第15話 両親を味方につけました
夕方ごろ。
「ただいま」
ローファーを脱ぎ、きれいに揃えてから家へ上がる。
「…………」
帰ってきてしまった。
信吉さんとの楽しい時間が終わってしまった。
できることなら、もう少し一緒にいたかった。
もう少しどころか夕食もお風呂も睡眠も全部忘れて、ずっと隣にいたかった。
「ふふっ……」
思い出すだけで頬が緩んでしまう。
信吉さんと二人きりになったことで、つい甘えてしまった。
ソファで体を密着させて腕まで抱き締めた。
信吉さんの温もりは心地よかった。
最初は石みたいに固まっていたけど、それも可愛かった。
心臓の音も、すごく速かった。
私とくっついたことで、あんなに緊張してくれた。
それだけでも嬉しいのに。
「…………」
私は自分の頭へ手を乗せる。
信吉さんが撫でてくれた場所。
さらさらと髪の流れに沿って何度も優しく撫でてくれた。
「よかったなぁ〜〜」
やばかった。
気持ちよかった。
幸せだった。
帰る直前も頭を撫でてもらったから、まだ信吉さんの手の感触が残っている気がする。
明日もなにかお願いしてみよう。
頭撫で撫でもいい。
腕を組むのもいい。
今度は、もっと長く体を寄せてもいいかもしれない。
今日頑張ったご褒美はもらった。
なら明日は学校へ行ったご褒美とか。
休み時間に教室へ行ったご褒美とか。
一緒に帰ったご褒美とか。
また、あれに対する頑張ったご褒美とか。
探せば、いくらでも理由は作れる。
「や、やあ! 和美、おかえり」
「…………」
せっかく幸せな気分だったのに。
聞きたくもない声が聞こえてきた。
いつもどおりあれが玄関へ姿を見せる。
ただ今日はいつもと様子が違った。
動きがぎこちない。
妙に内股で壁へ手をつきながら歩いている。
顔にも気まずそうな表情が浮かんでいた。
私に怒られた挙句、ビンタまでされたんだから当然か。
そのあと、学校で私の手首を強引に掴み、股間を蹴られた。
今も痛むのか、歩くたびに顔を引きつらせている。
自業自得。
むしろ、まだ普通に歩けることが腹立たしい。
「和美、その……今日は色々あったけどさ」
「…………」
「俺も悪かったと思ってるんだ。だから少しだけ話さないか?」
完全に無視する。
目すら合わせない。
私はあれの横を通過し、そのままリビングへ向かった。
「ま、待ってくれよ!」
後ろから慌てた足音が追いかけてくる。
本当にしつこい。
諦めが悪い奴。
今日あれのせいで何度嫌な思いをしたと思っているんだ。
信吉さんのために動いている時間は幸せだった。
でも、あれに話しかけられたり、手首を掴まれたりした時間は最悪だった。
「パパ、ママ」
リビングへ入り、二人に声をかける。
パパはソファに座り、ニュース番組を見ていた。
ママはキッチンで夕食の準備をしている。
いい匂いがする。
「おかえり、和美」
「おかえりなさい。今日は遅かったのね」
パパとママが揃って私へ視線を向ける。
少し遅れて、あれもリビングへ入ってきた。
「和美、頼むから俺の話を――」
「パパ、ママ。話があるの」
「話?」
私はカバンを床に置く。
少し俯き、声も弱くする。
「私、もうお兄ちゃんと話したくないし、顔も見たくない」
「ど、どうしたんだ、いきなり」
「そうよ、和美。なにかあったの?」
パパが慌ててソファから立ち上がる。
ママも料理の手を止め、キッチンからこちらへ駆け寄ってきた。
「お兄ちゃんって……和哉のことよね?」
「うん」
パパとママの前だから一応お兄ちゃんと呼ぶ。
心底嫌だけど。
本当は、あれと呼びたい。
あれで十分。
むしろ、あれですら呼びすぎなくらいだ。
「和哉、お前、和美になにをしたんだ?」
「ち、違うんだよ。俺はなにも――」
「パパ、ママ」
あれの言葉へ被せる。
ここで話をさせるわけにはいかない。
「お兄ちゃんが、親友であり、私の大切な信吉さんに学校で嘘告を仕掛けたの」
「な、なんだと!?」
「あ、あの信吉君に!?」
パパとママが驚愕する。
信吉さんは小学生の頃から何度もこの家へ遊びに来ていた。
パパとママは信吉さんのことは知っている。特にママはよく知っている。
真面目で。
優しくて。
少し大人しいけど、とてもいい子。
ママはそんなふうに言っていた。
「嘘告というのは嘘の告白をさせたということか?」
「ううん。違うの。お兄ちゃんが他の人たちと計画して女の子に信吉さんを屋上へ呼び出させて嘘告を仕掛けたの」
「そんなことを……」
「信吉君、ずっと和哉のことを親友だと思っていたのに……」
ママが口元を手で覆う。
私は少しだけ唇を震わせた。
声も、さらに弱くする。
「その話を信吉さんから聞いた時、すごくつらそうにしてた。声も震えていたし、私の目も見てくれなかった」
これは本当だ。
あの時の信吉さんの顔を思い出すと、今でも胸が痛くなる。
「それなのに、お兄ちゃんは信吉さんを笑ったらしいの。みんなと一緒に」
「和哉……」
パパの声が低くなる。
「お前、本当にそんなことをしたのか?」
「ち、違うんだって! いや、やったことはやったけど、あれは遊びというか――」
「遊び?」
「信吉を楽しませようと思って……」
「ウソをついて人を笑いものにすることが遊びなのか?」
「だから、それは和美にも説明しようと――」
「私、信吉さんがかわいそうで……」
目元へ力を入れる。
少しだけ涙が浮かんできた。
大袈裟にはしているけど全部が演技というわけじゃない。
信吉さんが傷つけられたことを思い出せば、本当に泣きそうになる。
「だからお兄ちゃんと距離を取ってたの。もう関わりたくなかったから」
「ちょ、ちょっと待て、和美!」
あれが慌てて話へ割り込んでくる。
「親父、母さん、こいつの話だけ聞くのはおかしいだろ? 俺にも事情があるんだよ!」
「事情?」
「ああ。嘘告のことは悪かったと思ってるよ。だけど和美が俺の話を全然聞いてくれないから――」
「でも、しつこく私に言い訳しようとしてきたの」
「だから話し合おうとしただけだって!」
「私、何度も嫌だって言った」
「それは……」
「今日も学校で通れないように邪魔されて強く手首を掴まれたの」
「っ……」
あれの顔が引きつる。
私はブレザーの袖をまくり、左手首をパパとママへ見せた。
「これ」
手首には、まだ赤い痕が残っている。
あれに掴まれた指の痕。
ママが息を呑んだ。
パパの顔つきが変わる。
「おい! 和哉〜〜!!」
「ひっ!?」
パパが大きな声を出し、あれへ詰め寄る。
あれが後ろへ下がろうとしたけど、もう遅い。
パパはあれの胸ぐらを片手で掴み、そのまま引き寄せた。
「俺の大事な娘の和美に、なんてことをするんだ! あぁん?」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺の方の話も聞いてくれよ!」
「嫌がっている相手を力づくで止める理由が、どこにある!」
「俺たちは兄妹なんだぞ! 無視されたままなんて――」
「兄妹なら嫌がる妹の手首を強く掴んでも許されるのか!」
「そ、そういう意味じゃないって!」
「和美の手首に、こんな痕を残しやがって!」
パパは聞く耳を持たない。
あれの胸ぐらを掴んだまま乱雑にリビングの壁へ押しつける。
ドンッ!
「かはっ!?」
あれが苦しそうに顔を歪める。
壁まで振動した。
相当な衝撃が背中へ伝わったのが分かる。
「和美、怖かったね。大丈夫?」
ママが私を優しく包み込んでくれる。
「……うん。ありがとう、ママ」
私はママの胸へ顔を埋める。
服を両手で掴み、少しだけ体を震わせた。
もちろん大袈裟にしている。
でも、あれに触られたことが気持ち悪かったのは本当だ。
「もう大丈夫だからね」
ママが私の背中を何度も撫でてくれる。
「和哉」
パパが、あれを壁へ押しつけたまま言う。
「今後、お前には和美と接触することを禁じる」
「えっ!?」
「和美が話したくないと言っている間は、声を掛けるな。近づくな。触れることなどは絶対に許さん」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 同じ家に住んでるんだぞ!?」
「同じ家に住んでいるから、なにをしてもいいわけじゃない!」
「でも――」
「俺は和美のためなら、お前を徹底的に潰す。今後、和美から一度でも報告があれば家から追い出すことも躊躇わないからな! 分かったな!」
パパの怒号がリビングに響き渡る。
あれの顔から血の気が引いていった。
「それは賛成よ」
ママも私を抱き締めたまま頷く。
「和美が苦しみ傷つくのを放っておけないもの」
「か、母さんまで……」
「自分がなにをしたのか、ちゃんと考えなさい」
「おい、和哉。返事は?」
「……わ、分かった」
「聞こえないぞ!」
「分かった! もう和美には近づかない!」
あれは体を震わせながら首を何度も縦に振った。
よし。
これで家の中でもあれに絡まれることはなくなる。目的達成。
でも。
もう一つ。
この機会に絶対に許可を取っておきたいことがある。
「それと、パパ、ママ……」
「どうした、和美?」
「まだ怖いことがあるのか?」
「うん……」
私はママの胸から顔を上げる。
不安そうな表情を作り、二人を交互に見た。
「私、お兄ちゃんの顔を見たり、声を聞いたりするだけでも怖くなるの」
「…………」
「だから、少しでも一緒の場所にいないために……放課後や休みの日の日中は信吉さんの家で過ごしてもいいかな?」
「信吉君の家で?」
「うん。信吉さんと一緒にいると、すごく安心できるから」
「…………」
パパが腕を組んで考え込む。
「お、おい、それは――」
「お前は黙っていろ!」
「は、はいっ!」
口を挟もうとしたあれがパパに一喝される。
そのまま壁に背中をつけ、縮こまった。
「むぅ……」
パパが私を見る。
「だが和美が怖いのなら仕方がない。相手方がオッケーなら私は許そう」
「本当?」
嬉しくて思わず声が上擦ってしまう。
「ああ。もちろん相手方に迷惑をかけないこと。それから帰る時間はきちんと連絡すること」
「うん。絶対に守る」
「母さんはどうだろう?」
「信吉君はすごく優しい子だから大丈夫よ」
ママが迷うことなく答える。
「あの子なら和美を任せられるから。私も賛成」
「そういうことだ。和美、好きにしなさい」
「パパ、ママ、ありがとう」
私は二人へ笑顔を向ける。
やった〜!!
これで放課後や休みの日は信吉さんの家へ行ける。
今日よりも圧倒的に長く一緒にいられる。
パパとママが家にいない時、あれと遭遇することもない。
声を掛けられることもない。
信吉さんの隣に座って。
体をくっつけて。
頭も撫でてもらって。
今日よりも、もっとたくさん甘えられる。
よっしゃ!!!
「和哉」
「えっ?」
「まだ話は終わってない」
パパが、あれの胸ぐらを掴み直す。
「和美をひどく傷つけたこと。それから親友に嘘告を仕掛けたことについて詳しく話を聞かせてもらおうか」
「い、今から?」
「当然だ」
「そうね。私も信吉君のことについて詳しく聞きたいわ」
ママが私から離れ、パパの隣へ並ぶ。
「和哉。どうして、あんな優しい子を傷つけたの?」
「だ、だから、あれはちょっとした遊びで――」
「遊びで済むと思ってるの?」
「そ、それは……」
「来い、和哉」
「ちょ、ちょっと待って! 自分で歩くから! 引っ張らないで〜〜」
あれはパパに引きずられながらリビングを後にする。
ママも怖い表情を浮かべたまま、その後を追っていった。
「…………」
誰もいなくなったリビングで私は小さく息を吐く。
これから、あれはこっぴどく叱られるだろう。
パパとママのあの怒り方を見れば、容易に想像できた。




