5-7
中央通りの路地裏は、予想よりもずっと騒がしかった。
路地の入口では、衛兵が二人、腕を組んで通行を塞いでいる。その背後には立ち入りを阻む縄が張られ、さらにその周囲には、何事かと足を止めた野次馬たちがぐるりと人垣を作っていた。
「冒険者の男が死んだってマジかよ」
「心臓をやられたらしい。路地裏で一人で」
「魔物の仕業じゃねぇのか?」
「馬鹿言え、街の中に魔物なんか出るわけねぇだろ」
口々に囁き合う声が、通りの空気を落ち着きなく揺らしている。
ミレナは人垣の後方で足を止め、路地の奥を見通そうとした。だが、衛兵と野次馬の壁に阻まれて、現場の石畳はほとんど見えない。
辛うじて分かるのは、路地の奥で衛兵がもう一人、地面に屈み込んで何かを調べている姿だけだった。
「全然見えないわね」
背伸びをしても、見えるのは衛兵の背中と、野次馬たちの頭ばかりだった。路地の奥にはまだ何か残っているのだろうが、ここからでは肝心の地面までは確認できない。
正面から近づけば、当然止められる。
「ミレナさん、どうします? 衛兵に頼んで中を見せてもらうとか」
「馬鹿ね。一般人を現場に入れる衛兵がいたら、そっちのほうが問題よ。あんたじゃないんだから」
「俺、衛兵じゃないですけど?」
「立場の話じゃないわ。危機管理能力の話よ。勝手に情報垂れ流したお馬鹿さんは、どこの誰だったかしらね?」
「う、それは……」
アヤトは口をつぐんだ。シレナの件を持ち出されると、何も言い返せない。
ミレナは人垣から離れ、通りの反対側の壁際に移動した。アヤトもすごすごとその後に続く。
「ただ、直接見れなくても構わないわ。聞こえるものだけで十分よ。こういう場所では、大抵まともな情報とくだらない尾ひれが一緒になって流れているものよ。全部を信じる必要はないけれど、聞く価値はある」
ミレナは壁に背を預け、路地の方角へ意識を向けた。野次馬たちの喧騒に紛れて、衛兵同士の会話が断片的に漏れてくる。
「……石畳が……」
「いや、刃物じゃ……」
「足の傷が……獣に噛まれたみたいだと……」
「だが、こんな街中で……」
途切れ途切れの言葉だった。
通りを行き交う荷車の音や、野次馬たちの囁きに何度も邪魔される。それでも、耳を澄ませば拾える程度には近かった。
アヤトも慌てて耳を傾ける。
だが、どうしても周囲の声ばかりが先に入ってきてしまう。
「魔物だってよ」
「いや、人間に決まってるだろ」
「でもよ、足を噛まれてたって話じゃないか。人間がそんなことするかよ」
「じゃあ野犬か? それともワーウルフの類いとか」
「野犬が心臓を一突きにするかよ」
野次馬の噂は好き勝手だった。
一つの言葉に、別の誰かが尾ひれをつける。事実かどうかも分からない話が、数人の口を通るだけでずいぶん派手な形に変わっていく。
ミレナはしばらく耳を傾けていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……これ以上はここにいても無駄ね。全部又聞きの又聞き。何が事実で何が尾ひれか、区別がつかないわ」
「どうします?」
「現場を直接見られない以上、ここで粘っても時間を食うだけよ。行くわよ」
ミレナは壁から背を離し、歩き出した。
「え、次はどこに」
「地下水路。さっきギルドで聞いた依頼のほうよ。報酬も出るし、一石二鳥でしょう」
「一石二鳥って……調査と金稼ぎを同時にってことですか」
「文句ある? 路銀がなければ野宿よ。あんた、それでもいいの? グールスパイダーで資金まるまるパーになったこともう忘れたのかしら?」
「全力で地下水路に向かいます!」
「最初からそう言えばいいのよ」
中央通りの喧騒を背に、二人は地下水路の入口があるという管理区画へ向かう。
石畳の道は少しずつ狭くなり、人の声も遠のいていった。
代わりに、湿った土と古い水の匂いが、風の中に混じり始めていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
――同じ頃。南通りの薬草店。
シレナは店の前を一度通り過ぎ、周囲に目を配ってから、何食わぬ顔で扉を押し開けた。
乾いた草と土の混じった匂いが鼻を突く。棚に並ぶ瓶と袋。天井から吊るされた薬草の束。奥のカウンターでは、初老の店主が帳簿をめくっていた。
「いらっしゃい。何をお探しかな」
「あのぉ、すみません。薬草を少しと……それと、お聞きしたいことがありまして」
「聞きたいこと?」
「はい。わたし、知り合いの方を探しているんです。ミレナさんという銀髪の冒険者の方と、一緒にいるはずの男の子で……黒い髪で、ぼさぼさ頭で、わたしと同い年くらいの」
「んー、ミレナって冒険者さんは名前だけは聞いたことがあるけど、うちには来たことはないねぇ。黒い髪の男の子、ねぇ……」
店主は首を傾げ、帳簿をめくる手を止めた。
「名前はなんていうんだい?」
「アヤトさん、って方なんですけどぉ」
「アヤト……。いや、その名前には覚えがねぇなぁ」
シレナは肩を落としてみせた。
だが、店主はそこで腕を組み、天井を見上げた。何かを辿るような目だった。
「……あぁ、いや待てよ。そういえば昨日、うちの常連の女の子が男の子を連れてきてたなぁ」
「え?」
「ほら、黒い髪のぼさぼさ頭って言ったか? 同い年くらいの。……だったら、もしかしたらその子かもしれないね。荷物持ちをしてたみたいで、棚の前でおろおろしてたよ」
(……来た来た)
シレナは目を輝かせた。演技ではなく、獲物の痕跡を掴んだ瞬間の反射だった。もっとも、それは一瞬で可愛らしい笑顔の下に押し込められたが。
「まぁ! それ、きっとアヤトさんです! おろおろって、もう、あの人そういうところがあるんですよねぇ。それで、その常連の方というのは?」
「リノアちゃんっていう子でね。いつも礼儀正しくて、すごく優しい子だよ。薬草にとても詳しくてね」
「リノアちゃん……」
シレナは初めて聞いた名前を、脳に刻み込んだ。
「いつもはおばあさんのお薬の分だけ買っていくんだけどね。昨日はえらく多めに買っていったんだよ。包帯の材料に、解熱の薬草。止血用のもいくつか。珍しいなぁと思ってね」
(包帯。解熱。止血。……怪我人の手当ってか。ミレナを匿ってるのは、こいつか)
点が繋がった。アヤトと一緒に薬草を買いに来た女。ミレナの手当てができる薬草の知識。おばあさんと二人暮らしで、この店の常連。
「その方のところに、アヤトさんがお世話になっているのかもしれませんね。あの、もしよかったら、リノアちゃんのお家がどのあたりか教えていただけませんかぁ? アヤトさんに届けたいものがありまして」
「リノアちゃんの家かい。うーん……」
店主は顎に手を当て、困ったように眉を寄せた。
「正直、はっきりした場所までは知らないんだよ。いつも南通りのほうから歩いてくるから、あの辺りに住んでるんだろうなぁくらいでね」
「そう、ですかぁ……」
「仮に知ってたとしてもね、若い女の子の家を、人に教えるっていうのはちょっと……ねぇ。おじさんとしてはさ」
店主は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「ですよねぇ……。すみません、変なことを聞いてしまって」
シレナは目を伏せ、しゅんとした声を出した。
(はぁ。まぁそうだろうね。こんなクソジジイに期待したあたしが馬鹿だったわ)
薬草を数種類適当に見繕い、代金を置いた。店主に笑顔で礼を言い、手を振って店を出る。
扉が閉まった瞬間、笑みが消えた。
「使えねぇ。結局どいつもこいつも肝心なとこは知らないし教えねぇのかよ」
買い物籠を苛立たしげに揺らしながら、シレナは南通りの先を見据えた。
住所は分からなかった。それでも、方角だけは掴めた。南通りの奥に、おばあさんと二人暮らしの家。薬草に詳しい少女が住んでいる家。
この規模の街で、条件を絞って歩けば、見つからないことはない。
「しらみ潰しってわけね。……だっる。……まぁ近場にいるやつに聞けばいっか」
シレナは舌打ちしながらも、足を南通りの奥へと向けた。




