第20話 助けを求めて叫ぶ
(今村和美視点)
自宅へ着く頃には外はすっかり暗くなっていた。
「…………」
門の前で足を止め、スマートフォンの画面を見る。
『家に着いたら教えてね』
信吉さんから届いたメッセージ。
つい数分前まで一緒にいたのに、もう会いたくなってしまう。
『今、着きました。お気遣いありがとうございます」
そう返信してからスマートフォンをカバンへ戻す。
「明日も会えるんだから」
自分に言い聞かせて門を開ける。
今日の放課後は信吉さんの家へ行って。
膝まくらをしてもらって。
頭も撫でてもらって。
途中であれが来たせいで楽しい時間を邪魔されてしまったけど。
「…………」
信吉さん格好よかったな。
あれが私を殴ろうとした時、すぐに前へ出てくれた。
振り下ろされる直前の拳を掴み、私を守ってくれた。
『和美ちゃんを傷つけるなら、俺が許さない』
「ふふっ……」
思い出しただけで頬が緩む。
いつもの優しい信吉さんも好き。
でも今日の信吉さんは本当に格好よかった。
実は強かったんだ信吉さんって。
かっこよすぎ!!!
「ただいま」
玄関のドアを開ける。
家の中はいつも通りだった。
リビングの方からテレビの音が聞こえてくる。
パパとママは、もう帰ってきているらしい。
これなら大丈夫。
今日あったことをすぐに話せる。
あれが接触禁止の約束を破って信吉さんの家まで来たこと。
信吉さんを脅したこと。
私を殴ろうとしたこと。
全部話してやる。
「…………」
ローファーを脱いでいると廊下から足音が聞こえてきた。
ゆっくりと近づいてくる。
パパかな。
そう思って顔を上げた。
「っ……」
玄関へ姿を見せたのは、あれだった。
なにも言わない。
廊下の真ん中に立ったまま、じっと私を見ている。
いつもなら無視して横を通る。
それだけでいい。
パパから私へ近づくなと言われているんだから。
「…………」
でも足が動かなかった。
あれの右手が視界に入る。
その瞬間、信吉さんの家での出来事が頭に浮かんだ。
握られた拳。
私へ向かって振り上げられた腕。
『お前、いい加減にしろよ!』
「…………っ」
体が小さく震えた。
怖い。
あれの顔を見ただけで、さっきのことを思い出してしまう。
信吉さんが止めてくれなかったら、あの拳は私の顔に当たっていた。
痛かったはずだ。
もしかすると怪我をしていたかもしれない。
「なに震えてんだよ」
「…………」
「俺が怖いのか?」
あれの声に体がさらに強張る。
絶対に怖いなんて言いたくない。
それを認めたら調子に乗らせるだけだから。
私はカバンの持ち手を両手で握った。
「別に」
「ふーん」
あれが鼻で笑う。
むかつく。
だけど、やっぱり体は動いてくれない。
あれの横を通ればいい。
ほんの数歩進めばリビングへ行ける。
それなのに足が床へくっついたみたいに動かなかった。
「和美」
「…………」
「今日、俺が信吉の家へやったこと、親父と母さんに言うつもりか?」
あれが低い声で尋ねてくる。
やっぱり、それが目的だったらしい。
自分が怒られて家から追い出されるのが怖いから私を待ち伏せしていたんだ。
「……だったらなに?」
声が少し震えた。
それでも、なんとか言い返す。
「全部言うつもり」
「全部って?」
「信吉さんに私と関わるなって言ったこと」
「…………」
「言うことを聞かなかったら学校でひどい目に遭わせるみたいに脅したこと」
「脅してねえよ。忠告しただけだ」
「あれを忠告だと思ってるなら、パパの前でも同じことを言えばいいでしょ?」
「お前……」
「それから私を殴ろうとしたことも言う」
「実際には殴ってねえだろ」
「信吉さんが止めてくれたからね。かっこいい信吉さんがね!」
「結果的に当たってねえんだからいいだろ!」
「全然よくない」
あれの声が大きくなるたびに肩が跳ねそうになる。
怖い。
逃げたい。
でも。
『和美ちゃんは弱くなんかない。強いよ』
信吉さんが言ってくれた。
『俺を守るために何度も怖いことへ立ち向かってくれた。そんな和美ちゃんが弱いわけないだろ?』
「…………」
大丈夫。
私は弱くない。
弱くない。
今だって、あれが怖くないわけじゃない。
本当はものすごく怖い。
でも怖いからって言うことを聞く必要はない。
私には信吉さんがいる。
それに今はパパとママも家にいる。
「どいて」
「は?」
「邪魔。パパとママに話があるから」
「…………」
「聞こえなかった? そこどいて」
私は震える足をなんとか動かした。
まずは右側から、あれの横を通ろうとする。
すると、あれも同じ方向へ動いた。
廊下を塞がれる。
「邪魔」
「…………」
今度は左側へ動く。
あれも左へ動く。
また進路を塞がれた。
「なんのつもり?」
「親父と母さんには言わせねえよ」
「どうやって?」
「させると思うか?」
「どういう意味?」
「分かるだろ」
あれが廊下の壁へ片手をつく。
身体を大きく見せるように足を広げ、完全に通路を塞いだ。
「ここから先は通さないってことだ」
あれはニヤッと意地悪な笑みを浮かべる。
「俺が退かない限り、お前はリビングへ行けない」
「…………」
「親父と母さんに余計なことを言わないって約束するなら通してやるよ」
「約束しなかったら?」
「今日はずっとここにいればいいんじゃねえの?」
「私が自分の部屋にも行けないけど?」
「俺には関係ねえよ」
「トイレにも行けない」
「我慢すれば?」
「…………」
本当にバカ。
なにか作戦があるのかと思ったけど、ただ通路を塞ぐだけ。
小学生でも、もう少しまともな方法を考える。
「それで私が諦めると思ってるの?」
「お前じゃ俺を退かせられねえだろ」
「…………」
「蹴ってみるか? 今度はさっきみたいに上手くいかねえぞ」
あれが右手を持ち上げる。
ただ髪をかき上げただけ。
それなのに私は反射的に目を閉じそうになった。
「ほら。もう震えてんじゃねえか」
「…………っ」
「信吉がいなかったら、お前なんかなにもできねえだろ」
悔しい。
言い返したい。
今すぐ股間を蹴り上げたい。
でも、また殴られそうになったら体が動かなくなるかもしれない。
あれの言う通り力づくでは勝てない。
「分かったら大人しく約束しろ」
「…………」
「今日のことは親父と母さんに言いません、って」
なるほど。
これが、あれの自分を守るための作戦なわけね。
私を怖がらせる。
通路を塞ぐ。
力では勝てないと思わせて無理やり言うことを聞かせる。
確かに私だけなら通れない。
あれを押しても簡単に押し返される。
無理に通ろうとしたら、また手首を掴まれるかもしれない。
でも。
ここは学校じゃない。
信吉さんの家でもない。
私の家。
しかもリビングにはパパとママがいる。
「どうした? 早く言えよ」
「…………」
「言わねえなら、ずっとそこに立ってろ」
あれが勝ち誇った顔をしている。
自分の作戦が上手くいっていると思っているらしい。
それなら、こっちにも考えがある。
私は大きく息を吸った。
「パパ! ママ!」
「は?」
「助けて〜〜!!」
家中へ響くように必死に叫んだ。
「ちょっ!? おま、何やって――」
「パパ! ママ! お兄ちゃんが怖い! 助けて〜〜!!」
「や、やめろ! 声が大きい!」
「パパ〜〜!!」
「黙れって!」
あれが慌てて私へ近づこうとする。
でも途中で動きを止めた。
口を塞ごうとして手を伸ばしかけたらしい。
だけど今、私に触れたらさらに言い逃れできなくなる。
あれは両手を宙に浮かせたまま、どうすればいいのか分からない様子で固まった。
「ち、違うんだ! 和美、落ち着け!」
「来ないで!」
「なにもしねえから!」
「近づかないで! パパに言われたこと、もう忘れたの!?」
「分かったから、声を小さくしろ!」
バタバタと手を動かして落ち着かない。
さっきまでの意地悪な笑みも完全に消えている。
「和美!」
リビングの方から大きな声が聞こえた。
ドタドタと廊下を走る足音が近づいてくる。
「なにがあった!」
パパが一番にリビングから姿を見せた。
その後ろからエプロン姿のママも慌てて追いかけてくる。
「和美、大丈夫!?」
「お、親父、母さん、これは違うんだ!」
あれの顔から血の気が引いていく。
「和哉。お前、そこで何をしている?」
「いや、ちょっと和美と話をしていただけで……」
「話?」
「そ、そう! 普通に兄妹で話してただけだよ!」
「ウソ! 通路を塞いで、パパとママのところへ行かせないようにしてた!」
「お、お前!」
「和哉?」
パパの声が一気に低くなる。
あれの肩が跳ねた。
「私、怖かった……」
私はローファーを脱いで玄関に上がってパパの後ろへ駆け込んだ。
「もう大丈夫だ。パパがいる」
パパが私を守るように、あれとの間へ立つ。
あれは口を開けたり閉じたりしながら必死に言い訳を探していた。
だけど、もう遅い。
私はパパの背中から少しだけ顔を出す。
あれと目が合った。
「…………」
私はニヤッと薄く笑みを浮かべた。
やった〜! 作戦成功♪




