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「金銭トラブルね……。詳しく聞けるかしら」
「こちらの記録に残っている範囲であれば。……ええと」
受付嬢は手元の書類を繰りながら、記憶を辿るように目を細めた。
「半年ほど前ですね。当時所属していたパーティーの共有資金と、仲間から預かっていた護符石を紛失した、という届けが出ています。本人の弁では、少女に騙し取られたと主張していたそうですが……」
「女の子に?」
「はい。酒場で知り合った女の子に言葉巧みに近づかれ、気づいた時には金貨と護符石を奪われた、と。ただ……」
受付嬢は言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「正直なところ、当時はあまり真に受けられていなかったようです。酔った勢いで自分から女性に貢いだのではないか、と。パーティーの仲間たちもそう判断したらしく、弁済もできなかったことで信用を失い、除名に至ったと」
「その女の特徴は」
「記録には……黒髪で、年若い少女だったとだけ。それ以上は本人も酔っていたせいか、曖昧だったようです」
ミレナは、一瞬だけ目を閉じた。
黒髪の若い少女。言葉巧みに男を手玉に取る。
「なんだか聞いたような話ね。あんたもそう思うでしょ?」
「ま。まぁ……はい」
アヤトは生返事を返すのが精一杯だった。
黒髪の少女。言葉巧みに男の警戒を溶かし、懐に入り込む手口。それがシレナの姿と重ならないはずがなかった。自分自身が、まさに同じ手で転がされたのだから。
「じゃあその人はその金銭トラブルの復讐に行って、返り討ちにあったと?」
「そこまでは断定できないけれど。可能性の話なら、あるわね」
ミレナは静かに答えた。
その声は冷えていたが、怒りに任せたものではなかった。むしろ、そうならないように意識して抑えているようにも聞こえる。
アヤトは喉の奥に引っかかったものを飲み込んだ。
もし本当にそうなら、その男は、半年前に奪われたものを取り返そうとして、ようやく相手を見つけたのかもしれない。そして、その結果として路地裏で返り討ちにあい、死んだ。
肩を裂かれ、足を噛み砕かれ、心臓を貫かれて。
想像しかけて、アヤトはすぐに目を伏せた。
自分が知っているシレナは、甘い声で優しく笑う少女だった。
困ったように眉を下げて、こちらの良心をくすぐるのが上手い少女だった。
その笑顔の裏にそんな顔があるのだとしたら……。
「犯行場所の詳細な位置、教えてもらえるかしら?」
「え。……それは構いませんが、現場に行かれるおつもりですか?」
「ええ。一応、ね」
「でもミレナさん、衛兵が調査をしている最中ですし、もしかしたら立ち入りが――」
「見るだけよ。触れはしないわ」
有無を言わせぬ口調だった。受付嬢は少しだけ口を噤んだ後、諦めたように地図を広げ、場所を指し示した。
「中央通りの、この辺りです。露店が並ぶ一角から一本入った路地裏で、朝方に住民が発見したと」
「中央通りの路地裏、ね」
ミレナは地図の一点を指先で叩き、頭の中に位置を刻み込んだ。
「――それと、もう一つ聞きたいことがあるのよ。ローゼンフェルト家、ヴェインという男のこと知らないかしら?」
「……いいえ。私にはさっぱりで。ローゼンフェルトという家名は、聞いたことがある程度で」
受付嬢はそれだけ言うと、眼鏡を指で押し上げた。
その仕草は自然だった。少なくとも、アヤトにはそう見えた。
けれど、ミレナは受付嬢の顔から目を逸らさなかった。相手の声色、視線の揺れ、指先の動き。そのわずかな変化まで拾おうとしているようだった。
「本当に?」
「はい。申し訳ありません。ローゼンフェルト家という名前そのものは、商会や貴族筋の話で聞いたことがあります。ただ、ヴェインという方については……」
受付嬢は困ったように眉を下げる。
「少なくとも、このギルドの登録者ではありません。依頼主として名を出した記録も、私の記憶にはありませんね」
「……そう、わかったわ」
ミレナはそれ以上追及しなかった。
受付嬢が嘘をついているようには見えなかった。知らないものは知らない。それだけのことなのだろう。ギルドの受付が貴族の内情に詳しいほうがむしろ不自然だ。
「それと最近、討伐依頼で異常な報告は上がっていない? 本来の生態から逸脱した魔物の目撃だとか、通常ではありえない場所に出没しただとか」
「魔物の異常、ですか」
「ええ。私たちがこの前の依頼で遭遇した魔物にも、人の手が加えられた形跡があったのよ。それが単発のことなのか、他にも似たような事例が出ているのかを知りたいの」
受付嬢は少し考え込んでから、手元の台帳をめくり始めた。
「確かに、ここ最近いくつか気になる報告は上がっています」
受付嬢は台帳のページを指で辿りながら続けた。
「まず、街の地下水路で通常は出現しないはずの魔物が目撃されたという報告が二件。いずれも水路の清掃作業に入った作業員からのもので、依頼として受理はしていますが、まだ未着手です」
「地下水路? この街の足元じゃない」
「はい。それともう一件。東の旧坑道の付近で、夜間に異常な鳴き声が聞こえるという届けが住民から出ています。こちらは偵察を兼ねた調査依頼として掲示板に出してあるのですが、ランクの割に報酬が見合わないせいか、引き受け手がまだ見つかっていない状態です」
「地下水路に、旧坑道ね」
ミレナは台帳に視線を落としたまま、短く呟いた。
どちらも人目につきにくい場所だ。
地下水路は街の足元に張り巡らされた暗がり。
旧坑道は、使われなくなった穴倉。
魔物を隠すにも、何かを運び込むにも都合がいい。
異常な報告ではあるが、シレナやヴェインに直接繋がる証拠ではない。
「地下水路で目撃された魔物の種類は?」
「作業員の報告では、濡れた犬のような姿だったと。ですが、牙が異常に大きく、体表に鱗のようなものがあったそうです。通常の水路鼠やスライム系統、それに大型の蝙蝠系とも明らかに違う、と」
「水辺に適応した魔物……というだけなら珍しくはないわね。ただ、街の地下水路に出るのは妙だわ」
「はい。ですので、こちらでも少し優先度を上げるべきか検討していたところです」
受付嬢は台帳の別の行へ指を滑らせた。
「旧坑道のほうは、姿を見た者はいません。ただ、夜になると獣とも人ともつかない鳴き声が聞こえるそうです。近隣の住民が気味悪がって、何度か衛兵にも相談しているようですが、今のところ被害は出ていないため、調査は後回しになっているようですね」
「被害が出てからでは遅いのに、悠長なものね」
受付嬢は困ったように目を伏せる。
「ええ。ただ、ギルドとしても人手が足りていません。治療院の件もありますし、今朝の事件もありますし……」
「責めているわけじゃないわ」
ミレナは台帳から目を離し、腕を組んだ。
アヤトは横からその表情を伺う。
さっきまでシレナに関する情報を聞いていた時とは、少し種類が違う。目の前に散らばった手がかりを、どの順番で拾うべきか選んでいるような顔だ。
中央通りの路地裏。地下水路。東の旧坑道。
どこも気にはなるが、どこを追うべきか。
「ちなみにだけど、地下水路と坑道の件は依頼報酬は出るのよね?」
ミレナの問いに、受付嬢は少しだけ目を瞬かせた。
今まで事件や異常報告の話をしていた流れから、急に報酬の話に移ったからだろう。
「ええ、それはもちろん出ます」
受付嬢は台帳を確認しながら答えた。
「地下水路の調査依頼は、二件とも市の管理局からの依頼です。魔物の確認と、可能であれば討伐。報酬は調査のみでも支払われますが、討伐まで完了すれば上乗せがあります」
「金額は?」
「一件あたり銀貨五枚。討伐が確認できれば追加で銀貨三枚です」
「随分と安いわね。足元見られてるんじゃないの?」
ミレナは即座に言い捨てると、受付嬢は困ったように苦笑する。
「地下水路の清掃作業員からの報告ですので、管理局側もまだ危険度を低く見ているようでして……」
「街の地下に正体不明の魔物が出ている時点で、低く見る理由が分からないけれど」
「そこに関しましては、私も同感ではあります」
受付嬢は小さく頷き、次の欄へ指を動かした。
「東の旧坑道の調査依頼は、近隣住民からの共同依頼です。こちらは調査のみで銀貨七枚。魔物や危険物の存在を確認し、ギルドへ正式に報告すれば達成扱いになります。討伐が必要な場合は、追加依頼として再発行される予定です」
「ふぅん。報酬だけ見るなら旧坑道のほうがましね」
「ただ、距離があります。日帰りは可能ですが、今から向かうとなると帰りはかなり遅くなるかと」
「まぁそうね……」
ミレナは腕を組みながら思考する。今すぐ動くとなると、坑道は少々厳しい。
なによりも今すぐ確認すべきなのは、冒険者が死んだ場所だ。時間が経てば、現場に残っている痕跡は消えていく。
「……まずは中央通りの路地裏」
ミレナは結論を出すように言った。
「そこで何も拾えなければ、次は地下水路。旧坑道はその後ってところね」




