいた?」と、岡っ引き。


「へえ。日本橋をえたあたりの長屋です」


「なるほどなあ」


 言いながら、岡っ引きは紙を縦にしたり横にしたり、裏返したりしてみている。

 紙には似顔絵だけで、罪状ざいじょうなどは書かれていない。

 江戸で起きた事件の手配書ならすべて頭にたたきこんでいるはずなのだが、いくら記憶を探れども、どこでなにをした人物なのか、まるで心当たりがなかった。

 とはいえ、つかまえてみればわかることだ。

 この岡っ引き、猪突ちょとつ猛進もうしんで有名な正義漢せいぎかん

 善は急げだ。

 さっそくおなわにしてしまうべく、十手じゅってを差してこしを上げると、かんざし職人の男の案内で長屋に向かうことにした。


 歩きがてら、くわしい話を聞いていく。


「あっしは日本橋の小間物屋こまものやにかんざしをおろしてるんですがね、いつものように、そちらのお店に立ち寄って、それから帰ろうとしましたらば、そば屋でめてる客がいたんでさ。昼間っからっぱらってるみたいで、みっともないやつがいるもんだなあと、まあ、ちょっぴり好奇心でのぞいてみたわけで。すると、なんと、手配書の顔があるじゃあありませんか。そりゃあもう、たまげちまいましたよ」


「ふむ。で、この手配書はどこで手に入れたんだ?」


「いやあ。商売柄、自分が細工したかんざしを売り込みに、あっちこっちいくもんですから。たぶん、読売かだれかにもらったんだったような気が……」


 そのへんはどうにも曖昧あいまいらしい。

 江戸とひとくちに言っても範囲はんいは広大だ。

 東海道の品川宿あたりで起きた事件の犯人かもしれないし、その向こうの相模国さがみのくになど、江戸の外から流れてきた手配書という可能性もある。

 考えていてもらちが明かないし、やはり、捕まえてしまうのが手っ取り早い。


 魚河岸うおがしにぎわいと、生臭い鮮魚せんぎょのにおいをり切って、長屋に近づくにつれて、かんざし職人の男の顔に不安めいた色があらわれはじめた。

 手配書のやからがどんな凶悪犯かわからぬが、運悪く鉢合はちあわせれば、危害をこうむることもあるだろう。無論、そうなった場合に、守るつもりではあるのだが、不測ふそく事態じたいはついて回るし、案内だけとはいえ、緊張きんちょうするのも無理はない。

 岡っ引きは気遣きづかって「どんなかんざしを売ってるんだ」と世間話を切り出した。


「いまはちょっとこれしか手元にありませんが」


 そう言いつつ男がふところから取り出したのは、椿つばきの花の見事な細工がほどこされた美しいかんざし。

 ほう、と見惚みとれた岡っ引きは、所帯しょたいを持つ約束をわした茶屋の娘を思い出し、これをおくればさぞよろこぶだろうと考えた。

 値段をたずねてみると、


「すみません。売り物じゃないんです」


 男は申し訳なさそうに頭を下げて、


「実は、妹のために特別にあつらえたものでして」


「そりゃあ。大事なもんだな。仲がいいのかい」と、岡っ引き。


ずかしながらそうでもねえんです。ついこのあいだも喧嘩けんかしちまって。仲直りにってなもんで。渡すつもりだったんでさ」


「仲直りか。できるといいな」


「ええ……ほんとに……」


 すこし暗くなった声色に、岡っ引きは立ち入ったことを聞きすぎたと反省して、目の前の捜査そうさに集中することにした。

 小道を何度か曲がって、いよいよくだんの長屋に到着。

 かんざし職人の男に、ここまでで十分とお礼をして別れると、岡っ引きは手配書を持って、とにかく大家をたずねてみることにした。

 似顔絵を見せて、こんな人物が住んでないかたずねると、


「井戸の奥の左手の家がそうですよ」


 とのことで、どうやら、本当にいるらしい。

 どんなやつかと評判をくと、大家は面倒ごとに巻き込まれたくないというふうに知らぬ存ぜぬ。家賃さえ払えば、なにをしてようが気にしないとのこと。

 大家の態度に岡っ引きは憤慨ふんがいしながら、教えてもらった家へ。

 十手じゅってかまえ、いきなりガラリと戸を開くと、


御用ごようだ!」


 さけんだものの、もぬけのから拍子抜ひょうしぬけ。

 どうやらいまは不在のようだ。

 がらんとした土間に、狭苦しい居間。

 よほどズボラな人物らしく、縁側は開けっ放し。緑がかおる裏庭までも見通せる。

 かまどは冷え切っていて、使われている様子はない。

 たたみには酒のにおいがみついていて、酒瓶さかびんばかりが転がっていた。

 部屋のすみの、本来であれば仏壇ぶつだんなんかが置かれている場所に、四角い日焼けのあとだけが残っている。おそらく、質屋に売り払ったのだろう。ずいぶんと金に困っているようだ。こういう部屋の住民は、往々おうおうにして人としての道をみ外してしまいがちなのがいまの世の中。

 家主を待とうか逡巡しゅんじゅんしていると、剃刀かみそりのように冷たい夕風ゆうかぜが外を吹き抜けた。

 同時に、庭で椿つばきの花が、ぽとり、と音を立てて地面に落ちたではないか。

 十手持ちとしてのかんが働いた。

 衝動的しょうどうてきに居間を横切って、縁側えんがわから裏庭へと降りる。

 まだ瑞々みずみずしい紅の花は、土の上でさびしげにれ、なにかをうったえかけるみたいに、枝からはなれてなお咲きほこっている。


 椿つばきの木の根元に、ったような形跡けいせきがある。

 なにかをめてあるのだろうか。

 現場でよくぐ、いやなにおいがただよっていた。

 酒や、花の甘さなんかでは、ごまかされない。

 隠しきれない死臭ししゅうがそこらにこごっているのだ。

 落ちた花をひろい上げると、土のなかから頭を出した、きらりと光る物がある。

 人の指。爪だ。そして、にぎっているのは、つい先程さきほど見せてもらった、椿の細工のかんざしに間違いなかった。


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