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振り返った彼女の瞳には、一切の感情が抜け落ちた絶対零度の殺意が宿っていた。
「あ……」
「どこ見ているのかしら?」
「ひっ!? い、いやなんでもないです! 壁! そう、壁を見てました! 木目? 数えてました!」
氷のように冷たい眼差しに射抜かれ、アヤトは慌てて両手で目を覆い隠す。
「いつまで部屋に居座る気よ」
「はいすみません! いますぐ自分の部屋行きますから!」
逃げるように部屋から飛び出し、扉を背にほっと息をなでおろす。
「はぁー。心臓に悪すぎるって。ていうかいきなり脱ぎだすミレナさんもどうかしてるって」
「誰がどうかしてるって?」
「いっ!?」
扉越しに、脳天を射抜くような声に心臓が跳ね上がりそうになる。
「なんでもないです。すみませんでした!」
隣の自分の部屋に逃げ込むと、そこはミレナの部屋よりも一回り小さく、簡素なベッドと小さな机が置かれているだけの質素な空間だった。
それでも、野宿を覚悟していたアヤトにとっては天国のように思える。
ベッドに倒れ込み、天井を見つめながら、アヤトは今日の出来事を振り返った。
異世界転生、ゴブリンとの遭遇、川町みなもと瓜二つのミレナとの邂逅。
そして魔力を増幅させる謎の能力。
(どうすりゃいいんだろう。この謎の力を理解しておかないと、いつ切り捨てられるか)
今は彼女の気まぐれで傍に置いてもらっているだけの存在。利用価値が見出せないと判断されようものなら明日にでも即切り捨てられたってなにもおかしなことではない。
不安と疲労が織り交ざり、意識は少しずつ薄れていく。
自分の力の正体を考える前に、アヤトは眠りへ落ちていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
青い空に白い雲。ふんわりとした生ぬるい風が、校舎の屋上のフェンスを揺らす。見慣れた景色。
はぁ。とため息をつきながら一人屋上の床の上に物思いにふける少年。
「なんであんなこと言ったんだろう」
口をついて出たのは、懺悔にも似た独り言だった。
銀色の髪に、透き通った青い瞳。学生服の上からでもその女性らしいしなやかな曲線美。
容姿端麗、性格は……性格は……決して良いとは言えないが、同級生はもちろん、下級生や上級生からも一定数のファンを抱える、まさに学園の華ともいうべき存在。
それが川町みなも。 当然、この溝口綾人もまた川町みなもに憧れを抱く一人であった。
あれは、二週間前の放課後。
誰もいない屋上に彼女を呼び出したのは、若さゆえの暴走か。今となっては自分でも理解できない。
「――で? 何の用かしら?」
不機嫌そうに腕を組みながら、目の前にいる綾人を睨むように見据えるみなも。
肩口にまで伸びた銀髪が風に靡かれ、透き通った青い瞳には、対面の少年が何かを伝えようか伝えまいかと視線を泳がせる姿が反射している。
「あの……俺その。前からみなもちゃんの事が好きでして」
必死に絞り出した言葉。数秒の、いや永遠にも思える沈黙が流れた。
「はぁ? ……ていうか、そもそもあんた誰?」
「……え?」
聞き間違いかと思った。しかしみなもの表情には冗談めかした色は一切なく、心底不思議そうに首を傾げているだけだった。
同じクラスになって三か月。確かに直接話したことはほとんどなかったが、まさか存在すら認識されていなかったとは。青天の霹靂だ。
「み……溝口、綾人です。クラス、同じで。席もみなもさんの横だし、その」
「冗談よ。流石にそれぐらい分かるわよ。貴方のその反応本当滑稽で笑えるわね」
「え……えっ!?」
悪びれる様子もなく、みなもは薄く嗜虐的な笑みを浮かべた。
その表情は、どこまでも冷たく、そして何よりも美しいと感じる。
「で? 好きですって? ……ふふっ、あっははは!」
嘲笑。静かな屋上に、みなもの場違いなほど明るい笑い声が響く。
しかし、その瞳の奥には欠片ほどの温度も宿っていない。
「本気? あんたみたいな、いるかどうかも分からないような人と?」
「で、でも……俺朝挨拶したときも挨拶返してくれるし。教科書忘れたときも見せてくれたし。消しゴム落ちた時俺が拾ってもありがとうって言って受け取ってくれたじゃないですか」
その言葉を聞いた瞬間、みなもの顔から笑顔がすっと消え失せた。
先ほどまでの嘲笑すらなくなり、憐れむような目で口角をひくつかせる。
「それが……なに? 私がその程度で、あんたに気があるとでも?」
「違うんですか?」
「……ッハ!」
みなもは呆れ果てたように、大きくため息をついた。
そして、汚物でも見るような目で綾人を一瞥する。
「声かけられただけ、消しゴム一つ拾っただけ。そんなことで相手に好意持つだなんて本気で思っているのなら、頭お花畑にもほどがあるわね」
「そんな……俺は」
「それにあんたのその卑屈な目。いつもオドオドしてて、挙動不審で見てるだけで虫唾が走るのよ。単純に不快だわ」
みなもの目はさらに細められ、絶対零度の冷気が場を支配していく。
「なら言ってあげようかしら? 授業中にも関わらずチラチラこっち見てきたり、移動教室で廊下歩くときさりげなく近くを歩いてたこと。あぁそういえば電車の時間がいつからか同じになったの、あれは偶然かしら? 私がわざと時間ずらしても数日後には同じ電車だったわよね?」
「あ……それは、その」
「だいたい……気が付いていないとでも思ってたのかしら? 正直言ってストーカーみたいで気味悪かったのよ」
反論を許さぬ言葉の数々に、息が詰まり、何も言い返すこともできなかった。
鋭い刃物で心を滅多刺しにされるような言葉の連弾。
綾人は何も言い返せず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
風に靡く銀髪、冷たく見下ろす青い瞳。その圧倒的な美しさと残酷さが、綾人の脳裏に深く、深く焼き付いていく。
「まっ……待って下さい。みなもちゃ」
「――もう貴方の言葉を聞く気はこっちにはないのよ。ていうか気安くみなも『ちゃん』だとか呼ばないで!」
「恋人が無理なら……荷物持ちでも! なんでもしますから。そう、椅子! 椅子でもなんでもやります」
去っていく絶対的な存在に向かって、自尊心も何もかも捨て去った命乞いのような叫びが口をついて出た。
ここで彼女の背中を見失ってしまえば、卒業までの一年半二度と会話どころか視界にすら入れて貰えないと感じた。
今は惨めでも何だっていい。懇願してでも彼女の懐に入り込みさえすればそれでいいと、手段を選んでいられるほど綾人は冷静ではいられなかった。
「バカじゃないの。椅子? 本当に頭がおかしいわね。これ以上付きまとったら先生に言いつけるから」
氷の刃のような言葉と共に、みなもは完全に綾人を『汚物』として切り捨て、足早に去っていった。
伸ばした右手は虚しく無を握りしめる。綾人は夕暮れの屋上に一人、惨めに膝をついたまま慟哭した。
その時の、胸を抉られるような絶望と、自尊心が粉々に砕け散る感覚が、今もリアルに蘇る。
今となってはみなも本人が言ったのか、それとも誰かが聞きつけたのかは知らないが、自身の告白エピソードは、瞬く間に噂となってクラス内で波紋のように広がっていった。
「あーもう、終わりだよ。なんでだよ……雑用でもやるって、みなもちゃんの椅子なら喜んでやるのに。はぁ……」
フェンスをぎゅっと握りしめ、項垂れることしかできない。
クラスの陰キャがみなもに無謀にも告白したと、瞬く間に笑いものにされた。
ただでさえ居場所のない教室の空間で、惨めな嘲笑を浴びるだけなら、いっそ楽になりたいとすら思えたほどだった。
頭に浮かぶのは、自分を嘲笑うクラスメイトたちの顔と、何より、あの時の見下されたみなもの冷たい視線だ。
『――本気でそう思っているか? ならば覚悟を示すがよい』
ふと、頭の中に直接響くような、どこか無機質な声。
周囲を見渡しても、誰もいない。
声の主はどこにもいない。でも確かに聞こえる。
「なんだよ……覚悟って。ふざけんな! クソが!!」
つい力を込めた。やり場のない怒りと絶望。
そして自分自身のあまりの情けなさに、綾人は叫び声を上げながら、体重を乗せて目の前のフェンスに思い切り拳をぶつけた。
ガキィンッ!
鋭い金属音。 そして、次の瞬間、信じられないことが起きた。
綾人の体を支えるはずだった、老朽化したフェンスの溶接部分が、悲鳴を上げてあっけなくひしゃげ、 そのまま外側へと外れてしまったのだ。
「ちょっ!? まっ」
つんのめるように体が前に倒れる。支えを失った体は、そのままフェンスの向こう側――つまり、 何もない空中へと投げ出される。
「たっ! ……たすけ」
『選ぶがいい。お前の覚悟が本物であるならば』
足場が消え、重力に引かれて真っ逆さまに落ちていく絶望的な浮遊感。
夕闇の空と、急速に遠ざかる屋上。
「俺は……椅子にしてもらえるんならなんでもいい! だからはやく助けてくれぇ!!」
その叫びが、少年の発した最後の言葉になった。




