第1371話 知らない手配書
「さあさあみなさんお立合い……」
そんなふうに読売が声を張り上げ、橋のたもとで瓦版を掲げ、呼びかけていた。
道行く町人、芸者も武士も、ふと振り返って、なにがあったのかと耳を傾ける。
押し込み強盗で世間を騒がす窃盗団の尻尾がついに掴まれたのか、吉原なんかで囁かれている悲恋に決着がついたのか、はたまた巷で噂の幽霊騒ぎの正体なんかが暴かれたのか、先日、お上が打ち出した御政道への辛口批評かもしれないし、近々開催される祭りのお知らせだったりするかもしれない。
とにもかくにも、刺激的な話題に事欠かないのが江戸の町。
そこで起きた不思議な出来事。
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番所に駈けこんできたのは、目元涼やかな色男。
かんざし職人だと名乗る男は、岡っ引きに一枚の紙を差し出して、
「こいつを見つけやした」
「ほう」
と、岡っ引きが見たところ、紙はどうやら手配書だ。
人相の悪い爺が、達者な筆遣いで描かれている。
「どこにいた?」と、岡っ引き。
「へえ。日本橋を越えたあたりの長屋です」
「なるほどなあ」
言いながら、岡っ引きは紙を縦にしたり横にしたり、裏返したりしてみている。
紙には似顔絵だけで、罪状などは書かれていない。
江戸で起きた事件の手配書ならすべて頭に叩きこんでいるはずなのだが、いくら記憶を探れども、どこでなにをした人物なのか、まるで心当たりがなかった。
とはいえ、捕まえてみればわかることだ。
この岡っ引き、猪突猛進で有名な正義漢。
善は急げだ。
さっそくお縄にしてしまうべく、十手を差して腰を上げると、かんざし職人の男の案内で長屋に向かうことにした。
歩きがてら、詳しい話を聞いていく。
「あっしは日本橋の小間物屋にかんざしを卸してるんですがね、いつものように、そちらのお店に立ち寄って、それから帰ろうとしましたらば、そば屋で揉めてる客がいたんでさ。昼間っから酔っぱらってるみたいで、みっともないやつがいるもんだなあと、まあ、ちょっぴり好奇心で覗いてみたわけで。すると、なんと、手配書の顔があるじゃあありませんか。そりゃあもう、たまげちまいましたよ」
「ふむ。で、この手配書はどこで手に入れたんだ?」
「いやあ。商売柄、自分が細工したかんざしを売り込みに、あっちこっちいくもんですから。たぶん、読売か誰かに貰ったんだったような気が……」
そのへんはどうにも曖昧らしい。
江戸とひとくちに言っても範囲は広大だ。
東海道の品川宿あたりで起きた事件の犯人かもしれないし、その向こうの相模国など、江戸の外から流れてきた手配書という可能性もある。
考えていても埒が明かないし、やはり、捕まえてしまうのが手っ取り早い。
魚河岸の賑わいと、生臭い鮮魚のにおいを振り切って、長屋に近づくにつれて、かんざし職人の男の顔に不安めいた色があらわれはじめた。
手配書の輩がどんな凶悪犯かわからぬが、運悪く鉢合わせれば、危害を被ることもあるだろう。無論、そうなった場合に、守るつもりではあるのだが、不測の事態はついて回るし、案内だけとはいえ、緊張するのも無理はない。
岡っ引きは気遣って「どんなかんざしを売ってるんだ」と世間話を切り出した。
「いまはちょっとこれしか手元にありませんが」
そう言いつつ男が懐から取り出したのは、椿の花の見事な細工が施された美しいかんざし。
ほう、と見惚れた岡っ引きは、所帯を持つ約束を交わした茶屋の娘を思い出し、これを贈ればさぞ喜ぶだろうと考えた。
値段を尋ねてみると、
「すみません。売り物じゃないんです」
男は申し訳なさそうに頭を下げて、
「実は、妹のために特別にあつらえたものでして」
「そりゃあ。大事なもんだな。仲がいいのかい」と、岡っ引き。
「恥ずかしながらそうでもねえんです。ついこのあいだも喧嘩しちまって。仲直りにってなもんで。渡すつもりだったんでさ」
「仲直りか。できるといいな」
「ええ……ほんとに……」
すこし暗くなった声色に、岡っ引きは立ち入ったことを聞きすぎたと反省して、目の前の捜査に集中することにした。
小道を何度か曲がって、いよいよ件の長屋に到着。
かんざし職人の男に、ここまでで十分とお礼をして別れると、岡っ引きは手配書を持って、とにかく大家を訪ねてみることにした。
似顔絵を見せて、こんな人物が住んでないか尋ねると、
「井戸の奥の左手の家がそうですよ」
とのことで、どうやら、本当にいるらしい。
どんなやつかと評判を訊くと、大家は面倒ごとに巻き込まれたくないというふうに知らぬ存ぜぬ。家賃さえ払えば、なにをしてようが気にしないとのこと。
大家の態度に岡っ引きは憤慨しながら、教えてもらった家へ。
十手を構え、いきなりガラリと戸を開くと、
「御用だ!」
叫んだものの、もぬけの殻で拍子抜け。
どうやらいまは不在のようだ。
がらんとした土間に、狭苦しい居間。
よほどズボラな人物らしく、縁側は開けっ放し。緑が薫る裏庭までも見通せる。
竈は冷え切っていて、使われている様子はない。
畳には酒の臭いが染みついていて、酒瓶ばかりが転がっていた。
部屋の隅の、本来であれば仏壇なんかが置かれている場所に、四角い日焼けの跡だけが残っている。おそらく、質屋に売り払ったのだろう。ずいぶんと金に困っているようだ。こういう部屋の住民は、往々にして人としての道を踏み外してしまいがちなのがいまの世の中。
家主を待とうか逡巡していると、剃刀のように冷たい夕風が外を吹き抜けた。
同時に、庭で咲く椿の花が、ぽとり、と音を立てて地面に落ちたではないか。
十手持ちとしての勘が働いた。
衝動的に居間を横切って、縁側から裏庭へと降りる。
まだ瑞々しい紅の花は、土の上で寂しげに揺れ、なにかを訴えかけるみたいに、枝から離れてなお咲き誇っている。
椿の木の根元に、掘ったような形跡がある。
なにかを埋めてあるのだろうか。
現場でよく嗅ぐ、厭なにおいが漂っていた。
酒や、花の甘さなんかでは、ごまかされない。
隠しきれない死臭がそこらに凝っているのだ。
落ちた花を拾い上げると、土のなかから頭を出した、きらりと光る物がある。
人の指。爪だ。そして、握っているのは、つい先程見せてもらった、椿の細工のかんざしに間違いなかった。




