第25話 和美ちゃんの作ってくれた朝ご飯
「信吉さ〜ん、朝ご飯できましたよ〜」
食卓へ料理を並べ終えた和美ちゃんが俺を呼ぶ。
「うん。分かった〜」
テレビを消し、ソファから立ち上がる。
さっきから、いい匂いがしていた。
お腹も何度か鳴っている。
和美ちゃんには聞かれていないと思いたい。
「お待たせしました」
「いや、全然待ってな——」
食卓の前まで来て言葉が止まった。
「これ全部作ってくれたの?」
「はい!」
和美ちゃんがピンク色のエプロンをつけたまま胸を張る。
大皿には、黄色い卵焼きと、こんがり焼かれたウィンナー。
その隣にはきゅうり、ミニトマト、ブロッコリーが彩りよく盛りつけられていた。
俺から見て左側には白米の入った茶碗。右側には味噌汁。
湯気の向こうに豆腐やわかめが見える。にんじんやきのこも入っていて、箸を入れる前から具沢山だと分かった。
さらに小鉢には、ほうれん草の胡麻和えまである。
「すご……」
俺、さっきまでバナナ1本で済ませるつもりだったんだよな。
それがこんなことになる?
「美味しそう〜」
思わず口から漏れた。
卵焼き、ふわふわしてそう。
ウィンナーも皮に少し焼き目がついている。
かじって、すぐに白米を食べたら絶対に美味しい。
「…………っ」
危ない危ない。
ヨダレが出る。
口を閉じてギリギリのところで飲み込んだ。
「信吉さん?」
「な、なんでもないよ」
「お腹、すきましたか?」
「ものすごく」
「ふふっ。では、たくさん食べてくださいね」
和美ちゃんが大皿の位置を少し直す。
「お待たせしました。私特製の朝ご飯です!」
ニコッと笑った。
料理も笑顔も朝から贅沢すぎる。
「い、いただきます!」
俺は我慢できずに素早く椅子へ座った。
両手を合わせ、すぐに箸へ手を伸ばす。
まずは卵焼きだ。
端っこの少し焼き色がついているところ。
あそこがいい。
「あ、待ってください!」
「えっ?」
箸へ伸ばした手が止まる。
なんだろう。
まだ食べちゃダメだった?
「なにか忘れてる?」
「大事なことを忘れています」
「食事の挨拶ならしたけど」
「はい。ちゃんと聞いていました」
「?」
「少しだけ、そのままでいてくださいね」
向かい側に座る和美ちゃんが、なぜか別の箸を用意する。
大皿から卵焼きをつまんだ。
俺が狙っていた端っこのやつ。
もしかして味見をするのかな。
そう思った次の瞬間。
「はい! あ〜〜ん」
「…………」
和美ちゃんが前のめりになって卵焼きを俺の口元へ差し出した。
「…………え?」
「あ〜〜ん、です」
「それは聞こえたけど」
「では、どうぞ」
「どうぞって……」
どうすればいいんだ、これ。
いや、どうして欲しいのかは分かる。
分かるんだけど。
和美ちゃんが作ってくれた朝ご飯を和美ちゃんに食べさせてもらう?
朝から?
学校へ行く前に?
「信吉さ〜ん、口が閉じていますよ〜」
「そ、そうだね」
「開けてください」
「自分でも食べられるよ?」
「知っています」
「じゃあ自分で——」
「私が食べさせたいんです」
迷いのない返事だった。
「ダメですか?」
「…………」
和美ちゃんが少しだけ首を傾げる。
箸を持ったまま、じっと俺を見つめる。
断れるわけがない。
こんなに美味しそうな朝ご飯を用意してくれた子に、そんな顔をされたら。
「わ、分かったよ」
「やった! はい、あ〜〜ん」
「あ、あ〜ん……」
ぎこちなく口を開ける。
和美ちゃんは俺の顔を見ながら、ゆっくり卵焼きを運んでくれた。
ぱくっ。
箸が離れる。
食べた。
本当に食べてしまった。
和美ちゃんから、あーんで。
「…………」
どこを見ればいいんだろう。
目の前には和美ちゃんの顔。
期待するみたいに紫色の瞳が俺を見つめている。
落ち着け。
とりあえず噛もう。
そう思って口を動かした途端、ふわっと甘さが広がった。
「あっ……」
柔らかい。
噛むとじゅわっとして卵の味がする。
甘いけど甘すぎない。
俺、こういう卵焼きが好きだ。
「どうですか?」
「お、美味しい!」
考えるより先に言葉が出た。
和美ちゃんがぱっと顔を明るくする。
「本当ですか?」
「うん。これ、すごく好きな味」
「よかったです、えへへっ」
照れたように笑う。
その顔を見ていたら、もう一度美味しいと言いたくなった。
「本当に美味しいよ。ありがとう」
「……そんなに言われると嬉しくなっちゃいます」
「なっていいと思うけど」
「明日も作りたくなっちゃいますよ?」
「それは毎朝だと大変じゃ……」
「では、その話は後でしましょう」
和美ちゃんが再び箸を大皿へ伸ばす。
「次はウィンナーです。信吉さん、あ〜〜ん」
「待って」
「はい?」
「まだやるの?」
「もちろん!」
つやつやしたウィンナーが近づいてくる。
正直、食べたい。
さっきからずっと食べたかった。
「熱くない?」
「少し冷ましますね」
和美ちゃんが、フーフーッと吐息をかけてウィンナーを冷ましてくれる。
「はい、あ〜〜ん」
口元に差し出される。
俺はもう一度、口を開けた。
ぱくっ。
皮がぱりっと弾ける。
「美味しい……」
「ふふっ」
ダメだ。
美味しさに負ける。
恥ずかしいのに次はなにを食べさせてくれるんだろうと少し期待している自分がいた。
「あ、ご飯も食べたい」
「はい。どうぞ」
俺は茶碗を持ち、白米を口へ運んだ。
これだ。
ウィンナーの後のご飯、最高。
味噌汁にも口をつける。
温かい汁が喉を通り、お腹の辺りまでほっとした。
「味噌汁も美味しいね」
「具は冷蔵庫にあったものを使わせてもらいました」
「こんなに入ってるの、嬉しい」
「では、次はこちらです」
「……どうしたの?」
「野菜が残っています」
「野菜も自分で……」
無言。
笑顔。
和美ちゃんは既に箸を右手に持っている。
「……はい」
「お任せください!」
和美ちゃんは大皿に箸を向かわせる。
「次はブロッコリーです。あ〜ん」
口を開ける。
食べる。
和美ちゃんが嬉しそうに笑う。
「きゅうりもどうぞ」
「うん」
「ミニトマトは慌てずに食べてくださいね。果汁が飛んじゃいますから」
「分かったよ」
「はい、あ〜ん」
もう返事まで素直になっていた。
ミニトマトを噛むと、甘酸っぱい汁が口に広がる。
「和美ちゃんは食べなくていいの?」
「私は家で食べてきました」
「お腹すかない?」
「今はいっぱいです」
「そっか」
「信吉さんが美味しそうに食べてくれるので」
「それでお腹いっぱいになるの?」
「なります」
和美ちゃんが俺を見て笑う。
「でも美味しいって言ってもらえるのは別腹です」
「それは何回でも言えるよ」
「では、こちらもお願いします」
差し出されたのは、ほうれん草の胡麻和えだった。
ぱくっと食べる。
胡麻の香りがいい。
「これも美味しい」
「えへへっ」
「何回言っても、その顔するね」
「何回言われても嬉しいですから」
こっちまで笑ってしまった。
その後も、白米と味噌汁は自分で食べ、おかずは和美ちゃんに食べさせてもらった。
卵焼き。
ウィンナー。
サラダ。
胡麻和え。
最初はあんなに迷っていたのに気づけば和美ちゃんが箸を持ち上げるだけで口を開けていた。
白米を残さず食べ、味噌汁も飲み干す。
食卓に並んでいた料理は、すっかりなくなっていた。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末さまでした!」
「本当に美味しかった。朝からこんなに食べたの久しぶりだよ」
「そうなんですか! それなら作ってよかったです」
和美ちゃんが空になった大皿を見て嬉しそうに目を細める。
俺も満腹だった。
ただ一つだけ気になる。
「結局、和美ちゃんにご飯と味噌汁以外、全部食べさせてもらったね」
「はい。上手に食べられました」
「子供みたいに褒めないでよ」
「嫌でしたか?」
「……嫌じゃなかったけど」
「では次もですね」
「次も!?」
次って、明日のこと?
……まさか、毎朝?
聞こうとしたけど、なんだか照れくさくて聞けなかった。




