5-4
「考えは……まとまり……ました、か?」
「うるさいわね、まだよ」
アステリアの東門を出て、街道沿いに少し歩いた先。街道から外れた木陰に、二人の姿があった。
ミレナはアヤトの背中に腰を据え、足を組み、片肘を膝に乗せて頬杖をついていた。
「い、いたたたた……。ミレナさん、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ位置ずらしてもらえませんか……?」
「はぁ? なんでよ」
「小石が……。手のひらに小石が、めり込んで……痛くて、ですね」
四つん這いの姿勢で地面に手をついているアヤトの掌に、尖った小石がいくつも食い込んでいた。体重はアヤトのものに加えて、ミレナのぶんの重さが背中に乗っているのだ。掌の痛みは着実に増している。
「うるさい。我慢しなさい。男の子でしょ」
「いや、これ結構痛いんですけど。それにそこは男とか女は関係ないと」
「いちいち口の減らない椅子ね。思考の邪魔をしないで。今大事なところなのよ」
「大事なところって、いつも大事なとこじゃないですか……」
アヤトの訴えは、当然のごとく無視された。
ミレナは頬杖をついたまま、遠くに霞むアステリアの城壁を眺めていた。灰色の曇り空の下、街の輪郭だけがぼんやりと見えている。
「シレナにヴェイン。あの二人が別の意志で動いているのか、はたまた同じ組織が絡んでるのか。はぁ、情報が少なすぎるわね」
ミレナは眉間に皺を寄せたまま、指先で自分のこめかみを軽く叩いた。
その下で、アヤトは別の意味で眉間に皺を寄せている。
「あの、ミレナさん……情報が少ないのは分かりましたけど、俺の手のひらの感覚もそろそろ少なくなってきました」
「あら、よかったじゃないの。痛みが減ってきたなら好都合ね」
「そういう前向きな話じゃないですけれど……。もう痛すぎて、痺れてきてるんです」
「それは麻痺っていうのよ。もう少しの辛抱だから黙ってなさい」
「もう少しって、さっきからずっとそのもう少しが――」
「うるさい! 椅子が口答えするんじゃないわよ! 椅子の分際で発言権があるとでも?」
ぴしゃりと言い切られ、アヤトは口を噤んだ。
言い返したいことは山ほどにある。
発言権の一つくらいは認めてほしいものだ。あと、手のひらに食い込む小石は本当に痛い。
だがそれを口にしたところで、背中の上の少女が態度を改めるとは思えなかった。
「まっ、やっぱり一度戻るしかないわね。ギルドに」
「ギルド? 今出てきたばっかりなのに、また戻るんですか?」
「留まるのと立ち寄るのは違うわ。いちいち説明させないでくれるかしら」
ミレナはアヤトの背中から降りた。何の前触れもなく、思考がまとまった瞬間には、この人はもう次の行動に移っている。
解放されたアヤトは地面に突っ伏し、赤い点だらけの掌をひっくり返して恨めしそうに眺めたが、ミレナはそんなものには目もくれなかった。
「いつまでも逃げ回ったところで、状況は良くならないのよ。シレナにしろヴェインにしろ、こっちが隠れている間も向こうは動き続けるわ」
「それは……そうかも、しれませんけど」
「逃げて、隠れて、また見つかって、また逃げて。そんなことを繰り返していたら、体力も金も尽きて終わりよ。その前にリノアの家まで嗅ぎつけられでもしたら、最悪だわ。なによりも……」
「なによりも……?」
アヤトが聞き返すと、ミレナは街の方角へ視線を向けて小さく鼻を鳴らす。
「ふん、逃げるのは性に合わないのよ。やってられないわ」
その声には、苛立ちと、それから妙な清々しさが混じっていた。
「逃げるんじゃなくて、潰すのよ、こっちからね。私が仕掛けて、相手の脅威そのものを叩く。そのほうがよっぽど確実だし、手っ取り早いわ」
「た、叩くって……。相手がどれだけいるかも分かってないのに? もしも二人以外の敵まで現れたら……どうするんですか?」
「だからギルドで情報を集めるって言ってるのよ。相手の素性、動き、目的。使えるものは何でも拾う。その上で、一人ずつ確実に潰していくわ」
ミレナは腰の剣に手を添えながら、当然のことのように言い切った。
(……この人、本気で言ってる。うわぁ……)
アヤトは背中に冷や汗を感じた。
冷静に状況を分析しているように見えて、結局のところ行き着く先が『めんどくさいから全員ぶっ倒す』なのは、なんというか――。
(脳筋だ。この人、こう見えて、めちゃくちゃ脳筋だ)
頭がいいのは間違いない。判断も早い。だが根っこの部分で、ミレナ・カワードという人間は『面倒なら殴って解決する』側の生き物なのだと、アヤトは今さらながらに理解した。
「何、その顔。文句あるの?」
「いえ、ミレナさんらしいなと」
「らしいって何よ。意味が分からないわ」
「ほ、褒めてます」
「ふん! あっそ」
ミレナはめんどくさそうにそっぽを向いた。
褒められて悪い気はしていないのか、それとも単に追及するのが面倒になったのか。横顔だけでは判別しづらい。
ただ、少なくとも機嫌がよくなったようには見えなかった。
「ほら、行くわよ。ぐずぐずしないで」
「はい……」
「いい? まっすぐギルドに向かうわ。寄り道はしないで」
「了解です」
「それと、中ではあんたは黙っていなさい。余計なことを喋って、またシレナの時みたいに情報をばら撒かれたらたまったもんじゃないわ」
「……返す言葉も、ありません」
ギルドの扉を押し開けると、昼前の施設内は朝とも夜とも違う空気が流れていた。
依頼帰りの冒険者が受付に報告書を出し、別の一団が掲示板の前で依頼を吟味している。
朝方の張り詰めた空気もなく、かといって夜の酒場めいた喧騒もない。
仕事の合間のちょっとした弛緩した空気感が、建物全体にぬるく漂っている。
ミレナが中に入ると、何人かの冒険者の目がちらりとこちらを向いた。
銀髪の少女の姿は、やはりこの場所では目立つ。だが、誰も声はかけなかった。ミレナの纏う空気が、そうさせないのだろう。
カウンターには見覚えのある顔があった。黒髪で眼鏡をかけた受付嬢。
彼女のほうも二人の姿を確認すると、わずかに目を丸くした。
「ミレナさん! もうお体はよろしいのですか?」
「ええ。まだ万全とは言い難いけれど、動けないほどじゃないわ」
「そう、それは。……本当によかった。……えぇ、本当に…」
受付嬢の声には、社交辞令ではない安堵が混じっていた。ミレナはそれに対して軽く頷いただけで、本題に入った。
「いくつか聞きたいことがあるの。ここ数日の間に、ギルドに届いた依頼や報告で、不審な点はなかった?」
「不審な点、と言いますと?」
「何でもいいわ。普段とは毛色の違う依頼。見慣れない人間からの届け出。冒険者の間で妙な噂が立っている、でも構わない」
受付嬢はペンを置き、少し考え込むような顔をした。
「不審な点、と言えるかどうかは分かりませんが……。実は今朝方、街の中で冒険者の男性が一人、亡くなっているのが見つかりまして」
「冒険者が?」
ミレナの眉が、わずかに動いた。
「はい。南区画の路地裏で、朝一番に通りかかった住民が発見したそうです。衛兵が調べたところ、身元はうちに登録のある冒険者で間違いない、とのことでした」
「その男の死因は」
「それが……ですね」
受付嬢は声をわずかに落とし、カウンターの向こうに身を乗り出した。
「外傷がほとんどなかったそうなんです。肩口に切り傷のようなものが一つ。それと足を噛み砕かれたかのような傷口がありました。それだけではとても命に関わるものではないと。けれど、心臓に何か鋭いもので貫かれたような痕があったらしく……。それに、凶器が見つかっていないんです。犯人が持ち帰ったのかどうかも……」
「凶器がない?」
「ええ。刺し傷はあるのに、刃物で刺されたわけではないようだと衛兵は言っていました。それに、遺体の周囲に争った形跡もほとんどなく……。路地裏の石畳が少し崩れていたそうです。内側から砕けたように盛り上がっていたらしく。それが事件と関係あるのかどうかも定かではありませんが」
受付嬢の説明を聞きながら、ミレナは黙って目を細めた。
肩口の傷に、足を噛み砕かれたような痕。
そして心臓を貫かれたような致命傷。
普通に考えれば、魔物に襲われたということはあり得ない。そもそもこんな街中で魔物が出現すればそれだけで大騒ぎになるはずだ。
とはいえ、人の手かと言えば今度は手段が奇妙すぎる。
「その冒険者の男は、最近誰かと揉めていたのかしら?」
ミレナが尋ねると、受付嬢は少し困ったように眉を寄せた。
「そこまでは、まだ。ただ……その方は半年以上前に金銭トラブルを起こし、当時所属していたパーティーから半ば強制的に脱退されたと、聞いておりますが」




