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死に戻ったので元婚約者は義妹に譲ります 〜お似合いのお二人ですから、最後までご一緒にどうぞ〜  作者: 鷹居鈴野


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第二十四話 六年の記録

# 第二十四話 六年の記録



 角笛が響いたあの朝から、決着のつかない睨み合いのまま、季節はいくつも巡った。

 王宮の噂も、貴族の顔ぶれも、少しずつ入れ替わっていった。けれど、私自身の暮らしの芯にあるものは、あの誓いの夜から、ずっと変わらなかった。



 ――間に合わなかった日を、もう一度、間に合わせる。



 その言葉を胸に置いたまま、私は六年という歳月を、ひとつずつ、記録するように生きた。



 *



 【一年目、秋】



 兄ライナスが、ローゼリアと大公国、両国の貴族院を行き来する橋渡し役として、正式に任命された。

 王宮の古参貴族の中には、当初、大公国の血が入らぬ純粋なローゼリア貴族が、これほど大公国の内情に通じることを、快く思わない者もいたという。

 けれど、兄は根気強く、両国の商習慣の違い、税制の違い、軍制の違いを、ひとつずつ、書面にして双方に示し続けた。

 半年もすると、彼の作る書面を待ち望む声のほうが、王宮でも大公領でも多くなっていた。



「お前の兄君は、剣よりも紙のほうが、よほど鋭い」



 ノクトが、そう評したことがある。

 兄は、その評を聞いて、珍しく声を上げて笑った。

 一周目、剣一本で北の戦線に散った兄は、もうどこにもいなかった。



 *



 【二年目、冬】



 大公領の古文書庫で、若い学者が一人、奇妙な記述を見つけた。

 名を、ヨーゼフといった。ノクトが、大公国内から選び抜いて古文書の整理に当たらせている、生真面目な青年である。



「閣下、アデリーヌさま。少々、奇妙なものを」



 ヨーゼフが差し出した羊皮紙には、大陸東方の滅びた王朝が、戦の最終局面で「魂を核とする兵器」を用いたという記述があった。

 私が、王宮図書館の禁書架で目にした記述と、同じ系統の話だった。



「王宮の禁書架にも、似た記述がございました」



 私が告げると、ノクトの瞳が、わずかに翳った。



「メルクリウス帝国の建国神話にも、同種の伝承がある。俺も、幼い頃に教師から聞いた」



「では、あれは、ただの伝説では」



「分からぬ。だが、伝説と呼ぶには、記述の細部が、あまりに具体的すぎる」



 ヨーゼフは、その日から、古文書庫の奥、最も厳重に鍵をかけられた棚の整理を任されることになった。

 小さな、けれど確かな一歩だった。

 この時点では、まだ、誰もそれが四年後の戦場に繋がるとは、知らなかった。



 *



 【三年目、春】



 大公領の書斎で、ノクトが、私のために小さな道具を作らせた。

 銀の盤に、細かな古代文字が刻まれた、円形の器具だった。



「磁針盤という。クロイツの血を通せば、魂の流れが映る」



「これで、戦場でも」



「ああ。お前ひとりの目に頼らずとも済む」



 私は、盤の上に手を置いた。

 銀の光が、ゆっくりと盤面に広がり、温室の白百合の魂の輪郭が、淡く浮かび上がった。輪郭は温室の壁の外までは届かず、盤の縁でひっそりと薄れていく。



 母から受け継いだ血が、道具の力を借りて、少しずつ、形を持ち始めていた。

 私は、消えていく光の名残を、しばらく指先で追った。



 *



 【三年目、秋】



 政と諜報の合間、私たちにも、ただの静かな時間はあった。

 大公領の温室で、私は母の好んだ白百合の世話をし、ノクトは、その傍らで書類仕事をする。それが、いつしか習いになっていた。



「アデリーヌ」



 ある夕暮れ、ノクトが、書類から顔を上げずに言った。



「婚礼の日取りを、そろそろ決めておきたい」



「まあ。あの騒がしい日々の中で、そんなことを」



「騒がしいからこそだ。落ち着いてから、と思っていては、いつまでも訪れない」



 私は、薔薇の鋏を置いて、あの方の隣に腰を下ろした。



「では、いつがよろしいですの」



「戦の気配が、完全に晴れたときだ」



 あの方は、書類を閉じ、私の手を取った。



「毒杯ではなく、聖水で誓う日を、俺は、必ず用意する」



 その言葉を、私は、ただ受け取った。

 戦の気配は、まだ晴れていなかった。けれど、その約束だけは、六年のあいだ、ずっと私の胸の内で、灯り続けていた。



 *



 【四年目、夏】



 王宮から、兄を通じて、静かな報せが届いた。

 メルクリウス帝国の国境守備隊が、この一年で倍近くに増強されている、という。

 表向きの理由は「辺境の治安維持」。けれど、増強された部隊の中に、これまで見たことのない編成の一隊が混じっている、と斥候の報告にはあった。



「氷竜、闇狼、鋼の蜘蛛……そういう名を、耳にしたことがある」



 ノクトが、地図を睨みながら呟いた。



「まさか」



「まだ、確証はない。だが、ヨーゼフの発見した記述と、あまりに符合しすぎる」



 私たちは、その夜、初めて、二年前に見つけた古い記述と、目の前の情勢を、明確に結びつけて考えた。

 ノクトは地図をたたみ、しばらく黙って、窓の外の暗い山並みを見ていた。



 *



 【五年目、冬】



 レアンドル王太子から、内々の書状が届いた。

 国境沿いの小競り合いが、この一年で、明らかに頻度を増している。小規模ながら、これまでとは違う手強さを見せる部隊が現れ始めている、という。



「小さな衝突が、少しずつ、大きな地鳴りに変わりつつある」



 兄ライナスが、両国の書面を見比べながら、言った。

 私は、磁針盤の前に座り、遠く霞む北の国境の方角に、意識を向けた。

 まだ、はっきりとした像は結ばない。けれど、盤の縁に、これまで感じたことのない、重く濁った気配が、かすかに滲んでいた。



 *



 【六年目、初夏】



 その日、大公国北西の斥候から、緊急の報せが届いた。

 国境近くの雪解けの谷で、これまで見たことのない大きさの足跡が発見された、という。

 人のものでも、獣のものでもない。



 ノクトが、地図の上に、その足跡の場所を示す印を置いた。

 私は、磁針盤に手を置き、深く息を吸った。

 銀の光が、盤の上に広がる。

 北の方角、遠く、これまでにない濁った渦が、ひとつ、確かに視えた。



「あれは」



「分からぬ。だが」



 ノクトの声が、低く沈んだ。



「もう、伝説の話ではない」



 かつて王宮図書館の禁書架で、まだ何も知らないままに読んだあの一行が、幾年もの歳月をかけて、ようやく現実の輪郭を持ち始めていた。

 窓の外、初夏の風が、大公領の樅の森を静かに揺らしていた。

 その風の向こう、北の国境で、何かが、ゆっくりと目を覚まそうとしていた。



(第二十四話 了 / 約2,600字)


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