第1349話 悪魔教唆証明書
『殺しちまえよ……』
『やり方がわからないってんなら教えてやろうか……』
たとえ教唆によって罪を犯したとしても、実行犯に情状酌量の余地があるとは言い難い。
ただし、唆したのが人間でなかったとしたら、事情を考慮しなければならない。
「悪魔に囁かれたんだ。魔が差したってやつだよ」
これまでだったら、こんな苦し紛れの戯言は一蹴されて、まともに取り合ってはもらえなかった。
しかし、悪魔は本当にいる。
そうなってくると話は別だ。
各地に住まう聖職者たちがまったく同じ夢を見た。
その内容は、悪魔からの宣戦布告。これからは悪への誘惑が、よりいっそう苛烈になっていくのだという。
道を踏み外し、堕落する者は後を絶たず、時代の流れの影響もあり、多くの人々がそれを信じた。
実際、捕まった何名かが、悪魔の声を聴いたと訴えはじめたのである。
教会からの説明によると、悪魔は人間の心を歪める力を持っている。
常人に抗うことはできず、内なる善の心があればこそ強く揺さぶられてしまう。
だから、もしも罪が悪魔の影響下でなされたものであれば、それを無視して罰を決めることはできないのである。
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教会の奥に設置された審査所。
神父と、罰が確定する前の罪人とが向かい合う。
ふたりのあいだには木板の壁が置かれており、言葉が交わせるよう真ん中に穴が開いている。
監視カメラやレコーダーはなく、警察関係者もいない。ふたりきり。秘匿された空間。そうでなければ、悪魔の気配を察知できなくなるからだ。
「神父さん。信じてくれよ」
罪人が木板の穴にがなりたてる。
脅すような声色だったが、神父は冷静な口調で、
「あなたを唆した悪魔はどんな姿をしていましたか?」
悪魔が見えるのは聖職者か、悪魔の影響下にある人間だけと言われている。
「えっ、と」罪人は一瞬、口ごもって「ほら、聖書に描かれているままだったよ。あれさ。うん……」と、ごまかすみたいにそっぽを向いた。
「なるほど」
「ああ。悪魔のせいなんだ。本当はやりたくなかった。殺したくなんてなかった。でも、悪魔がうるさく言いやがるから、頭がおかしくなっちまって、つい……そうなんだよ。だから、頼むから証明書を発行してくれよ」
この審査で悪魔との関わりが認められれば、悪魔教唆証明書が発行される。
これがあれば減刑となり、罰金や刑期がすくなくて済むが、重要なのはそこではない。
証明書の有無で、その後の世間からの見られ方に大きな差異があるのだ。
悪魔に唆され罪を犯した者。
自らの意思で罪を犯した者。
同情を得られるのは前者であり、社会復帰も早くなる。
審査所で罪人は濁流の如く言い訳を並べた。
神父はただ耳を傾けていたが、喋り疲れた罪人が口を閉ざすと、問いかける。
「悪魔がどんな人間を唆すかご存じですか」
「善い人間だろ? 聞いたことがあるさ」
「その通り。悪魔は人類から善き心を消し去ろうとしていますから。元々悪しき心に染まりきったような人物は、わざわざ相手にはしません」
だからこそ、証明書がより力を持つことになる。
「おれはたしかに善行はしてこなかったさ。でも、心の奥底ではきっと……」
「それを確認する方法があります」
「方法……?」
怯えたような瞳で罪人が身をこわばらせた。
「あなたに善なる心があるのなら、この場にて神の御導きがあるはずですよ」
神父の言葉をどう解釈すべきか、罪人は必死で頭を働かせる。
まるで懺悔室みたいな審査所の空気が、急速に薄くなっていくように感じた。
手を伸ばせば届きそうな飾りっ気のない天井に、簡素なランプがぶらさがる。
振り返れば、きっちりと施錠された扉。完全防音なので、外の音は聞こえない。
腕時計の針は、ここに入ってからかなりの時間が経過したことを示している。
どうしても、悪魔教唆証明書が欲しい。だが、悪魔憑きを装うにはどういう態度でいればいいのか、まるで見当がつかなかった。
沈黙。神父はなにかを待っているらしかった。神の御導きとやら。
罪人はポケットに手を入れる。財布に触れた瞬間、会話のために開けられた穴の向こうに、棚が見えた。ひどく豪華な天秤の小皿にお金が乗せられている。
財布からお金を取り出して、無言で穴に差し入れる。
受け取った神父は、まるで悪魔みたいな笑みを浮かべた。




