第1360話 へその緒男
枯れ葉がかさこそ擦れ合う痩せた梢で、なにかがゆらゆら揺れていた。
その真下にある井戸を取り囲む厭な空気が、淀んだ風に渦巻いている。
いまは涸れているあの井戸に、昔、妊婦が落っこちたらしい。
井戸の水を汲もうとして、旋風に足を絡めとられたのだ。
臨月の体は、お腹がずいぶん膨らんで、底までは瓜が爆ぜるほどの距離。
しかし、溜まっていた水が衝撃を和らげたのか、偶然が重なった結果か、奇跡的に母子ともに命を取り留めたのである。
それが悪夢のはじまりだった。
声を振り絞り、女は井戸の外に向かって叫んだが、吹き荒れる風にかき消され、誰にも届いてくれやしない。
井戸は女の家の裏庭にあり、夫は長らく赴任中。近寄る者はいなかった。
それから、女は湧き水を飲んで、何十日ものあいだ生き続けると、暗闇のなかで赤子を生んだ。
元気な男の子だ。
新たな命の誕生は希望ではなく絶望。
どうやって、我が子を死から遠ざければよいのか。
もはや狂いはじめていた女は、我と我が子を繋ぐへその緒が切れないようにと、必死になって守り抜いた。
そうすることで、胎の外でも自らの命を分け与えられると信じたのだ。
道理に反する願いであったが、天の神のきまぐれか、赤子は井戸の底ですくすくと成長し、同時に、まるで繋がれた風船の一方からもう一方へと空気が流れるようにして、女は急速に衰弱していった。
赤子が立派な青年に成長する頃には、へその緒の先にいる母親は、こぶしほどのちいさな人形になり果てていた。
へその緒に繋がれた、へその緒男は言葉を知らず、世界を知らず、空を見上げて夢想に耽った。
井戸の縁で切り取られた真ん丸な空は、枝を伸ばした庭木の梢で、いつも隠れてしまっている。
草葉の奥で、なにかがぶらりぶらりと揺れていた。
それに気づいたへその緒男は、突然、井戸の外に向けて、へその緒を力いっぱい放り投げたではないか。
そのへその緒は驚くほど長く、強靭で、投げ縄みたいに木の枝に引っかかって、男が思いっきり引っ張っても決してちぎれることはなかった。
男が預けた体を悠々と支え、へその緒は風に揺られた。
どこへ行こうとしていたのか。
世界を知らないへその緒男が、唯一、望む場所があるとすれば、愛しい母の元であったに違いない。




