第1362話 怖がらない男
怖いものなしで有名な男が、ボロの長屋に住んでいた。
鬼のような形相の大家が家賃を取り立てにやってきても、平気の平左でどこ吹く風。激しく吠える野良犬に噛まれそうになっても、ひらりと躱しておかまいなし。昔、強盗に押し入られたこともあったが、くどくど説教したうえに、叱りつけて、追い返したのだという。
肝が太さは巨木の如く。山の上に立つ五重塔すら凌駕するともっぱらの噂。
そんな男の話を耳にして、
「気に入らねえなあ」
と、こぼしたのは、妖怪たち。
驚かすのが本業の彼らは、怖がらない人間がいるなんてのを認めたくない。
だから「いっちょ、死ぬほどビビらせてやろうじゃないか」と決起して男の家へやってきたのである。
しかし、全員でワッとなだれこむんじゃあ面白くない。
どうせなら、誰が一番最初に男をびっくりさせられるか勝負しようということになった。
一番手は、一つ目小僧。
顔面いっぱいのでっかいおめめ。これにぎょろりと睨まれれば、どんな相手も、たちまちのうちに震え上がること間違いなし。
けれどもガラリと戸を開けて男にバァと迫っても、返ってきたのは冷たい視線。
「なんだいアンタ藪から棒に。人様の家に勝手に上がりこんでおいてバァの一声。どういう了見なんだか。まったく、礼がなってないにもほどがあるだろう。まあ、そんだけ目ん玉ばかりが大きいと、そっちにぜーんぶ容量がとられて、頭んなかがカラッポになるのもやむなしかね」
怖がらないどころかバカにされて、一つ目小僧は怒り心頭。
土間に座っている男の間近に寄って見せつけてやろうと距離を詰めた。
そこに、バッと囲炉裏の灰を投げつけられたものだから、守る間もなく、たったひとつしかない目が大変なことに。
こりゃたまらんと退散して、川にどぼんと飛びこむと、一つ目小僧は慌てて目玉の汚れを落とした。
なかなかどうして手ごわい相手だと、集まった妖怪たちは気を引き締めて、お次に挑戦するのは、ろくろ首。
トントンと外から戸を叩くと、「どちらさんだい?」と、男が訊いた。
その隙にろくろ首は、首をにょろりにょろりと蛇みたいに伸ばすと、入り口とは反対側の、中庭のほうから顔をバァ。
しかし、男は予期せぬところに浮かぶ頭に眉ひとつすら動かさず。
「へんな首をしてるんだねえ。それだけ長けりゃ、心臓からの血がちゃんと頭まで上らないんじゃあないかね。さぞ貧血で困っているだろう。かわいそうに」
いわれのない憐れみが、癇に障ったろくろ首は、さらに首をにょろりと伸ばして男をぐるぐる巻きにしようとした。
すると男は、伸びた首の途中をつかんで、ぎゅうっと鎧結びにしてしまったではないか。
苦しくなったろくろ首は驚かすどころではなくなって、他の妖怪たちにほどいてくれるように泣きついた。
それからも妖怪たちは挑んだものの一筋縄ではいかない男に太刀打ちできない。
河童は亀扱いでひっくり返され、雪女は危うくかき氷にされそうになり、天狗は鼻を折られるわ、化け狸は狸鍋にされそうになるわで散々な目に遭わされた。
ついには人の心が読めるサトリという妖怪が男が怖がるものがないか、頭のなかを探ってみたが、小難しい理屈が所狭しと詰めこまれていて、神や仏すら、屁とも思わぬ男に逆に気圧されてしまう始末。
もはやこれまでと、皆が意気消沈して、諦めの雰囲気が場を満たしはじめた頃、ひとりの妖怪が名乗りを上げた。
男の目の前にあらわれたそいつは、えらくこざっぱりした姿。
「アンタは……」
言いさした男のほうへ、妖怪が顔を向ける。すると、男は、ううむ、と唸り、
「おれの声が聞こえてるのかい?」
妖怪は髪をかき上げて、耳が見えるようにする。
「ほう。耳はあるのか。そりゃ結構。けれども不便そうだねえ」
ほとんど人間そっくりの姿だが、その妖怪の顔には目も、鼻も、口もなかった。
のっぺらぼうだ。
男は、ちゃぶ台の上にあったミカンをひょいと放り投げる。
それは、のっぺりした顔面の額あたりに衝突するかと思われたが、のっぺらぼうがあっさりと空中で掴んだものだから、男は目をぱちくりとさせた。
さらには、まるでひとくち食べようとするみたいな仕草でミカンを顔に近づけたので、重ねてぱちくり。
しかし、のっぺらぼうは不意に顔をのけぞらせて、ミカンを男に投げ返した。
一連の行動を不審に思った男がミカンの皮を剥こうとすると、プンと厭なにおいが漂う。
「おや。腐ってる」
ミカンが痛んでいたのに気づいたから、のっぺらぼうは男に返したのだろう。
それはわかった。
けれど、疑問が浮かんでくる。
「アンタ。目がないくせに、飛んでくるミカンを受け取ったり、鼻がないくせに、腐ったにおいを嗅いだのかい?」
すると、のっぺらぼうはこくりと頷き、次の瞬間、口もないのに、
「バァ!」
喋ったことに、男はびっくり仰天。
驚きのあまり、腰を抜かしてしまう。
勝ち誇って男を見下ろすのっぺらぼうが、顔もないのに、にやりと笑ったような気がした。




