第9話 一旦退出
「楽しませようとしてた? それで嘘告? ふざけてるの? 人の心を弄ぶのもいい加減にして!!」
和美ちゃんの怒鳴り声が教室全体に響き渡る。
和美ちゃんに頬を叩かれた和哉は顔を横に向けたまま動かない。
和美ちゃんの右手も真っ赤になっていた。
それでも怒りは収まらないらしい。
肩を震わせながら、これでもかと和哉を睨みつけている。
「信吉さんがどれだけ傷ついたと思ってるの!!!」
「っ……」
和哉の肩が跳ねる。
返事はなかった。
いや、できなかったんだと思う。
教室中の視線が集まっている。
いつもなら和哉を囲んで騒いでいる男子たちも今は誰1人として口を開かない。
誰も助けない。
「昨日、信吉さんがどんな顔をしてたか、そっちは知ってるの?」
「そ、それは……」
「そりゃ知りませんよね! 自分たちだけ笑って信吉さんを置いて帰ったんだから!」
和美ちゃんの追撃は止まらない。
「信吉さん、全然私と目を合わせてくれなかった! 大丈夫って言ってたけど、どう見たって大丈夫じゃなかった!」
「…………」
「声だって震えてた! 泣くのを我慢して、ずっと顔を伏せてた!」
昨日のことが、はっきりと頭に浮かんでくる。
屋上の冷たい床。
遠ざかっていく笑い声。
顔を上げられなかった俺。
和美ちゃんに「大丈夫」と言った俺。
今思えば全然大丈夫じゃなかった。
あの時は、そう言わないと自分が崩れてしまいそうだっただけだ。
「それなのに、楽しませようとした? よくそんな都合のいいことが言えるよね!」
「ち、違うんだ。俺は、そこまで傷つくとは思ってなくて……」
「本気で告白されたと思わせたかったんだよね?」
「だから、あれは冗談で――」
「信吉さんが本気にするように宮下さんって人に告白させたんでしょ!」
教室の窓際で小さく息を呑む音が聞こえた。
宮下さんだ。
昨日、俺を屋上に呼び出し、好きだと言った女子。
あの時の真剣な表情も。
頬を赤くして俯いていた姿も。
全部、俺を騙すための演技だった。
「宮下さんにも、本当に告白しているように振る舞わせたんでしょ? 信吉さんを騙すために、みんなで準備したんでしょ?」
「そ、それは……」
「そこまでしておいて、本気にするとは思わなかった? そんな言い訳が通ると思ってるの?」
「…………」
和哉は叩かれた頬を押さえたまま視線を泳がせていた。
俺を見たかと思えば、すぐに目を逸らす。
次に昨日一緒に笑っていた男子たちを見る。
だけど誰も助け船を出さない。
それどころか和哉と目が合いそうになると揃って俯いていた。
「さすがに、それは……」
「嘘告って、本当にやったの?」
「まさか今村が考えたのかよ……」
「それにやった宮下さんもね〜」
教室のあちこちから声が聞こえてくる。
その全部が耳に入ってきた。
俺まで笑われるかもしれない。
そう思っていた。
嘘の告白を本気にした俺が悪い。
冗談を冗談として流せなかった俺が恥ずかしい。
みんなにも、そう思われるんじゃないかと怖かった。
でも。
「それ普通にひどくない?」
誰かが呟いた。
別の誰かが続く。
「しかも、みんなで笑ったんだろ?」
「俺なら学校来たくなくなるわ……」
笑う声はなかった。
聞こえてくるのは和哉たちを責めるような声ばかりだった。
「…………」
胸の奥に詰まっていたものが、ほんの少しだけ軽くなる。
俺がおかしかったわけじゃない。
傷ついた俺が弱かったわけでもない。
和哉たちがしたことは、やっぱりひどいことだったんだ。
そう言ってもらえた気がした。
「の、信吉」
和哉が俺に顔を向ける。
「俺、本当にそこまで傷つけるつもりはなかったんだ。お前なら最後には笑って許してくれると思ってた」
「…………」
「ほら、俺たち小学生の頃からの親友だろ? これまでも、ふざけ合ったりしてたじゃん。今回だって、そういうノリのつもりで……」
「親友だから許してもらえると思ってたの?」
俺が答えるより先に和美ちゃんが言い返した。
「いや、だからさ……」
「信吉さんが優しいから、最後には自分を許してくれる。そう思って、どこまで傷つけても平気だと思ってたの?」
「そ、そんなこと思ってない!」
「だったら、どうして今まで謝らなかったの!」
「っ……」
「さっきから言い訳ばかり! 楽しませようとしたとか、冗談だったとか、傷つくとは思わなかったとか! 自分は悪くないって話ばかり!」
和美ちゃんが一歩、和哉へ近づく。
和哉が反射的に半歩下がった。
「信吉さんに、たった一度でも謝ったの?」
「そ、それは……今から――」
「私に叩かれてクラスのみなさんに責められたから謝るの?」
「違うって!」
「何が違うの!」
和美ちゃんの声が、さらに大きくなる。
「そっちは今も信吉さんが傷ついたことより自分が悪者にされることばかり気にしてるだけ」
「俺はそんなつもりじゃ――」
「つもりじゃなかったら、なにをしても許されると思わないで!」
和美ちゃんの右手が震えている。
和哉の頬を叩いた手だ。
手のひらだけじゃなく指先まで赤くなっていた。
それでも和美ちゃんは、その手を強く握り締めようとしている。
「信吉さんは、そっちのことを本当に親友だと思ってたはず。信じていた人に裏切られたから、あんなに傷ついた!」
「…………」
「それなのに、そっちは――」
「か、和美ちゃん」
気づいた時には俺は声を掛けていた。
和美ちゃんの身体が、びくっと揺れる。
「大丈夫? ちょっと落ち着いて」
「…………」
返事はなかった。
和美ちゃんは肩で息をしている。
それでも和哉を睨むのをやめなかった。
「和美ちゃん」
もう一度、名前を呼ぶ。
今度は、できるだけ優しく。
「こっち見て」
「…………」
和美ちゃんの視線が、ゆっくりと俺へ向けられる。
紫色の瞳が潤んでいた。
怒っているはずなのに今にも泣き出しそうな顔だった。
「……信吉さん」
さっきまで教室中に響いていた声が急に小さくなる。
「手、痛くない?」
「……平気です」
「赤くなってるよ」
「こんなの、全然……」
和美ちゃんが右手を背中へ隠そうとする。
でも指先はまだ震えていた。
「俺のために怒ってくれたんだよね」
「…………」
「ありがとう」
「でも、私は……まだ、こいつに……」
和美ちゃんが、もう一度、和哉を見ようとする。
俺はその前に一歩動き、二人の間へ入った。
和美ちゃんが俯く。
ピンク色の髪が揺れ、その表情を隠した。
荒かった呼吸も、ゆっくりと落ち着いていった。
よかった。
このまま怒り続けていたら和美ちゃんまでつらくなってしまう。
俺のために、これ以上傷ついてほしくなかった。
「一旦、教室を出ようか」
「…………」
「少し休もう」
「……分かりました」
和美ちゃんは小さく首を縦に振った。
俺は和美ちゃんの肩に両手を置く。
「行こう」
「はい……」
クラスメイトたちからの視線が一斉に追いかけてきた。
教室へ入ってきた時も同じように見られていた。
だけど不思議と足は止まらなかった。
前に進めた。
後ろのドアまで来たところで、俺は一度だけ振り返った。
「…………」
和哉は叩かれた頬を押さえたまま動かずに固まっていた。
いつも明るく笑っている顔からは完全に表情が消えている。
俺を追いかけてくることも。
なにか言い返すこともない。
少し離れた窓際では宮下さんが俯いている。
昨日、俺に好きだと言った時とはまるで違う。
両手でスカートを強く握り締め、気まずそうに唇を噛んでいた。
周りの女子たちに見られていることにも気づいているはずなのに顔を上げようとしない。
俺と目が合いそうになった瞬間、逃げるように視線を逸らした。
「信吉さん?」
「あっ、ごめん。行こうか」
「はい」
俺は二人から視線を外す。
和美ちゃんと一緒に教室を退出した。




