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12/21

思いもよらない出来事

「君を愛してるんだ」


 アルフォンスの熱を孕んだ言葉にノノは息を呑んだ。

 義兄は――二年前から義兄としてずっと近くにいてくれた男性が、これまでとは違った男の表情を見せる。そして握られた手が熱い。


「君がベルトラン家の令嬢から平民に身を落としても、それでも誇り高く、商人として成功するために尽力する姿を見て、俺は負けるまいと力をつけてきたんだ。頼れる兄でありたくて必死だった」

「アルフォンス…」

「誠実に家族に尽くす君のことがずっと好きだった。君と本当の家族になりたい、義妹ではなく妻になってほしい。……愛しているんだ」


 彼の声には、深い愛情と敬意が込められていた。

 いつもなら兄らしく振る舞い、「お前」と呼んでくれるアルフォンスが、今に限って自分を「君」と呼ぶのが、彼が想いを寄せる相手が『エレオノール・ド・ベルトラン』であるということを示していた。

 ノノはアルフォンスの想いに心が温かくなるのを感じたが、それでも彼と一緒に逃げることはできなかった。


「ごめんなさい、義兄さん」


 意図的に、ノノは兄の呼び名で彼を呼んだ。アルフォンスが傷ついたような表情を見せ、顔を曇らせるのが悲しい。

 自分に第二の人生を与え、支えてくれた大事な家族である彼を傷つけることになってしまったことがノノにとっても辛かった。


「今の私に出来ることをしようと思っているの」


 それが何であるのか義兄にも説明してあげられないことが心苦しかった。それでも贋金についての秘密は守らなければならない。

 アルフォンスはその言葉に納得しきれないまま、再びノノを抱きしめた。

 しかし、その抱擁に応えるノノの決意は固く、彼はそのことを感じ取った。彼の義妹が、平民としてあるいは商人としてではなく、貴族として何か貫くべきことを持っているのだとアルフォンスは悟った。


「…それは君にしか出来ないこと…なのか」

「そう思っている」


 問いに対してノノが即答するのを聞いて、「君は本当に、貴族たる者だな…」と、アルフォンスはぽつりと呟いた。

 そしてゆっくりとノノを抱く腕を解く。

 庶民の目から見れば、貴族は往々にして悪徳な存在に映ることがある。実際腐敗した貴族も存在するし、平時はただ税を取り立てるばかりの悪役とみなす向きもある。

 それでも彼らが国の骨格を支えているからこそ、庶民が平穏に生きることができるという側面もたしかに存在している。

 ノノは貴族の責任を理解している人間だった。真にその役割を理解し、全うしようとしている姿を見て、アルフォンスは彼女の意思に任せる決意を固めた。


「お前がそう決めたのなら、俺には何も言えない。でも、困ったらいつでも頼れ」

「うん」


 アルフォンスが兄として囁いたので、ノノも妹として頷いた。

 アルフォンスが名残惜しそうに去っていった。その姿が闇に溶け込むように見えなくなったとき、ノノは深い溜息をついた。

 その瞬間、背後から聞こえてきた低い声。


「……ノノ」


 驚いて振り返ると、そこにはレオンが立っていた。


    ■


 レオンはノノをじっと見つめて「彼と行かないのか?」と静かに尋ねた。

 アルフォンスと同じく灯りを持たない彼の表情はノノには見えない。

 彼はどこから見ていたのだろうか。今そこに来ていた男性が、ノノの家族だと気づいていただろうか。それとも誰だか分からない男と密会していたと思われたのだろうか。

 ただ、彼と行かないのかという問い掛けに対するノノの答えはもう決まっていた。毅然と顔を上げる。


「私はあなたの婚約者ですので」


 その瞬間、ざっと距離を詰めたレオンが一言も発さずにノノを抱きしめた。

 ノノの手から燭台が土の上に落ちて転がり、火が消えた。あたりは月の薄明かりのみに包まれて、風が吹き抜ける。

 無言で抱きしめられたままの状況にノノの頭は真っ白になった。なぜ彼がこんなことをするのか、その理由がまったく分からなかった。

 レオンの顔に浮かんでいた表情は複雑で、彼の気持ちを読み取ることはできなかった。

 それなのに彼の腕は、力強く温かく、ずっとそこに抱かれていたくなる。

 ノノは自分が彼にとってどのような存在なのかを考える。

 婚約者という立場はあくまで贋金事件解決のために用意されたものにすぎない。

 だからこそ、彼が見せるこの優しさや触れ合いは、全て演技であるはずだ。

 そう自分に言い聞かせて、彼女はその場で何も言わず、ただ抱きしめられるままにしていた。

 レオンはその後、まるで何事もなかったかのようにノノを離すと、部屋まで送り届けてくれた。

 灯りが消えてしまったので、足元が危ないからというのがその理由だが、それはどことなく言い訳めいて聞こえた。

 部屋に戻ったノノは着替えてベッドに横たわったものの、寝付けずにずっと考え込んでいた。

 さきほどのレオンの行動が何を意味するのか、またしても彼の真意が見えない。

 もちろん、レオンが彼女を愛しているなどという考えは、ノノの頭にはなかった。彼にとって彼女は、贋金事件解決のための協力者にすぎない――そう思うことで、彼女は自分の気持ちを抑え込んでいた。

 それでも、レオンの腕の中にいたときに感じた特別な温かさは、どうしても頭から離れなかった。

 彼女の中で封じ込めていた感情が、あの瞬間、少しだけ溢れ出てしまったように感じた。

 そんな自分を叱るように、ノノは何度も自分に言い聞かせた。


(私はただ、役割を果たすだけ)


 翌日からノノの生活はさらに変化を見せた。

 レオンは新たな婚約者となったノノへの愛情を隠すことなく、あからさまに示し始めたのだ。

 彼は彼女に贈り物を次々と贈り、訪れる客人たちには「彼女がいかに素晴らしいか」を自慢げに語りかけた。ときにそうした客にノノを引き合わせて、彼女の美しさを披露したりもした。

 生真面目で、ともすれば堅物とも見られていた辺境伯の思わぬ惚気ぶりは、訪問客の興をそそったようで、すぐに噂になった。面白がられているといっても良い。


「辺境伯はすっかり貴女に夢中のようですな」

「いやはや、完全無欠の辺境伯も人の子であったということですな」


 ノノはそのたびに顔を赤くし、恥ずかしさに耐えかねてレオンに


「これ以上はお控えください」

「旦那様が噂の的になってしまいます」


 と頼んだ。

 ところがレオンは全く気にしない。むしろ笑みを浮かべながら

「これが君の立場を強くするんだ」


 などと言って、決してやめようとはしなかった。

 彼は自分に関する「堅物がとうとう恋の魔法に足をすべらせたらしい」という噂さえも楽しんでいるように見えた。

 これはあくまで演技なんだと自分に言い聞かせながらも、レオンの視線や優しい言葉にノノは何度も心が揺れるのを止められなかった。

 彼が贈ってくれる豪華なドレスやアクセサリーに袖を通し、そのたびに「君にはこれが似合う」と微笑む彼を見ていると赤面せずにはいられなかった。

 彼女は贈り物を受け取るたびに、その豪華さに驚き、またそれを受け取る自分に罪悪感を覚えた。

 こんなに豪華なものを受け取る資格が自分にあるのだろうか――そんな疑念が何度も浮かび上がった。

 それなのにレオンが嬉しそうにしている様子を見ると、断ることができなかった。彼の「君にふさわしいものだ」という言葉に、どうしても逆らえなかった。


    ■


 一方で、贋金事件に関する調査も進んでいた。

 レオンの部下たちは各地に派遣され、贋金の流通に関する情報を集めていた。その報告が次々とレオンの元に届き、ノノも共にその話を聞くことを許された。

 ある夜、ノノはレオンの執務室に呼ばれて彼の元を訪れた。彼の机には大きな国内地図が広げられていた。


「遅くにすまない。やっと情報が出揃ったから早く知らせたかった」


 レオンはノノを隣に立たせ、地図に記された赤い点を示した。


「この赤い印は贋金が見つかった場所を示している」


 それらの印はノノが思うよりずっと数が多かった。それに国内の広範に散らばっているが、全体を眺めれば若干北寄りに偏っているのがわかる。


「地方官から上がってきた報告の他にも、怪しい噂話がある場所には直接、人を送って市場などで取引をさせて少額貨幣を収集して確かめた」


 彼が各地から集めた報告を地図を指し示しながら説明している間、北のある地方を見つめるうちにノノの頭の中にふと過去の記憶がよみがえってきた。


(そんな……まさか…)


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