6-12
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駅前のファストフード店。
窓際の二人席で、一条蓮司はストローを噛んでいた。氷が溶けきったコーラの残りを吸い上げる気力もなく、ただ口元で弄んでいる。
向かいの席に座っている少女は、ホットココアを両手で包みながら、にこにこと笑っていた。
「ほーら? あたしの言った通りにしたら、うまくいったでしょ?」
清元静音。中学三年生。
セミロングの黒髪に紫がかった瞳。黒のブレザーに赤いリボン。中学生にしては大人びた顔立ちだが、笑うと年相応の幼さが覗く。
二人の関係を一言で表すなら、共犯者だった。
恋人という体裁をとってはいるが、その中身は互いの利害で繋がっているだけの、歪な均衡の上に成り立っている。
もっとも、天秤がどちらに傾いているかは明白だったが。
「まぁ……孤立させるとこまでは予定通りだったけどよぉ……」
「けど?」
「その先が、ちょっと、な」
蓮司はストローから口を離して、テーブルの上に視線を落とした。
静音の筋書きはこうだった。
最初に莉愛と距離を詰めて信頼を得る。周囲の女子との間に溝を作る。孤立したところで、自分だけが味方だと思い込ませる。そこまでは完璧に事が進んだ。
問題はその先だった。
孤立した莉愛を自分のものにする。蓮司にとってはあくまでそれが本命だった。
静音の指示に従ったのも、最終的には莉愛が自分に頼るしかない状況を作り出せると踏んでいたからだ。
結果は、振られ、逃げられた。
「あたしの台本通りにやってれば問題なかったのにさ。なんか脅しみたいなこと言ったんでしょ。あれ完全にそっちのアドリブだよね」
「……バレてたかよ」
「当たり前。あんな下手なやり方したら逃げるに決まってんじゃん。女の子の扱い方が雑なんだよ、蓮司は。ばーか」
静音はココアを啜りながら、呆れたように肩を竦めた。甘い声に棘が混じっている。
「もっと時間かけてじわじわ追い詰めれば、向こうから嫌でも縋ってきたのに。焦って手札切るから逃げられるんだよぉ。ほーんと下手くそ」
「……るせぇな」
蓮司は舌打ちして、カップの氷をかき混ぜた。
反論する材料が見当たらない自分が、余計に腹立たしかった。
「まぁ、その女のことはもういいでしょ。あの子はもう終わりだし」
静音は何でもないことのように言った。
ココアの表面に浮いた泡を、唇で小さく崩す。
その仕草だけ見れば、放課後に甘い飲み物を楽しんでいる普通の少女にしか見えなかった。
「終わりって……まだ学校には来てるぞ」
「来てるだけでしょ。多分じきに休みだすよ。そのまま不登校で辞めちゃうかどうか、見ものだねぇ」
くすくすと、静音は口元を手で覆いながら笑った。
他人の人生が壊れていくことを、天気予報でも眺めるように語っている。
蓮司はその横顔を見て、背筋に薄い寒気が走るのを感じたが、顔には出さなかった。
出したところで、きっとこの女は何とも思わない。むしろ、かえって面白がるだけだ。
「そこまでする必要はあったのか? 俺は別にあいつを不登校にさせたいとか、辞めさせたいとかは」
「あっれぇ? ノリノリであたしの誘いに乗ってきた人は誰だったかなぁ? ……あっ、そうだ!」
ポン、とわざとらしく静音がスマートフォンを取り出した。
画面を数回スワイプしてから、蓮司のほうへくるりと向ける。表示されていたのは、二人のSNSのトーク履歴だった。
「ほら、これ見て。『あの女孤立させるの手伝ってくれよ。お前の言う通りにやるからさ』。これ蓮司が最初に送ってきたやつだよね?」
蓮司の顔から、血の気が引いた。
「あっあと、これも。『クラスの女子に火つけるのは俺がやる。お前は裏でどういう風に行動すればいいか教えてくれたらいいから』。あ、こっちもあるよぉ。『あいつ絶対落とせるわ。優しくしときゃチョロいって』」
静音は画面をスクロールしながら、一つ一つを読み上げていく。声は相変わらず甘く、楽しげですらあった。
「消せよ、それ」
「えー。やだ」
静音はにっこりと笑って、スマートフォンを自分の胸元に引き寄せた。
「これ、学校に知れたらみんなどう思うかなぁ。女子たちにも、先生にも。あ、小日向さん本人に送ってあげてもいいかもねぇ?」
「お前っ……」
「冗談だよぉ、冗談。蓮司があたしの言うこと聞いてくれてる間は、誰にも見せないから安心してね」
冗談、と言いながら画面をロックする指先には、迷いがなかった。
「あ、そうだ。これも聞いてみてよぉ」
静音はスマートフォンの画面をもう一度開いた。指先が音声ファイルをタップする。
小さなスピーカーから、蓮司の声が流れ出した。
『——まじでいつまで待たせるんだよあの女。この学校って周りブスばっかだしさぁ。あーさっさと返事しろっつーの。まじヤりてー』
ファストフード店のざわめきの中で、録音の音質は決して良くなかった。それでも、蓮司本人の耳には一語一語が刃物のように突き刺さっている。
「消せ! 今すぐ消せよ」
「やだぁ。だってこれ、あたしのお守りだもん」
静音はスマートフォンを胸元に引き寄せて、くすくすと笑った。
「SNSのトーク履歴に、音声データ。両方揃ってるの。蓮司が何を計画してて、女の子のことをどう思ってたか、ぜーんぶ入ってる」
「……お前な。こんなもん残してたら、俺だけじゃなくてお前だって立場ねぇだろうが」
蓮司はテーブルの下で拳を握っていた。
「四月から白花に入ってきたら、お前も終わるんだぞ。お前の声だってバッチリ入ってるはずだろうが」
「うん、入ってるよぉ。それがどうしたの?」
静音は楽しそうに両手を広げた。
まるで、ちょっとしたサプライズを発表するみたいな口ぶりだった。
「なんとあたし。白花学園には入学しませーん」
「……な、何言ってんだよ」
「何って? そのままの意味だよぉ」
静音はスマートフォンをテーブルの上で軽く揺らす。
「白花は受けない。蓮司と同じ学校にはなりません。だから後輩じゃありませーん」
「お前……白花に行くって言っただろ」
「うん、言ったねぇ」
「四月から同じ学校だって」
「うん。言った言った」
静音は頷きながら、にこにこと笑っている。
悪びれる様子はなければ、謝る気配もない。
むしろ、蓮司が今さらそれを信じていたことのほうが面白いと言いたげだった。
「……最初から嘘だったのかよ」
「そうだよ」
あまりにもあっさりした返事だった。
蓮司の拳が、テーブルの下でさらに強く握られる。
「ふ、ふざけんなよ」
「ふざけてないよぉ。ちゃんと考えて言ったんだもん」
「何をだよ」
「蓮司が安心して、あたしに色々話してくれるように」
静音はホットココアのカップを両手で包み直した。
その仕草だけは、寒さに手を温める普通の少女のものだった。
「だって、同じ学校に入るって思ってたら、蓮司も油断するでしょ? あたしも白花で噂に巻き込まれるかもしれない。だから、無茶なことはしないはずだって」
「……」
「でも残念。あたしは最初から白花に行く気なんてありませんでしたー」
静音は両手で頬を包むようにして、わざとらしく目を輝かせた。
「あたしね、常盤坂に行くの。だから白花の人たちにどう思われても、あたしには関係ないの」
静音はカップをテーブルに置いて、頬杖をついた。紫がかった瞳が蓮司を見上げている。
「と、常盤坂だと……。なんで? そんなとこに」
「んー。面白い子がいるんだよねぇ」
静音は頬杖を解いて、指先でカップの縁をなぞった。
「川町みなも、っていう女の子。あともう一人……溝口あや……あやたろうだっけ? あやなんとかって男」
「誰だよそいつら……。知り合いかよ?」
「ううん。まだ、ね」
まだ。含みを持たせたその言い方に、蓮司は眉をひそめた。
これから知り合いになるつもりなのだと、静音の声は当然のように告げていた。
「常盤坂って……白花より下だろ。なんでわざわざそんなとこ行くんだよ」
「学校の名前や偏差値なんてどうでもいいよ」
静音は退屈そうに言った。
「白花に来たって、蓮司みたいなつまんない人たちがいるくらいでしょ?」
「……お前な」
「でも常盤坂には、面白そうな子がいる」
静音の指先が、カップの縁をゆっくりとなぞる。
紙の表面を擦る小さな音が、蓮司の耳に妙に残った。
「川町みなも。綺麗で、頭も良くて、先生にも生徒にも一目置かれてる。一年で既に学校一の人気者。……なのに、誰かと深く関わるのは面倒くさがってる感じ。ああいう子、いいよねぇ」
「何がいいんだよ」
「壊れた時、目立つところ。あたしという存在にひれ伏すところ」
静音は笑っていた。
普通の女子中学生が、好きな店の新作スイーツでも話すような顔で。
「――それにさ」
静音はカップから指を離して、両手を頬に添えた。
まるで楽しい空想に浸る少女のような仕草だった。
「所詮、あたしがいない中で人気者になってるだけの勘違い女なのか。それとも、あたしがいてもなお輝けるのか。気になるじゃない?」
「……お前、マジで言ってんのか」
「マジもマジ。大マジだよぉ」
静音は両手を頬から離し、テーブルの上で指を組んだ。
「白花の子たちってさ、ちょっと揺さぶるだけで簡単に崩れたでしょ? 小日向莉愛も、周りの女たちも。蓮司だって、あたしに言われるがまま動いてくれたし。つまんないんだよね、そういうの」
「……」
「でも川町みなもは、どうかなぁ。あたしが隣に立った時に、あの子がどんな顔するのか。見てみたいんだよねぇ」
蓮司はもう口を挟まなかった。挟む気力が残っていなかった。
目の前の少女が語っているのは、高校生活の展望でも友人関係の話でもない。
品定めだ。次の獲物を選ぶ目で、まだ見ぬ相手の値踏みをしている。
小日向莉愛は、その選定の過程で壊れた試作品に過ぎなかったということだ。




