第14話 学校の時とは違う和美ちゃん
「……信吉さん」
家のソファで隣に座る和美ちゃんが小さな声で俺の名前を呼んだ。
「ん?」
顔を向けた瞬間。
和美ちゃんが俺の腕に体を寄せてきた。
「か、和美ちゃん!?」
左腕に和美ちゃんの肩が触れる。
それだけじゃない。
体を預けるように、ぴったりとくっついてきた。
ピンク色の髪が俺の肩にかかり、少しくすぐったい。
「ど、どうしたの?」
「…………」
和美ちゃんは何も答えない。
俺の腕へ頬を寄せ、さらに体を近づけてくる。
近い。
近すぎる。
ただでさえ和美ちゃんが俺の家にいるだけでも少なからず落ち着かないのに。
帰り道で突然、家に入ってもいいかと聞かれた。
断る理由もなかったから、そのまま家へ上がってもらった。
リビングへ案内して。
麦茶を出して。
ソファへ並んで座った。
そこまではよかった。
最初は俺たちの間に人が一人座れそうなくらいの隙間があったはずだ。
それなのに話しているうちに少しずつ距離が縮まり、今では完全に密着している。
「か、和美ちゃん」
「はい」
「近くない?」
「近いですね」
「分かってるんだ」
「はい」
「少し離れた方が……」
「嫌です」
「即答なんだ……」
和美ちゃんは離れるどころか俺の腕を両手で抱える。
柔らかな感触が伝わり、体がさらに固まった。
どこを見ればいいのか分からない。
正面を向く。
テレビはついていない。
音のない黒い画面にソファへ座っている俺たちがうっすら映っていた。
「信吉さんの温もり、すごい落ち着きます」
和美ちゃんは安心したように両目を閉じる。
「俺の?」
「はい。信吉さんのです」
「そ、そう……」
「暖かいです」
「和美ちゃんも暖かいよ」
「本当ですか?」
「うん」
「ではお互いに暖かいですね」
「そうだね……」
なんだ、この会話。
俺は、なにを言っているんだ。
もっと他に言うことがあるはずなのに、なにも思い浮かばない。
「…………」
体が固まる。
どうすればいいのか分からない。
腕を動かせば和美ちゃんの体により触れてしまう。
和美ちゃんの温もり。
柔らかい体の感触。
腕を抱えている細い指。
その全部が伝わってくる。
「信吉さん」
「な、なに?」
「緊張していますか?」
「し、してないよ」
「ウソです」
「どうして分かるの?」
「いつもと表情も様子も違います」
「こ、これは元からだから」
「いつもは、そんな感じじゃないです」
「そうかな」
「はい。それに……」
和美ちゃんが俺の腕へさらに耳を近づける。
「心臓の音も速いです」
「聞こえるの!?」
「抱きついてる腕が強く早く脈打ってる気がします」
「だったら、少し離れ――」
「嫌です」
「また即答……」
「そのうち慣れます」
「慣れるまで、このままなの?」
「はい」
「それ余計に慣れない気がする」
和美ちゃんが、くすっと笑う。
俺が慌てていることを楽しんでいるようにも見えた。
でもそのまま目を閉じると表情がゆっくりと緩んでいく。
本当に落ち着くらしい。
「…………」
しばらくなにも言わずに座っていると、俺の緊張もほんの少しだけ和らいできた。
触れていることには慣れない。
それでも無理に離れようとは思わなくなった。
「私、今日頑張りましたよね?」
和美ちゃんが両目を開いて上目遣いで俺を見る。
大きな紫色の瞳が期待するように俺を見つめていた。
「う、うん」
「信吉さんのために行動しました」
「そうだね」
「朝は一緒に教室へ入りました」
「うん」
「休み時間になるたびに信吉さんのクラスへ行きました」
「毎回来てくれたね」
「信吉さんに変なことをする人がいないか、ずっと見張ってました」
「助かったよ」
「それから、あれにも怒りました」
「あれって、和哉?」
「名前は呼ばなくていいです」
「まだあれなんだ」
「これからもあれです」
「そ、そう……」
和美ちゃんは俺の腕を抱きながら、指を折って今日の出来事を数えていく。
「嘘告のことを問い詰めました」
「うん」
「頬も叩きました」
「そうだね」
「しつこくて手首も掴んで離さなかったので、股間も蹴りました」
「そこまで堂々と言わなくても……」
「あれが悪いです」
「まあ、それはそうだけど」
「信吉さんのために行動したし、あれにも怒ったし、股間も蹴ったし、大活躍でしたよね?」
「そ、そうだね」
「やっぱり大活躍ですよね?」
食い気味に繰り返し聞いてくる。
「うん。和美ちゃんがいなかったら、今日は学校にいられなかったと思う」
「…………」
「本当に助かったよ。ありがとう」
俺が素直に感謝を伝えると、和美ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
「それなら、ご褒美が欲しいです」
「ご褒美?」
「はい」
「何が欲しいの? お菓子なら家にあると思うけど」
「お菓子ではありません」
「ジュース?」
「それでもありません」
「じゃあ、なにかな?」
和美ちゃんが俺の腕から少しだけ体を離す。
そのまま頭を俺の方へ傾けた。
「ご褒美として頭を撫でてほしいです」
「……俺が?」
「他に誰がいるんですか?」
「いや、そうだけど……」
「お願いします」
「…………」
頭を撫でる。
別に難しいことじゃない。
だけど女の子の頭なんて撫でたことがない。
それも和美ちゃんの頭だ。
なんとなく緊張してしまう。
「ダメですか?」
和美ちゃんの眉が不安そうに下がる。
紫色の瞳まで少し寂しそうに見えた。
「だ、ダメじゃないよ」
「では、お願いします」
「こ、こうかな」
俺は恐る恐る右手を上げる。
和美ちゃんの頭の上で少しだけ止まった。
「信吉さん?」
「今からするよ」
「先ほどから手が止まっています」
「緊張してるんだよ」
「撫でるだけですよ?」
「分かってるけど」
「早くしてください」
「……分かった」
意を決して和美ちゃんの頭へ手を置く。
ふわっ。
「…………」
想像していた以上に柔らかかった。
手のひらに、さらさらとしたピンク色の髪が触れる。
壊れ物へ触れるように、ゆっくりと手を動かした。
「こんな感じ?」
「うぅん……そうです」
和美ちゃんが両目を細める。
「気持ちよくて落ち着きます」
「よかった」
俺はピンク色の髪の流れに沿って撫でる。
頭の上から後ろへ。
また手を戻し、同じようにゆっくりと動かす。
和美ちゃんは気持ちよさそうに目を閉じていた。
「もう少し、ゆっくりお願いします」
「こう?」
「はい……」
「注文が細かいね」
「ご褒美ですから」
「それなら仕方ないか」
「それと止めないでください」
「まだ止めてないよ」
「先に言っておきました」
「分かったよ」
何度も撫でているうちに俺の方も少しずつ慣れてきた。
力を入れすぎないように。
髪を乱さないように。
手のひらで優しく髪をなぞる。
和美ちゃんが俺の手に頭を預けるように少し傾けた。
その仕草を見ていると、帰り道で見かけた白い猫を思い出す。
「なんだか猫みたいだね」
「…………」
「和美ちゃん?」
「私は猫ではありません」
目を閉じたまま答える。
「でも撫でられて気持ちよさそうにしてるし」
「猫ではありません」
「さっきの白い猫みたい」
「あの猫は逃げました」
「そうだったね」
「私は逃げません」
「うん」
「それに誰にでも撫でさせるわけではありません」
「そうなの?」
「信吉さんだからです」
「…………」
また心臓が速くなる。
ようやく落ち着いてきたと思ったのに。
「手が止まっています」
「ご、ごめん」
「そのままお願いします」
「はい」
慌てて頭を撫でるのを再開する。
和美ちゃんは、うっとりした表情で撫でられ続ける。
口元が少し緩んでいる。
さっきまで学校で和哉を怒鳴り、頬を叩き、股間まで蹴り上げていた人と同じとは思えない。
今は甘えるように俺へ寄りかかっている。
「和美ちゃん」
「何ですか?」
「これ、いつまでかな?」
「むぅ」
和美ちゃんが不満そうに頬を膨らませる。
「私が満足するまでです」
「それって、どのくらい?」
「分かりません。未定です」
「そ、そうなんだ」
「はい」
「俺の腕、途中で疲れるかもしれないけど」
「疲れたら、少し休んでください」
「休んでいいんだ?」
「10秒だけです」
「短くない?」
「ご褒美の途中ですから」
「そうだったね」
「ほら、また止まっています」
「はいはい」
「返事は一回です」
「はい」
俺は苦笑しながら、もう一度和美ちゃんの頭を撫で始める。
手のひらの下で柔らかなピンク色の髪がさらさらと揺れる。
和美ちゃんは満足そうに目を閉じ、俺の腕へ頬を寄せた。
「気持ちいいです」
「それはよかった」
「まだ満足していませんからね」
「分かってるよ」
「止めたら駄目ですよ」
「止めないよ」
そう答えると、和美ちゃんは安心したように微笑んだ。
この終わりのなさそうな頭撫で撫では、まだまだ続くのだった。




