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2-1


 宿を出ると、アステリアの街は既に朝の活気に満ちていた。荷馬車が行き交い、露店を構える店主たちが威勢の良い声で通行人を呼び止めようと声を上げる。


 朝日を反射する石畳。

 昨夜とは違い、街は明るく鮮やかで、ゲームやアニメで見たことのある王道のファンタジー世界そのものだった。


 物珍しそうにキョロキョロと周囲を見渡しながら歩くアヤト。対照的に前を歩くミレナはそんな景色には目もくれず、ギルドのほうへまっすぐ進んでいく。



「よそ見してんじゃないわよ」



 ギルドの重厚な木の扉を押し開けると、朝からすでに多くの冒険者たちでごった返していた。


 夜の酒場のような荒々しい熱気とは違い、今日はこれから依頼に向かう者たちの、どこかピリッとした緊張感と活気が混ざり合っている。



「おっミレナさんじゃん。どう今日こそオレと組まない?」

「邪魔よ。どいてちょうだい」



 すれ違いざまに声をかけてきた軽薄そうな剣士を、ミレナは一瞥もせずに、氷の刃のような声で切り捨てた。

 男は肩をすくめて苦笑いし、周囲からは「またフラれてやんの」と嘲笑が漏れる。


(すげぇ……)


 彼女の威圧的な空気感に、どこか感心しつつ背中に隠れるように後ろについていく。



 壁に張り出された羊皮紙を前に、ミレナは腕を組みながら、掲示板の依頼書へ鋭く視線を走らせる。



「さぁて……どうしようかしらね」

「あ……俺でも戦えそうなやつゴブリン以外にいますかね」


「何言っているのよ」




 ミレナは振り返ると、悪魔のような笑顔をみせて、底冷えするような声で囁く。



「あんたに戦闘ができるならここにいないから。そんなに戦いたいなら一人で出かけたら? そのときのあんたの結末は面倒見ないけど」



「すみません。荷物持ちとして務めますので!」

「それでいいのよ」



 ミレナは満足げに鼻を鳴らすと、掲示板から数枚の羊皮紙を無造作に剥ぎ取った。



「苔牙のワーウルフ。糸吐きグールスパイダー。アイビーサーペント。貴方はどれがいい?」


「え……全部やばそう。はは……ミレナさん冗談きつくないですか?」

「あら、冗談に聞こえたかしら?」




 凍り付くような笑みを浮かべるミレナに、アヤトは頬を引き攣らせた。


 苔に覆われたワーウルフに、糸を吐く巨大蜘蛛、蔓に化けた大蛇。

 名前を聞いただけで、昨日遭遇したゴブリンなど可愛く思えるような凶悪なラインナップだ。



「もっとこう……スライムとか、ラット的な? 初心者向けみたいなのは」

「ないわよ。そんな儲けにもならない依頼。それに」



 ミレナは顔を近づけ、アヤトの耳元で冷たく囁く。



「昨日の今日で忘れたわけじゃないでしょうね? 貴方のその『謎の力』の検証。あれから色々と考えたのよ」

「け、検証って……宿屋でやって何も起きなかったじゃないですか」


「だからよ。安全な場所でただ私が座っただけでは発動しない。なら、あの力が発動した時の『条件』を再現するしかないじゃない」



 ミレナの目が、実験動物を前にした研究者のように怪しく光る。



「じょ……条件って」


「ええ、薄暗い洞窟。迫りくる魔物の恐怖。そして貴方の極限状態の精神。……もしかすると、貴方の命の危機に瀕している状況下で私を椅子として支え、主従の誓いを立てることこそが、あの魔力増幅のトリガーなのかもしれないわね」



「いやいやいや! 敵の前であれやるんですか? 死にますって」


「うるさいわね。試してみないと分からないでしょう? 駄目ならあんたが一人魔物の餌になればそれでおしまいよ。ほらさっさと行くわよ。ターゲットは『糸吐きグールスパイダー』に決めたわ。これが一番報酬いいし」




 ミレナはアヤトの抗議を完全に無視し、受付カウンターへと歩き出す。

 アヤトは絶望に顔を覆い、ズタ袋の重み以上に重苦しい足取りで、彼女の後を追うしかなかった。





  ◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇




「えぇ、どうやら北西の『ノクスの森林』へと向かうようです」



 冒険者ギルドから少し離れた、大通りの片隅。

 建物の影に溶け込むように佇む、真っ黒なローブをすっぽりと被った小柄な人影があった。


 体格からして、まだ若い少女のようにも見える。しかし、目深に被ったフードのせいで、その素顔まではうかがえない。



 その人影は胸元で淡く、紫色に発光する通信用の魔石を握りしめ――、冷たくも、どこか甘ったるさを帯びた声で報告を続けていた。



『ノクスか。ターゲットはミレナ・カワードで間違いないな?』


 魔石の向こう側から、くぐもった男の低い声が響く。



「えぇ、ミレナ・カワードに間違いありません。あと、もう一人男がいます」

『男だと? 報告ではあの女は仲間をつくらないと聞いたが』


「あっでも……見る限り雑魚そうで、戦闘要員って感じではなさそうなので、心配はいらないかと」



『……ふん、まあいい。ターゲットはミレナ・カワードだ。目的の「アレ」を確実に奪い取れ。邪魔をするようなら、その男ごと始末しても構わん』


「はぁい、了解しましたー。あの女が持ってるであろう『水神の瞳』ですね。ミレナ・カワードとそのオマケは殺しても問題なし、っと」




 通信石の光がふっと消えると、少女はそれを懐にしまい込む。


 フードの奥で、紫がかった瞳が妖しく細められた。その瞳は、獲物を狙う肉食獣のような、冷酷で嗜虐的な光を帯びている。

 彼女の口元が、三日月のように歪んだ。



「ふふっ……まさかあのちょろいお兄さん生きてたんだ。ゴブリンに殺されたかなって、ちょっとは期待してたのに」



 クスクスと、少女――シレナは腹の底から湧き上がるような笑いを漏らした。



「まぁ、でも。あたしが殺してあげるから関係ないけどね」



 ローブを翻し、少女は軽やかな足取りでアステリアの喧騒の中へと溶け込んでいった。

 これから始まる凄惨な余興を心待ちにするかのように、その足取りはどこまでも弾んでいた。




  ◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇  ◇◇◇




 アステリアの街を出て北西へ進むこと数時間。

 アヤトの背負うズタ袋の重さが限界を迎え、肩の感覚が完全に麻痺し始めた頃、二人は目的の地へと足を踏み入れた。



 『ノクスの森林』――その名の通り、昼間であっても太陽の光を拒絶するかのように鬱蒼と木々が立ち並び、薄暗く湿った空気が支配する不気味な森だった。



「……ミレナさん、ここ本当にやばくないですか? なんかそこら中から変な音がするんですけど……」


「いちいちビビってるんじゃないわよ。黙ってついて来ればいいの」




 冷たくあしらうミレナであったが、周囲への警戒は怠ってはおらず、周囲への警戒は怠っておらず、しきりに視線を巡らせていた。


 アヤトはガクガクと震える膝を必死に叩きながら、ミレナから離れないように必死に食らいつく。



 森の奥へ足を踏み入れた、その瞬間だった。

 木々の影から、大きな鎌を携えた何かが姿を現す。



「なんか出たあああ!?」



 アヤトの悲鳴が薄暗い森に響き渡る。

 木々の隙間から姿を現したのは、アヤトの背丈を優に超える巨大なカマキリだった。


 毒々しい緑色の体表には不気味な斑点が浮かび、両腕の鎌は金属のような鈍い光沢を放っている。ギチギチと顎を鳴らしながら、獲物を見定めたように複眼が赤く光った。



「ひぃっ! ミレナさん、カマキリ! でっかいカマキリ! クソデカマキリ!?」

「うっさいわね! 少しは落ち着きなさいよ」



 アヤトが背負っていたズタ袋を盾にするようにしてしゃがみ込むのに対し、ミレナは表情一つ変えずに前を見据えた。



「「目的のグールスパイダーじゃないわ。こいつはリーパーマンティス。おそらく群れからはぐれた個体ね」」


「な、名前なんてどうでもいいですって! 早く倒してくださいよ!」




 ミレナは腰から太腿のホルダーに収まった剣を取り出す。柄には滑り止めの革が巻かれ、何度も握られてきたせいで、手の形に馴染むようにわずかに沈んでいる。


 刃渡りはそこまで長くはない。華美な装飾も、誇示するための意匠もない。ただ《《使うため》》だけにある形。




「あの……魔法使わないんですか?」



 昨日、ゴブリンを一瞬で屠ったあの強力な水魔法。てっきり初手からそれをぶっ放すものだとばかり思っていたアヤトは、剣を構えただけのミレナを見て慌てて声を上げた。

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