第1367話 伊賀と甲賀の狭間にて
野兎を追って藪のなか。
蛇の如くに身を潜めていると、笛を吹くような鳴き声が空で響き、ひゅうっ、と鳶が急降下してきた。
あっという間に獲物を横取りされて、唖然としながら空を仰ぐ。
鬱蒼とした山林を吹き抜ける風は穏やかで、いましがた起きた命のやりとりなど些細なことと言いたげだ。
悠々と雲が流れている。
染まりはじめた紅葉を透かして、注ぐ陽射しに目を細めていると、ピーンと糸を張ったみたいな、冷たい感覚に襲われた。
勘だが、こういうときの勘はよく当たる。
微かな気配。
武器を構える。
見回りを交代するなんて知らせはなかった。
同胞ではない。
となれば、敵だ。そうに違いない。
ここは伊賀の里の領域。
そして、山の峰を境にして、甲賀の里の領域となっている。
伊賀と甲賀は、古来より対立し続けている忍者の血筋。
その確執はすさまじく、もはや犬猿の仲などという表現では生ぬるいほど。
お互いを心の底から憎み、滅ぼすことしか考えていない。
忍者と言えば、伊賀か、甲賀か、二者択一。
常に利権を奪い合い、相手の隆盛こそが、己の衰退となる関係だ。
甲賀のやつが偵察にでもやってきたか。
足音からわかるのは、相手がひとりであること、大柄な男であること、そして、かなりの手練れだということ。
特別な訓練を受けた者特有の、足の運びだ。
まっすぐこちらに近づいてくる。
武士であれば仁義を通して、”何奴!”とでも訊くのだろうが、あいにくこちらは忍びの者。この伊賀の里に無断で足を踏み入れる輩には、死あるのみ。
狙いを定め、手裏剣を投げるが、手ごたえはない。躱された。
すぐに追撃しようとしたが、相手は逃げ去ったらしく、影も残さず消えていた。
とにかく里に報告して、警戒を強化せねばならない。
それにしても、随分と挑発的なことをしてくれる。
たったふたつの忍びの流派として、どちらがより優れているか決着をつけるべきときがきたのかもしれない。
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巣穴から頭を出した獣をうまく仕留めたまではよかったものの、貉かと思えば狸ではないか。
狸汁は獣臭くて好みではない。
はあ、と落胆していると、駈け寄ってくる足音が聞こえた。
獣ではない。人間のものだ。それも、忍びの訓練を受けた者の足運び。
ここは甲賀の里の領域。
音がする方向は、伊賀の里の領域だ。
伊賀のやつめ、なりふり構わず甲賀へ侵入しようとしているのか。
懐から苦無を取り出し、大柄な人影めがけて投げ放つ。
相手はなかなかの身のこなし。ひらりと跳躍して、こちらの攻撃から逃れると、伊賀と甲賀の狭間の線をなぞるみたいにして走っていった。
怪しい動きだ。
いよいよ伊賀が、本格的に甲賀を攻めてくる予兆か。
くすぶってばかりの小競り合いに、うっぷんが溜まってばかり。
因縁は怨念に、恨みつらみは海よりも深し。
いよいよ火が焚べるときが、やってきたということかもしれない。
返り討ちにしてやるか、それとも、こちらから打って出るか。
なんにせよ、甲賀が負けるなどありえない。
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大柄な男が山の麓で頭を抱えていた。
「うーん」
伊賀と甲賀の忍びの里にご挨拶に伺おうとしたのだが、問答無用で追い返されてしまった。
忍者といえば、伊賀か甲賀だが、細々と生き残ったその他の流派も存在する。
そのひとつを再興させたものの、礼儀としてふたつの里に知らせておこうなどと考えたのが間違いだったのかもしれない。
お互いに、こちらのことなど眼中にないと言わんばかりの態度。
二者の対立のことは知っているが、第三者の介入の余地がないほどに盲目的とは思わなかった。
それとも、忍びとしての矜持あればこそ、突き放されたのかもしれないが、出鼻をくじかれた感は否めない。
意気消沈した大男が立ち去ると同時に、山奥では静かなる火蓋が切られていた。
忍び同士の殺し合いは、森閑にて密やかに勃発し、その結末を知る者はいない。




