第16話 宮下さんからの声掛け
「ねぇ、青木君。ちょっといいかな?」
「っ……」
突然、すぐ近くから名前を呼ばれた。
一時間目終了後の休み時間。
授業を終えた先生が教室から出ていき、クラスメイトたちが一斉に動き始めた直後だった。
席を立って友人のところへ向かうやつ。
次の授業の教科書を机へ出すやつ。
購買へ行こうと教室から飛び出していくやつ。
いつもの騒がしい休み時間。
そんな中、俺は自分の席に座ったまま声を掛けてきた相手を見上げた。
「み、宮下さん……」
「……うん」
宮下さんが俺の席の側で立っている。
屋上で俺に嘘告した女子。
好きだと言って。
本気にさせて。
和哉たちと一緒に俺を笑った女子。
「…………」
その姿を見た瞬間、体が強張った。
屋上でのことが頭の中に蘇ってくる。
『青木君のことが好きです』
頬を赤くして恥ずかしそうに俺を見つめていた宮下さん。
告白なんてされたことがなかった俺は完全に信じてしまった。
本当に好かれているのかもしれない。
そんなふうに期待してしまった。
だけど全部ウソだった。
俺が返事をしようとしたところで和哉たちが物陰から出てきた。
『こいつ本気にしてる!』
みんなの笑い声。
俺を指差す和哉。
気まずそうにしていた時もあったが、その場から離れなかった宮下さん。
「…………」
宮下さんの後ろへ目を向ける。
誰かが隠れているんじゃないか。
また俺の反応を見て笑おうとしているんじゃないか。
スマートフォンを向けられていないか。
そんなことを考えてしまう。
でも宮下さんの近くには誰もいない。
教室にいるクラスメイトたちも自分たちの話をしていた。
少なくとも今のところ笑っているやつはいない。
「え、どうしてかな……」
声が震えた。
動揺を隠せない。
なんで宮下さんが声を掛けてきた?
意図が読めない。
正直怖い。
できることなら今すぐ席を立って離れたかった。
だけど急に逃げたら、なにを言われるか分からない。
俺は椅子へ座ったまま机の下で手を強く握った。
「その……」
宮下さんが周りを気にするように視線を動かす。
俺とは目を合わせない。
制服のスカートを指先で握り、言いづらそうに口を開いた。
「あの、えっと、嘘告の件、しっかり謝ろうと思って」
「謝る?」
「うん」
宮下さんが小さく頷く。
「本当にごめんなさい」
「…………」
「今村君たちに頼まれて……断りづらかったからって、あんなことに協力して……」
宮下さんの声は、ほとんど聞こえないくらい小さい。
「青木君が、あそこまで本気にするとは思ってなかったの。でも、だからって許されることじゃないし……」
「…………」
「昨日からずっと気になってて。朝も話しかけようと思ったんだけど、今村さんがずっと青木君の近くにいたから……」
俺はなにも答えられなかった。
謝ってくれている。
少なくとも今の宮下さんは笑っていない。
気まずそうに目を逸らし、唇まで震わせている。
でも。
「…………」
だからといって、すぐに許せるわけじゃない。
本当に反省しているのかも分からない。
信じていいのか。
また騙されるんじゃないか。
頭の中で色々な考えがぶつかり、なにを言えばいいのか分からなくなる。
「ねぇ、青木君」
「…………」
「本当に、ごめ――」
「なにやってるんですか!」
「っ!?」
教室に怒号が響いた。
騒がしかったクラスメイトたちの声が、ぴたりと止まる。
俺と宮下さんが同時に声のした方へ顔を向けた。
「……和美ちゃん」
教室の扉の近くに和美ちゃんの姿があった。
休み時間になったから俺のところへ来てくれたらしい。
いつもなら俺を見つけた瞬間、嬉しそうに笑ってくれる。
だけど今は違った。
大きな紫色の瞳を見開き、宮下さんを睨みつけている。
「信吉さん!」
和美ちゃんが駆け出す。
教室の中にいるクラスメイトたちの間を抜け、一直線に俺の席へ向かってきた。
「待って! あたしは青木君に――」
「近づかないでください!」
和美ちゃんが俺と宮下さんの間へ強引に入り込む。
その際、宮下さんの体を腕で押しのけた。
「キャッ!?」
宮下さんが驚いた声を上げ、数歩後ろへ下がる。
近くの机へ手をつき、どうにか体を支えた。
和美ちゃんは俺を背中へ隠すように立つ。
それからキッと鋭い眼光で宮下さんを睨みつけた。
「信吉さんに近づかないでください!」
「っ!?」
「なんなんですか? いきなり信吉さんに接触して」
「あたしはただ昨日のことを謝ろうと……」
「もしかして罪悪感に耐えられなくて謝ろうとしたんですか?」
「…………」
宮下さんが息を呑む。
「信吉さんに謝って、許してもらって、自分だけ楽になろうとしたんですか?」
「違う。あたしは、そんなつもりじゃ……」
「では、どういうつもりですか?」
「本当に悪かったと思ったから……」
「それなら、どうしてすぐに謝らなかったんですか?」
「それは……」
「あれと一緒に信吉さんを笑ったんですよね?」
「あ、あたしは笑ってない」
「本当ですか? ウソつかないでください」
和美ちゃんの容赦ない言葉。
クラスメイトたちも俺たちのやり取りへ注目していた。
「宮下、謝ろうとしてたのか」
「でも、今さらだよな……」
「今村の妹、また来たんだ」
「青木のことになると、本当に怖いな……」
そんなクラスメイトたちの声が聞こえてくる。
宮下さんにも聞こえているはずだ。
視線が床へ落ちていく。
「あたしだってずっと後悔してた」
「だったら後悔したままでいてください」
「っ……」
「謝って自分だけすっきりしようとしないでください」
「すっきりしようとしたわけじゃない」
「自分が謝りたいからって信吉さんの気持ちを無視して近づかないでください」
「でも謝らないままなのも……」
「そっちの都合なんて知りません」
和美ちゃんは宮下さんから俺を守るように両腕を少し広げる。
「謝っても、あなたがやった最低な行いは帳消しになりませんからね」
「…………」
「嘘の告白をして、本気にさせて、笑いものにしたんですから」
「…………」
「それを『ごめんなさい』の一言でなかったことにできると思わないでください」
「そんなこと思ってない……」
「なら許してもらえることを期待しないでください」
宮下さんはつらそうに下唇を噛んで俯く。
目元にはうっすらと涙が浮かんでいた。
なにかを言い返そうとして何度か口を開く。
でも結局は何も言わなかった。
「さっさと消えてください!」
「…………」
和美ちゃんの大きな声が宮下さんへ突き刺さる。
宮下さんの肩が、びくっと揺れた。
俯いたまま体の向きを変える。
クラスメイトたちの視線から逃げるように足早に自分の席へ戻っていった。
椅子へ腰を下ろし、机の上へ教科書を広げる。
だけどページを見ることはなかった。
両腕を使って顔を伏せている。
周りにいる女子たちも、どう声をかければいいのか分からないらしい。
気まずそうに顔を見合わせていた。
「…………」
和美ちゃんは宮下さんが席へ戻るまで睨み続けていた。
それから、ゆっくりと俺へ振り返る。
「信吉さん」
「か、和美ちゃん……」
さっきまでの怖い表情が一瞬で消える。
心配そうに眉を下げ、俺の前へしゃがみ込んだ。
「大丈夫でしたか?」
「うん……」
「なにかひどいことを言われませんでしたか?」
「謝りたいって言われただけだよ」
「そうですか」
和美ちゃんは何度か首を縦に振る。
「もう大丈夫です。私がいますから」
「ありがとう」
和美ちゃんが俺の手を優しく握る。
「私がそばにいますので」
「……うん」
手から伝わる温もりに固まっていた体から少しずつ力が抜けていく。
一方、宮下さんは自分の席へ戻ったまま顔を上げない。
俺たちの方を見ることはなかった。




