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5-1

 露店の並ぶ一角では、焼き菓子の甘い匂いと、荷車の軋む音と、店主たちの呼び込みの声が入り混じっている。

 曇り空の下でも、通りの活気だけは昨日と変わらない。冒険者が魔物を討伐して帰還しただの、治療院が襲われただのという噂も、人々の足を止めるほどではないらしい。


 そんな通りの端に、一人の少女が立っていた。

 黒髪のセミロング。清楚な白いブラウスに、足元までを覆う落ち着いた色のロングスカート。

 片手には買い物籠を提げ、もう片方の手は不安げに頬へ添えられている。


 少女は通りを行き交う人々の顔を、一人ずつ確かめるように見ていた。



「あ、あのぅ……すみません。そこの素敵なお兄さん。少しだけ、お聞きしてもいいですかぁ?」



 声をかけられたのは、革鎧の上に外套を羽織った男だった。


 腰には使い込まれた剣。腰には使い込まれた剣。外套の肩口には、依頼帰りらしい埃が薄く積もっている。

 若造というほど若くはなく、かといって古参と呼ぶにはまだ貫禄は足りない様子。冒険者としては中堅どころ、といった風情の男である。

 男は足を止め、少しだけ怪訝そうに振り返った。


 しかし、少女の顔を見るなり、その警戒は緩んだ。

 潤んだ黒い瞳。今にも泣き出しそうな眉。

 胸元で買い物籠を抱え込む、心細げな仕草。

 それらは、男が放っておけない、と思わせるには充分だった。

 むしろ、「俺が守ってあげなくちゃ」と思わせてしまうほどに。



「お、おう…オレのことかい? どうしたんだ道にでも迷ったのかな?」


 男の声は、さっきまでより少しだけ柔らかくなっていた。締まりなく緩み切った頬を見れば、目の前の少女への警戒心など、もはや無に等しいことは明らかだった。

 シレナはその変化を、ほんのわずかに目元で受け止めた。



「そ、そのぉ。実は、お知り合いの方とはぐれてしまってぇ……。冒険者の方なので、もしかしたらお兄さんはご存じなのかなぁってぇ……」

「知り合い?」


「はい……。ミレナさんという女性の方でして」

「ミレナって……。あのミレナ・カワードのことかい嬢ちゃん?」


「はい。確かアヤトさんという男性の方もいたはずなのですけれど……ご存知ありませんかぁ?」


「んーアヤトって男は知らねぇな。けど確かにあの誰とも組まないことで有名なミレナ・カワードが男引き連れてるって話は聞いた事あるし、そいつがそのアヤトって男かもな」



「そう、なんですねぇ! やっぱりお兄さんは物知りですね! わたしお兄さんのような優しくて素敵な男性ははじめてです!」



 シレナは両手を胸の前で組み、ぱぁっと顔を輝かせてみせた。

 男の頬がさらに緩んだ。褒められて悪い気のする人間などいない。ましてや、こんな可憐な少女にそう言われれば尚更だ。



「へへっ、まぁ冒険者やってりゃ、それくらいの情報は耳に入ってくるってもんさ」


「流石ですぅ! それで、あの……ミレナさんって、最近はどのあたりで活動なされてるのか……ご存知だったりしますかぁ?」


「あーそれがなぁ。オレもそこはよく分からなくてな。さっきギルドに行ったけどミレナはみてねぇーな」

「そうなんですかぁー。残念です」



 シレナは残念そうに眉を下げた。

 肩を落とし、買い物籠を胸元に抱え直す。その仕草だけを見れば、頼りにしていた相手から望む答えを得られず、途方に暮れている少女そのものだった。



(クソほど使えねーじゃねぇかこのゴミカスが!)



 内心ではこれ以上ないほど男を見下し、吐き捨てていたが、当然シレナはそれを表面に出す事は決してしない。

 むしろシレナは、先ほどよりも少しだけ儚げに微笑んでみせた。



「でも、ありがとうございます! お兄さんが親切に教えてくださっただけでぇ、わたし、とっても心強いです」

「そ、そうか? いやぁ、役に立てたならよかったぜ」


「それじゃあ、もう少し自分でも探してみますね。本当にありがとうございました、お兄さん!」

 


 シレナはぺこりと頭を下げ、名残惜しそうに小さく手を振ってみせた。


「おう! また何か困ったことがあったらいつでも声かけてくれよな!」

「はいっ。……あ、あのぅ。お兄さんのお名前、お聞きしてもいいですかぁ?」


「オレか? オレはムロウだ。覚えといてくれよ、嬢ちゃん」

「ムロウさん。素敵なお名前ですね! 覚えておきますね。それじゃあ、さようならムロウさん」



 もう一度だけ花の咲くような笑みを向け、シレナは人混みの中へと身を滑り込ませた。


 男の視線が完全に離れたのを背中で確認した瞬間、シレナの目から光が消えた。



(覚えるかよ、そんな名前。ムロウ? 無能の間違いだろうが)



 口の中で舌打ちを一つ。買い物籠の取っ手を、苛立たしげに握り直す。


 ミレナがギルドに来ていないという情報は、まぁ想定の範囲内だった。

 あの女が怪我を負った状態でのこのこ表に出てくるとは、最初から思っていない。


 問題はその居場所だが、あの無能からはそこまで引き出せなかった。



(はずれ。次)



 シレナは通りの流れに自然に紛れながら、視線だけを素早く泳がせた。


 次の獲物を選ぶ目は、先ほどまでの困り顔の少女のものではない。群れの中から、すぐに騙せそうな個体だけを選別する、捕食者の目だった。


 酒場の前でたむろしている若い冒険者の集団。あれは駄目だ。複数人の前で演技をすれば、後から情報が突き合わされる可能性がある。


 装備の手入れをしている年配の男。あれも駄目。古参は警戒心が強い。甘い顔で近づいたところで、簡単には口を開かない。



 視線が止まったのは、掲示板の前で一人、依頼書を眺めている男だった。

 体格はそこそこ。装備は新しいが、剣の柄に手垢が少ない。

 おそらく冒険者になってまだ日が浅い。そして何より、一人で依頼を選んでいるということは、組む仲間がいないか、あるいは仲間を探している最中だ。


 孤立している人間ほど、声をかけられた時に嬉しがる。

 シレナは表情を切り替えた。唇が、再び儚げな弧を描く。



「あの……す、すみません。お忙しいところ、本当にごめんなさい」



 男が振り返る。目が合った瞬間、シレナは少しだけ身を引いてみせた。

 怯えた小鳥のような一歩。それだけで、男の表情が柔らかくなるのが見えた。



「知り合いの方を探していまして……。銀髪のとても綺麗な女性の冒険者さんと、一緒にいる黒い髪の男の子なんですけれど……。ご存知ではありませんかぁ?」


「銀髪の……? ああ、それってもしかして、あのミレナ・カワードさんのことかな?」

「はい! ミレナさんです! ご存知なんですか!?」


「知ってるっていうほどじゃないけど。有名だからな。ただ、ここ何日かはギルドで見てないなぁ。治療院に入ってるって噂もあったけど、その治療院も何かあったらしくて……」


「治療院にも、いらっしゃらないんですか……」



 シレナは目に見えて肩を落とした。

 落胆。不安。心細さ。

 それらを少しずつ混ぜた表情を作るのは、もう呼吸をするのと同じくらい簡単なことだった。


 男は困ったように頭を掻いた。



「いや、そこまでは分からないけどさ。ただ、昨日の夜から衛兵が出入りしてたらしいし、今朝も近くは少し騒がしかったからな。普通に考えたら、まだ治療院にいるとは思えないっていうか」


「そう、なんですね……」


(はー使えねぇ! 今更治療院がどうこう言ってんじゃねーぞカスが! そんなんだからテメーは仲間の一人もできねーんだよ)



 もはやこの男からは、大した情報など一滴も搾れそうにない。こういう男から早々に見切りをつけるに限る。



「でもぉ、そこまで教えてくださっただけでも助かりましたぁ。ありがとうございます」


「いや、大した情報じゃなくて悪いな。……あ、そうだ。よかったらオレも一緒に探そうか? 一人じゃ心細いだろ」



(ッハ! 出た出た)



 シレナは内心で鼻を鳴らした。判で押したように同じことを言う。

 さっきの男もそうだったが、この手の人間は困っている女を見ると、求められてもいないのに手を差し伸べたがる。


 それが善意だと本人は思っているのだろうが、その実態は自分が女に必要とされたいだけだ。


 シレナはその構造を誰よりもよく知っている。知った上で、利用している。



「ご親切にありがとうございます。でも、これ以上お兄さんのご迷惑をおかけするわけにはいきません。……お気持ちだけで、充分ですから」



 目を潤ませ、胸元で手を組んでみせた。断りつつも感謝を乗せる。これで男は気持ちよく引き下がれるし、後味も悪くならない。



「そっか。まあ、困ったらいつでも言ってくれよ」

「はい。本当に、ありがとうございました」


 深く頭を下げて別れると、シレナは通りの角を曲がったところで足を止めた。



「ッチ! こいつも外れかよ。どいつもこいつも使えねーやつばっかじゃねぇか」

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