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井ぴエの毎日ショートショート  作者: 井ぴエetc


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1360/1372

第1360話 へその緒男


 れ葉がかさこそこすれ合うせたこずえで、なにかがゆらゆられていた。

 その真下にある井戸を取り囲むいやな空気が、よどんだ風に渦巻うずまいている。

 いまはれているあの井戸に、昔、妊婦にんぷが落っこちたらしい。

 井戸の水をもうとして、旋風つむじに足をからめとられたのだ。

 臨月りんげつの体は、お腹がずいぶんふくらんで、底まではうりぜるほどの距離。

 しかし、まっていた水が衝撃しょうげきやわらげたのか、偶然ぐうぜんかさなった結果か、奇跡的に母子ぼしともに命を取りめたのである。


 それが悪夢のはじまりだった。


 声をしぼり、女は井戸の外に向かって叫んだが、れる風にかき消され、誰にも届いてくれやしない。

 井戸は女の家の裏庭にあり、夫は長らく赴任ふにん中。近寄る者はいなかった。

 それから、女はき水を飲んで、何十日ものあいだ生き続けると、暗闇のなかで赤子を生んだ。


 元気な男の子だ。


 新たな命の誕生は希望ではなく絶望。

 どうやって、が子を死から遠ざければよいのか。

 もはや狂いはじめていた女は、われが子をつなぐへそのが切れないようにと、必死になって守り抜いた。

 そうすることで、はらの外でも自らの命を分け与えられると信じたのだ。

 道理に反する願いであったが、天の神のきまぐれか、赤子は井戸の底ですくすくと成長し、同時に、まるでつながれた風船の一方からもう一方へと空気が流れるようにして、女は急速に衰弱すいじゃくしていった。


 赤子が立派な青年に成長する頃には、へその緒の先にいる母親は、こぶしほどのちいさな人形になり果てていた。

 へその緒につながれた、へその緒男は言葉を知らず、世界を知らず、空を見上げて夢想むそうふけった。

 井戸のふちで切り取られた真ん丸な空は、枝を伸ばした庭木のこずえで、いつも隠れてしまっている。

 草葉の奥で、なにかがぶらりぶらりとれていた。

 それに気づいたへその緒男は、突然、井戸の外に向けて、へその緒を力いっぱいほおり投げたではないか。

 そのへその緒はおどろくほど長く、強靭きょうじんで、投げ縄みたいに木の枝に引っかかって、男が思いっきり引っっても決してちぎれることはなかった。


 男があずけた体を悠々ゆうゆうささえ、へその緒は風にられた。


 どこへこうとしていたのか。


 世界を知らないへその緒男が、唯一ゆいいつ、望む場所があるとすれば、愛しい母のもとであったに違いない。


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