第17話 膝まくらのおねだり
「信吉さ〜ん」
「…………」
「信吉さ〜〜ん」
「聞こえてるよ」
学校終わり。
俺の自宅のリビングに和美ちゃんの声が響いている。
俺たちはソファへ並んで座っていた。
学校から一緒に帰り、そのまま当たり前のように俺の家へ入ってきた和美ちゃんは、ずっと機嫌がいい。
両親から放課後や休日の日中は俺の家で過ごしてもいいと許可をもらったらしい。
それを教えてくれた時も、それはもう嬉しそうだった。
『これからは今までよりもたくさん信吉さんと一緒にいられます!』
そんなことを満面の笑みで言われたせいで俺はしばらくまともに顔を見られなかった。
「それで、どうしたの?」
「お願いがあります」
「お願い?」
「はい」
和美ちゃんがソファの上で体の向きを変える。
俺の方へ膝を向け、両手を揃えて自分の太ももの上へ置いた。
紫色の瞳が期待するように俺を見つめている。
「膝まくらしてほしいです」
「えぇ!?」
思わず大きな声が出た。
「ひ、膝まくら?」
「はい。膝まくらです」
「俺が和美ちゃんに?」
「他に誰がいるんですか?」
「いないけど……」
戸惑いを隠せない。
昨日は頭を撫でた。
今日は膝まくら。
順番がおかしくないか?
いや、そもそも膝まくらに正しい順番なんてあるのか?
「どうして急に膝まくら?」
「急ではありませんよ」
「俺には急なんだけど」
「昨日から考えていました」
「昨日から?」
「信吉さんに頭を撫でてもらっている時に次は膝まくらもいいなと思いました」
「ご褒美をもらいながら次のご褒美を考えてたの?」
「はい」
「欲張りだな……」
「頑張った人は、それに見合うだけのご褒美をもらうべきです」
和美ちゃんが得意そうに胸を張る。
「それに、今日も私、頑張りましたよ?」
「今日も?」
「私、あのクズ女を追い払ったじゃないですか?」
「ク、クズ女……」
あのクズ女とは宮下さんのことだろう。
名前すら呼ぶ気がないらしい。
「宮下さんは謝ろうとしてたんじゃないかな?」
「そんなの関係ないです。クズ女の自己満です」
「それは……」
「私が来なかったら嫌なのに我慢して謝罪を聞いていたでしょう?」
「…………」
否定できない。
「信吉さんは優しすぎるんです」
「そうかな」
「そうです。あのクズ女にまで気を遣っているじゃないですか」
「せめて宮下さんって呼んであげようよ」
「嫌です」
「即答なんだ」
「あの人は信吉さんの気持ちを弄びましたから」
和美ちゃんが不満そうに頬を膨らませる。
「ウソの告白をして信吉さんをその気にさせて笑いものにしました」
「うん……」
「そんな人の名前なんて呼びたくありません」
「分かったよ」
「私、間違ってますか?」
「間違ってるとは思わないけど」
「では私は頑張りましたよね?」
「確かにそうだけど」
「信吉さんを守りましたよね?」
「うん」
「なら、ご褒美をください」
「それが膝まくら?」
「そのとおりです」
和美ちゃんが、さらに体を近づけてくる。
俺の肩へ自分の肩をくっつけて甘えるように顔を覗き込んできた。
「信吉さ〜〜ん」
「ち、近いよ」
「膝まくらしてくれたら離れます」
「離れたあと、膝の上に来るんだよね?」
「はい」
「それは離れたことになるのかな……」
「細かいことは気にしないでください」
「気になるよ」
「信吉さ〜〜ん」
和美ちゃんが、さっきよりも甘い声で俺の名前を呼ぶ。
紫色の瞳を潤ませ、上目遣いでじっと見つめてきた。
「ダメですか?」
「…………」
「私、信吉さんのために頑張ったんですけど」
「分かってるよ」
「膝まくらして欲しいです」
「…………」
この顔でお願いされるのはずるい。
断れるわけがない。
「……分かったよ」
「本当ですか?」
「膝まくらすればいいんでしょ?」
「やった♡」
さっきまでの寂しそうな表情はどこへ行ったんだ。
和美ちゃんは満面の笑みを浮かべると、すぐにソファの上で横になろうとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
「なんですか?」
「心の準備が……」
「膝まくらに心の準備が必要なんですか?」
「俺には必要なの!」
「では、あと何秒待てばいいですか?」
「秒で聞くの?」
「一分も必要ありませんよね?」
「…………」
「十秒にしますか?」
「短いよ」
「では十五秒です」
「ほとんど変わってない」
「信吉さん、もう五秒経ちました」
「勝手に数え始めないで!」
「残り十秒です」
「待ってって!」
「九、八、七……」
「分かった! もういいよ!」
「最初からそう言ってください」
「和美ちゃんが急かしたんだろ……」
俺はソファへ深く座り直し、両足を揃えた。
「これでいい?」
「はい。失礼しますね」
和美ちゃんが体を横にする。
ピンク色の髪がソファの上へさらりと広がった。
そのまま俺の太ももへゆっくりと頭を乗せる。
「…………」
「…………」
軽い。
でも和美ちゃんの頭の重さと温もりは、はっきり伝わってくる。
「どうですか?」
和美ちゃんが下から俺を見上げる。
「ど、どうって?」
「重くありませんか?」
「大丈夫だよ」
「硬くありませんか?」
「それは俺が聞くことじゃない?」
「私はちょうどいいです」
「ならよかった」
「とても落ち着きます」
和美ちゃんが嬉しそうに目を細める。
「信吉さんの温もりが頭から伝わってきます」
「そう言われると恥ずかしいんだけど」
「なぜですか?」
「俺の膝の上に和美ちゃんがいるから」
「膝まくらですから当然です」
「そうなんだけど……」
「信吉さんも、すぐに慣れますよ」
「昨日も同じことを言われた気がする」
「昨日、体を密着させた時ですね」
「わざわざ口に出さなくていいから」
「信吉さんの心臓、すごく速かったです」
「いや、それは勘弁してよ」
「今日も速いですか?」
「教えないよ」
「自分で確かめましょうか?」
「どうやって!?」
和美ちゃんが膝の上で起き上がろうとする。
「待って! 速いから! 今日も速いから!」
「やっぱり速いんですね」
「…………」
「ふふっ」
完全に遊ばれている。
でも楽しそうに笑う和美ちゃんを見ると、怒る気にはなれなかった。
「信吉さん」
「今度はなんだよ?」
「このまま昨日みたいに頭を撫で撫でして欲しいです」
「まだ注文あるの!?」
「もちろんです」
「膝まくらだけじゃなかったの?」
「膝まくらをしながら頭を撫でてもらうまでが、今回のご褒美です」
「最初に言ってなかったよね?」
「今言いました」
「後から追加するのはずるくない?」
「ご褒美はたくさん欲しいですから」
和美ちゃんはニコッと笑う。
「ほら、お願いします」
「自分からお願いする人の態度じゃない気がする」
「お願いします、信吉さん♡」
「ハートをつければいいと思ってない?」
「ダメですか?」
「ダメじゃないけど……」
結局、断れない。
俺は右手を上げ、和美ちゃんの頭へそっと乗せた。
昨日と同じようにピンク色の髪へ触れる。
さらさらとしていて手触りがいい。
髪の流れに沿うように、ゆっくりと手を動かした。
「んぅ……」
和美ちゃんが気持ちよさそうに両目を閉じる。
「これです」
「昨日と同じ?」
「昨日よりいいです」
「どうして?」
「今日は信吉さんの膝まくらがありますから」
「そんなに違うもの?」
「全然違います」
俺はもう一度、頭の上から後ろへ向かって撫でる。
和美ちゃんは俺の手へ頭を押しつけるように少しだけ顔を傾けた。
「気持ちいいです」
「それはよかった」
「もっとお願いします」
「はいはい」
「返事は一回です」
「昨日も言われたな、それ」
「ちゃんと覚えていたんですね」
「和美ちゃんの注文が多かったから」
「今日も増えるかもしれません」
「もう増やさないでよ」
「では相談なのですが」
「絶対に注文じゃん」
「左手が空いていますよね?」
和美ちゃんが目を開き、俺の左手を見る。
「空いてるけど」
「握っていてください」
「頭を撫でながら?」
「はい」
「両手が塞がるんだけど」
「私も両手を使っています」
「何に?」
「信吉さんの手を握るためです」
和美ちゃんが俺の左手を両手で包み込む。
指先を絡め、その手を自分の胸元へ抱えた。
「これで完璧です」
「完璧なの?」
「膝まくらをしてもらいながら、頭を撫でてもらって、手も握ってもらっています」
「注文が三つになってるよ」
「全部合わせて一つのご褒美です」
「そんな理屈ある?」
「今作りました」
「正直だな……」
俺が苦笑すると、和美ちゃんも嬉しそうに笑った。
「信吉さん」
「なに?」
「本当にありがとうございます」
「俺は、なにもしてないよ」
「膝まくらをしてくれています」
「そうじゃなくて学校での話」
「私が勝手に追い払っただけですから」
「でも助かったよ」
「…………」
「宮下さんに話しかけられた時、どうすればいいか分からなかった。和美ちゃんが来てくれて安心した」
「信吉さん……」
「だから、ご褒美くらいならいくらでもするよ」
「本当ですか?」
「い、いくらでもは言いすぎたかも」
「もう聞きました」
「忘れてくれない?」
「絶対に忘れません」
「だよね……」
「明日からも、たくさん頑張りますね」
「ご褒美のために無理しなくていいから」
「無理ではありません。信吉さんのためなら、いくらでも頑張れます」
「でも危ないことはしないでよ」
「分かっています」
「本当に?」
「はい。クズ女を追い払うくらいにしておきます」
「だから、その呼び方やめようよ」
「嫌です」
「そこは変わらないんだ」
和美ちゃんが俺の左手をさらに強く握る。
「信吉さんは私が守ります」
「俺も和美ちゃんが困ってたら守るよ」
「…………」
「どうしたの?」
「今の、もう一回言ってください」
「えっ?」
「私を守るって、もう一回お願いします」
「恥ずかしいよ」
「私も恥ずかしいことをたくさん言っています」
「自覚はあるんだ……」
「早く言ってください」
「和美ちゃんが困ってたら俺が守るよ」
「ふふっ……」
和美ちゃんが満足そうに頬を緩める。
「では、その言葉もご褒美に追加します」
「また増えた」
「今日は特別ですから」
「何が特別なの?」
「私が信吉さんに膝まくらしてもらった記念日です」
「そんな記念日作る?」
「来年もお祝いしましょうね」
「毎年やるの!?」
「当然です」
「まだ今日が初めてなのに……」
「来年は、もっと豪華な膝まくらにしましょう」
「豪華な膝まくらってなに?」
「今から考えます」
「一年かけて?」
「はい」
「そんなに考えることないと思うけど」
「ありますよ。頭撫で撫での時間を増やしたり、手を握る時間を増やしたり」
「結局、時間が延びるだけじゃない?」
「信吉さんと一緒にいられる時間が増えるなら、それが一番豪華です」
「…………」
「信吉さん?」
「そういうことをさらっと言うの、ずるいよ」
「本当のことですから」
和美ちゃんは、また両目を閉じる。
「ほら、手が止まっています」
「あっ、ごめん」
「私が満足するまで続けてくださいね」
「それ、何分くらい?」
「未定です」
「昨日と同じ答えだ」
「今日は膝まくらもあるので、昨日より長くなると思います」
「俺、しばらく動けないね」
「安心してください。私も動きません」
「安心するところかな?」
「はい。ずっと一緒にいられますから」
「帰る時間まで?」
「できれば、それより先も」
「さすがに帰らないと怒られるよ」
「では、帰る時間までで我慢します」
「我慢なんだ」
「明日も来ますから大丈夫です」
「もう来る前提なんだね」
「両親公認ですから」
「俺の許可は?」
「膝まくらをしてくれたので、許可されたと判断しました」
「勝手に判断しないでよ」
「嫌ですか?」
「嫌じゃないけど」
「なら、明日も来ます」
「即決だな……」
「明日はなにをご褒美にしましょうか?」
「もう明日のご褒美を考えてるの?」
「はい。肩を揉んでもらうのもいいですね」
「追加注文は禁止」
「では、今のうちに予約しておきます」
「予約も禁止」
「信吉さ〜ん」
「甘い声を出してもダメ」
「信吉さ〜〜ん♡」
「ハートを増やしてもダメだって」
「まだ一つです」
「そういう問題じゃないよ」
「では、二つにしますか?」
「増やさなくていい!」
俺が声を上げると、膝の上で和美ちゃんが楽しそうに笑った。
その笑顔を見ながら、俺はピンク色の髪をゆっくりと撫で続ける。
明日のご褒美を巡る俺たちの掛け合いは、和美ちゃんが満足するまで、まだまだ終わりそうになかった。




