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死に戻ったので元婚約者は義妹に譲ります 〜お似合いのお二人ですから、最後までご一緒にどうぞ〜  作者: 鷹居鈴野


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第十八話 白百合捕縛

# 第十八話 白百合捕縛



 シュヴァルツヴァルト国境の宿場町は、雪解け水の流れる小さな谷間にあった。

 町の名はリンデンタール。樹齢の古い菩提樹が広場を覆い、宿屋と教会と税関の小さな庁舎が三角に並ぶだけの、どこにでもある国境の町である。

 その町の一番奥、葡萄酒蔵を兼ねた宿屋「白鴉亭」の二階に、その夜、一人の女商人が部屋を取った。

 名乗りはエルケ・ハインリッヒ。帝国メルクリウス南部の出で、毛織物と香料を扱う商会の主だという。背丈は中くらい、栗色の髪を低い位置で結い、化粧は薄く、年齢は三十路の半ばほど。声は穏やかだった。

 宿屋の女将は、その客の物腰の整いように、少しだけ違和感を覚えたという。商人には商人の歩き方があり、貴族には貴族の歩き方がある。エルケと名乗る女性の歩き方は、商人にしては背筋が真っ直ぐ過ぎ、足音が静かすぎた。

 翌朝、女将はその違和感を、宿の常連の老人に語った。

 老人はティルダの諜報網に繋がる者だった。



 *



 報せは、ノクトさまのもとに、夜半に届いた。

 大公領北方の前線拠点で、私たちは早朝から待機していた。

 地図の上で、リンデンタールの位置が薄く赤く塗られている。



「司令官カイラ・フォン・ナイトシェイドだ」



 ノクトさまは地図に視線を落とし、低く告げた。

 白百合司令官カイラ。帝国メルクリウスの影部隊の長で、生涯のあいだに七度暗殺をやり遂げ、二度王朝を傾かせたと噂される女性である。表向きは商人や旅芸人や尼僧に擬装しながら大陸を渡り歩き、これまで一度も尻尾を掴ませたことがない。

 その彼女の足が、雪解けの国境の町に止まった。

 好機である。



「包囲は?」



「諜報部の手練れを十二名、宿の周囲に配置済みだ。表口、裏口、屋根、地下蔵。退路はすべて塞いである」



「捕えるとき、生かしておけますか」



「自白を取るまでは、絶対に殺さない」



 ノクトさまは私の方を一度だけ振り向いた。

 その血赤の瞳には、いつもの絶対零度の奥に、わずかな熱がにじんでいた。



「お前は、後ろにいてくれ」



「いいえ、ノクトさま」



 私は、銀の腕輪をはめた手をそっと撫でた。



「あの方とは、私の口でお話ししたいのです」



 ノクトは、わずかに眉根を寄せた。

 けれど、止めなかった。あの方は、もう、私を後ろに庇うだけの方ではなかった。



 *



 その夜、宿屋「白鴉亭」の二階。

 女商人エルケ・ハインリッヒが、二階の窓から月を眺めていたとき、廊下の床板がきしむ音もなく、扉の前に黒い影が並んだ。

 影の数は、四つ。

 彼女が振り返る前に、扉は内側から押し開かれていた。

 大公国諜報部の精鋭が、無言のまま部屋の隅々に身を散らした。煙幕も、警告も、なかった。ただ、剣の柄を握る手の数だけで、すでに包囲は完成していた。

 女商人は、長椅子に腰を下ろしたまま、ゆっくりと両手を膝の上に重ねた。



「お早いお迎えですわね、シュヴァルツヴァルトのお家の方々」



 声は、宿の女将に話していたものとは別人のものだった。

 低く、滑らかで、わずかに甘い。一周目の控室で、リリスが「お別れですわ、お姉さま」と告げたあの低い声に、ぞっとするほどよく似ている。

 訓練された声だった。



 ノクトさまと私は、最後に部屋に入った。

 ノクトはまず、長椅子に座る女の足元に視線を落とした。靴の埃の付き方、衣装の襞の畳まれ方、長椅子の背に置かれた肩掛けの結び目。すべてを一瞥で読み取ったうえで、彼女の正面に立った。



「白百合司令官、カイラ・フォン・ナイトシェイド殿。捕縛する」



 女の顔から、わずかに笑みが消えた。

 そして、すぐに別の笑みが浮かんだ。観念したというより、目の前の獲物を最後にいたぶろうとする、訓練された猛獣の目だった。



「シュヴァルツヴァルト大公にじきじきにお出ましいただけるとは、光栄ですこと」



 彼女の視線が、ノクトさまから私の方に流れた。

 その視線が、私の銀の髪に当たった瞬間、薄い驚きと、薄い忌々しげな感情がよぎった。

 司令官は、私のことを十分に知っていた。彼女の部下リリスを通して、私の歩き方も、声も、好みも、十一年分だけ報告を受けていたはずだから。



「ご令嬢、あなたが私たちの計画の最後の障害になるとは、思いもよりませんでした」



 司令官は嘆息に似た声で告げた。

 私は、扉から二歩、室内に踏み込んだ。



「あら、計画はとても順調にお進みでしたよ。リリスの偽聖女覚醒も、王太子の鉱山接収も、私はただ眺めていただけ」



 司令官の眉が、わずかに動いた。



「ヴィクトール殿下のお調印も、リリスの白百合の符も、私の方ではあらかた把握しておりました。お似合いのお二人で、せっせと墓穴を掘ってくださって、こちらは正直、楽でしたわ」



 司令官の口が、半分開いた。

 私はそのまま、敬語を崩さずに続けた。



「ご苦労さまでございました、司令官さま。お疲れでしょうから、落ち着いて、本部に何もかもお話しいただけますわよね」



 *



 司令官の私室からは、想定通り、いくつもの紙片が出た。



 王太子の調印した魔脈使用許可証の写し。

 リリスとの間で交わされた連絡符の解読簿。

 そして、最も重い一枚。



 帝国メルクリウス皇帝直筆の、侵略指令書。



 文字は黒い字で、簡潔に書かれていた。

 ローゼリア王国を内側から崩せ。王太子と義妹候補を駒として用い、王家を空洞化させたうえで、北の大公国との関係を孤立させよ。期日は二年以内。失敗の責は、白百合司令官カイラ自身が取る。

 末尾には、皇帝の私印が、紛れもない朱で押されていた。



 ノクトさまが、その指令書を最後に手に取り、しばらく黙していた。



「これで、戦争の根拠は揃った」



「ええ。ただ、まだ表には出しません」



「わかっている」



 あの方は、すべての書状を密匣に納めた。

 戦争の根拠は揃った。けれど、それを表に出すのは、王太子と義妹の婚礼の日と決めていた。

 一周目で私が殺された、あの祭壇の絨毯の上で。



 *



 司令官カイラの取り調べは、その夜のうちに、城館の地下で行われた。

 彼女は、思いのほかあっさりと自白を始めた。

 白百合の長として、捕縛された場合は同志を巻き込まず、自身の任務だけを淡々と語るのが流儀である、と彼女自身が告げた。

 リリスは、本名リリス・ヴェスタリア。十六年前、メルクリウス帝都の影部隊本部で生まれ、五歳から侯爵家潜入の特別訓練を受けた。

 戸籍上の母とされている後妻イザベラは、リリスの実母ではない。元高級娼婦で、白百合の協力者として、十一年前にローゼンクロイツ家へ後妻として送り込まれた。

 二人の戸籍は、東方教会の小教区で偽造され、ローゼリア王国の戸籍管理庁の若い役人を一人、買収して通された。

 潜入の最終目的は、当主たる主人公を毒殺し、リリスがその姿を完璧に擬装して王太子妃となること。

 すべては、私の声、所作、好み、癖、書字の癖までを十一年かけて観察するための、長い長い演技だった。



 司令官は、最後にひとつだけ、自負めいた言葉を漏らした。



「リリスの十一年の演技は、完璧だったはずです。あれほどの擬態を仕上げた者は、白百合の歴史でもそう多くはおりませぬ」



 私は、司令官の前に立ったまま、淡く微笑した。



「十一年の演技、確かに完璧でしたわ」



 言葉を置いた。



「けれど、私の母には及ばなかった」



 司令官の目に、初めて、ほんの一瞬の困惑が浮かんだ。

 その困惑の意味を、彼女が問い直す前に、私は背を向けた。



 母――マリアンヌ・フォン・ローゼンクロイツ。

 古代魔術師クロイツの末裔としての、母。

 亡くなる少し前、五歳の私に古文書庫を案内し、旧約の在処を教え、《見極めの瞳》の眠りを胸に植え付けた、母。

 たった五年で、私の魂の奥にここまでの種を残した母の演技に、十一年がかりの白百合の擬装が、敵うはずもなかった。



 *



 夜が、白み始めていた。

 城の小さな温室で、私とノクトさまは最後の打ち合わせをしていた。

 ガラス越しに、雪解けの森が薄青く明けていく。

 ノクトさまは、温室の小卓の縁に手を置き、低く尋ねた。



「祭壇は、あの大聖堂の祭壇でいいか?」



 あの大聖堂。

 王宮南の、白薔薇のタペストリーで覆われた控室の隣にある、王家の大聖堂。

 一周目の私が婚礼を挙げるはずだった、あの場所。

 水晶の杯がころんと音を立てて転がった、あの絨毯の延長線上にある、あの祭壇。



 私は、目を伏せて頷いた。



「ええ。一度目の私が倒れた、あの絨毯の上で」



 ノクトさまが、私の銀の腕輪に、形ばかりの口づけを落とした。

 血赤の瞳が、温室の白い光を吸い込み、深い色を一度だけ揺らした。



「祭壇に毒杯はもう置かせない。代わりに、リリスと王太子に、すべての証拠を捧げよう」



「ええ、ノクトさま」



 私は、母の銀の櫛を懐から取り出し、手のひらに載せた。

 冷たい銀の重みが、ようやく落ち着いた場所を見つけたように、じっとそこに収まった。



「お二人で、仲良く破滅していただきましょう」



 白百合の符は、もう司令官の手にはない。

 王太子の自筆の許可証の写しは、私たちの手に握られている。

 リリスの十一年の演技は、母の五年の置き土産には届かなかった。



 春は、もうすぐそこまで来ていた。

 温室の窓の外、雪解けの雫が、ひとつ、また落ちて、地面に小さな染みを作った。

 その染みの数だけ、婚礼の日は近づいている。



(第十八話 了 / 約4,990字)



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