贋金事件の解決
ノノが息を切らして階段を上がりきったのと時を同じくして屋敷の扉が中から開き、二年ぶりに見る父フィリップ・ド・ベルトランが目を潤ませながら駆け寄ってきた。
思わず『父上』と呼びそうになってノノは唇を噛んだ。父もまた、娘に娘と呼びかけることが出来ずに、言葉に詰まった様子で涙をこぼす。
「ああ…よく無事で……!」
フィリップは娘の肩を抱き寄せると、再会の喜びと安堵の混じった声を漏らした。
ノノもその腕の中で一瞬だけ目を閉じ、久しぶりに父の温かさを感じたが、今はそれに浸っている場合ではないとすぐに顔を上げた。
「アルフォンスの具合は…?」
ノノの問いにフィリップは涙を拭いながら頷く。
「医者の見立てでは命に別状はない。大量に血を失ったので、当分は目覚めないし体を起こすことも出来ないだろうが、助かると聞いている」
ノノは父の言葉を聞き、ほんの少しだけ肩の力が抜けて安堵の息を吐いた。
「そうですか…」
父に案内されてアルフォンスのいる部屋へと向かう。
ベッドに横たわるアルフォンスには意識がなく、顔は青白く、上半身には厳重に巻かれた包帯にはまだ血が滲んでいて痛々しさが伝わってくる。それでも助かるという言葉があるだけで気持ちは随分違う。ノノはベッドの横にしゃがみこみ、義兄の手をそっと握った。
他の誰にも聞こえない押し殺した声でただ彼のために祈る。
「義兄さん…」
その手は冷たく、痛みと戦う彼の辛さが伝わってくる。胸が締め付けられるような思いでいっぱいだった。
■
一方その頃、レオンは手勢を引き連れて西の街道を急いでいた。
情報によれば、商団は山に逃げ込もうとしている。レオンは逃げる彼らを追い詰めるため猛然と進行速度を上げていった。
途中で遭遇した街道を行く旅人が、しばらく前に商団と思しき集団とすれ違っていたという情報をもたらしたことで、思ったより彼らとの距離が開いていない事がわかったのは僥倖だ。
「全員、追撃の準備を整えろ!」
レオンの鋭い声が暗闇に響き渡る。
彼は先頭に立ち一行を導きながら進む。やがて街道から分かれた山越えのための道に到着し、レオンははるか先でチラチラと小さな複数の火が揺れるのをその視界に捉えた。
「あれだ。追え!」
商団が手にする灯りを目印に辺境伯の手勢は一気に山道を駆け上がっていく。荷車を引きながら悪路を上がる彼らの背後をとらえることに成功し、レオンは声を張り上げる。
「ヴィラール辺境伯である。そこの者ども、身元を検める。止まれ」
だが、返答はなかった。びりびりと空気に緊張感が走る。馬が吐いた荒い息が灯りの中に白く浮かぶ。
荷車の脇を走っていた者たちが突然足を止めた。彼らの手に弓が握られているのに気づいて、兵が声をあげた。
「矢が来るぞ!」
振り向きざま矢が射かけられ、一瞬の隙をついて商団の男たちが襲いかかってくる。
まるで傭兵のような立派な体躯の連中だ。きっとこういう時のために用意された護衛戦力だろう。
レオンは剣を抜いて矢を叩き落としたが、その剣をかいくぐった一本がドスッと鈍い音を立てて鎖骨の下に突き刺さる。
激痛をこらえてレオンは邪魔な矢をへし折って剣を振るう。飛びかかってきた相手を振り上げた切っ先で斬り捨てた。
「全員捕らえろ! 一人も逃がすな!」
冷たい夜風が吹き荒れる中、血のしたたる剣を掲げた彼の叫びはまるで凍てつく空気を切り裂くように響いた。
■
夜が明け、屋敷に朝のうっすらとした光が差し込んでくる頃、ノノはベッドの横に座ったまま疲労に包まれていた。
アルフォンスの寝顔を見つめながら、ずっと眠ることもなく彼の手を握り続けていた。
心配しすぎても何も変わらないと自分に言い聞かせ、ノノはようやく顔を上げる。
心の奥で想うのはレオンのことだ。討伐に向かった彼の身の上が気がかりで、何かあったらどうしようと考えると胸が締め付けられるようだった。
と、俄に屋敷の外が騒がしくなる。ハッとなってノノは立ち上がり部屋を出た。
階下へと駆け下りていくと、玄関ホールにレオンが立っている。
「レオン様……!」
ノノは思わず息を呑む。
彼の顔には疲労の色が濃く漂っており、その上着の胸元には血が滲んでいた。袖を切ったむき出しの腕には包帯が巻かれており、そちらも白い布にじんわりと赤く広がるものがある。
それでも、彼は微笑みながらノノに近づいてきた。
「商団は捕縛した」
ノノは震える声で問いかける。
「その傷は……あなたまでも……」
レオンは「矢傷と切り傷が少しあるだけだ」と言ってから、少し苦笑して続けた。
「だが、無事に君の元へ戻ると言ったのに、その約束は守れなかったな。すまない」
「そんな。謝られるようなことでは…!」
「でもきっと、これでおあいこだ」
レオンがそう呟いた言葉の意味がわからず、ノノは戸惑いの表情を浮かべた。
レオンは微笑みを浮かべながら、「君の顔を見て安心できた」と言って、そっと彼女の頬に触れた。
ノノはその優しい手に触れ、目を閉じた。彼がどれほど危険な任務に立ち向かっていたのか、冷え切っている指先に触れるとその一端が感じ取れるような気がした。
一息ついたレオンはノノの頬から手を引く。ノノは疲れているだろう彼を、すぐ横の応接間へと通した。
すると腰を下ろすなりレオンは懐からずっしりと重たげな革袋を出してくる。
「すまないが、すぐにこれを見てほしい」
隣に掛けたノノが受け取って中を見れば、大量の少額貨幣が入っている。
自分が同行することになった役目を思い出し、ノノは貨幣を掌に取り出してじっと観察する。
「どうだ?」
ノノは革袋の中身を一旦すべてテーブルの上に広げて、ひとつひとつ慎重に手に取り、その鋳造の粗さ、重さ、光の反射具合を確かめた後、静かに告げた。
「どれも偽物です」
「これで決まりだな…」
レオンも予想はしていたという様子で頷いた。
それを受けて、控えていた彼の部下達がその報せをどこかへと届けに出ていく。
「これは奴らが引いていた荷車に積まれていた大袋から持ってきたものだ。中には大量の少額貨幣が詰まっていた。この革袋の中身がすべて偽物だというなら、あの大袋の中もすべて偽物ということだろう」
「そんなに大量に…?」
「麻袋が六つはあった。これで奴らが贋金に関与していることは確定する」
それに、とレオンは付け足した。
「奴らは私たちに襲いかかってきた。辺境伯への加害。その罪だけでも重いが、贋金の件が明らかになれば間違いなく死罪になるだろう」
ノノはその言葉に静かに頷き、目を伏せた。
■
それから数日のうちに、商団の後ろ盾だったモンタルベール侯爵を召し捕らえることに成功したという知らせがフォンテーヌ公爵から届いた。
レオンは商団を追うことにしてすぐ、彼の親友であるフォンテーヌ公爵にモンタルベール侯爵の身柄をおさえるよう早馬を飛ばして指示を出した。そして侯爵はあえなく捕らえられたのだった。
レオンは怪我のこともあって、すぐに領地へ戻ることが出来ず、まだベルトラン家に滞在している。
ノノはレオンの傷を慮って、できれば体を休めていて欲しいと思うのに、彼の立場と現在の状況が静養を許さない。レオンは手傷の癒えないまま、いまだひっきりなしに出入りする部下を通じて事件解決のための指揮を取っている。
ノノに出来るのはせめて彼の手当をすることと、身の回りの世話をすることぐらいだった。
もっとも、レオンは甲斐甲斐しく介助するノノに対してたびたび「君に来てもらっていて良かった」と言うほどだったが。
「商団が私を襲撃したと聞いて、罪の重さにモンタルベールは恐れをなしたようだ。取り調べでもべらべらと事情を話しているらしい」
フォンテーヌ公爵から届いた手紙を読んでレオンがそう告げたので、彼にお茶を出したノノは少し眉を寄せた。
モンタルベール侯爵は、五年前の詐欺事件に関わっているのだろうか。
けれど正面からそれを尋ねることも出来ずに唇を結んだノノの元へ、屋敷の使用人が駆けてきた。
「バルボー氏がお目覚めになりました!」




