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4-8

    ◇◇◇    ◇◇◇   ◇◇◇    ◇◇◇     ◇◇◇   



 四天衆の会議の場を飛び出したあとも、シレナはそのまま自由になれたわけではなかった。

 廊下の先には、すでに見張りが待ち構えていた。


 胸元の魔石に手を伸ばせば、蹴散らすことなど造作もない。

 少なくとも、あの場にいた見張り程度なら、数えるまでもないだろう。


 だが、シレナはあえてそうしなかった。

 ここで雑魚を相手に暴れたところで、何ひとつ面白くないと思ったからだ。


「謹慎? はっ、好きにすれば?」


 そう吐き捨てて、シレナはその場では大人しく塔へ向かった。

 どうせ、閉じ込められたところで抜け出せる。扉に鍵をかけた程度で自分を止めたつもりなら、ミラも見張りも、とんだ間抜けだ。


 

 従ったわけではない。あくまで従ったふりをしてやっただけだ、と。



 そして今、アステリアの外れにそびえる古びた塔の一室で、シレナは爪を噛んでいた。


 窓もろくにない、石壁に囲まれた狭い部屋。謹慎、などという生ぬるい名目で押し込められた、要するに座敷牢のようなものだ。


 日に二度、扉の隙間から無言で食事が差し入れられる以外、誰も寄り付かない。

 ミラの差し金だろう。あの女のことだ、見張りの一人や二人、扉の向こうに立たせているに違いなかった。



「……ふざけんなよ! どいつもこいつも。あたしの邪魔ばっかしやがって!」


 噛みちぎった爪を、ぺっと床に吐き捨てる。


 ぐつぐつと腹の底で煮え立つものが、もう抑えきれそうになかった。謹慎だの、反逆だの。あの規格外のバカどもをのうのうと生かしておいて、罰を受けるのはこっちだけ。


(そんなの、知ったことかっつーの)



 寝台から音もなく下りると、シレナは胸元へと手を滑らせた。

 黒いリボンの結び目に、さりげなく添えられた、小さな紫の飾り石。一見ただの装飾にしか見えないそれこそが、彼女の力の源。

 指先が触れた瞬間、待ちかねていたように、その石は妖しい光を帯び始める。



 扉を破れば、即座に見張りが押しかけてくるだろう。

 なら――見張りが来る前に、壁のほうから、出ていけばいい。

 シレナは唇の端を吊り上げた。


「こんな石ころだらけの部屋に閉じ込めて、あたしを本気で止めたつもりかよ。ほんと、舐めてくれるじゃん」


 紫の飾り石が、淡く瞬く。


「ねぇ。あたしのために、ちょーっとだけ働いてよ」



 石壁へと、ゆっくり手のひらをかざす。

 魔石から溢れ出した紫の魔力が、糸を引くように指先へ集まり、冷たい石組みの一点へと吸い込まれていった。


 ただの石であるはずの壁が、内側に骨でも埋まっているかのように軋み、ひび割れた隙間から黒紫の光が漏れ出す。

 石材の輪郭が、わずかに歪む。


 積み上げられた石がずるりとずれ、互いに噛み合い、絡み合い、やがて巨大な顎のような形を作り始める。

 無機質な壁だったものが、ほんの一瞬だけ、意思を持つ魔物のように蠢いた。


「いい子だから、そこを噛み砕きなよ」



 シレナが指を弾く。

 次の瞬間、壁だったものが、自ら腹を裂くように内側から崩れた。


 轟音。

 石片が床を跳ね、白い粉塵が部屋いっぱいに舞い上がる。普通に壊したなら塔中に響くほどの音だった。だが、シレナは同時に崩れた石材の一部を操り、床へ落ちる衝撃を殺していた。



 それでも、完全には隠しきれない。

 扉の向こうで、誰かが息を呑む気配がした。


「なんの音だ!?」


 見張りの声。


「ッチ、気づくのはやすぎだろ」



 壁に空いた穴の向こうから、冷たい外気が流れ込んでくる。人ひとりが身を屈めれば、どうにか通れるだけの隙間だった。

 魔物化した石材は、もう限界だった。ぎちぎちと蠢いていた壁が、ただの瓦礫へ戻り始めている。


 この力は、そう長くは続かない。

 無機物に仮初めの命を与え、魔物じみた形へ歪めることはできる。だが、それはほんの短い間だけだ。長引けば制御は崩れ、ただの石に戻る。



「開けろ! シレナ、何をした!?」


 扉の向こうで鍵が乱暴に鳴る。

 シレナは振り返り、にたりと笑った。


「ばーか! 開けるのが遅いんだよ間抜け」


 シレナは崩れた壁の穴へと身を寄せた。

 背後で扉が開かれる音がした。


 部屋の内部は、白い粉塵で満たされていた。遅れて扉を蹴破るように開けた見張りたちは、思わず咳き込みながら腕で顔を庇う。



「シレナ・エルシア・ノワール!!」

「どこだ、姿が見えないぞ!?」

「逃げられると思うな!」



 怒号が飛ぶ。

 その声を背中で聞きながら、シレナは壁に空いた穴へ片足をかけた。


 外から流れ込む冷たい空気が、頬を撫でる。急げば抜けられる。迷っている暇はない。


 だが、そのまま逃げるほど、シレナは甘くなかった。



「……あぁ、そうだ。バカ共にお土産くれてやるよ」


 彼女はふと振り返り、粉塵の中で目を細めた。

 床に散らばる瓦礫。


 さきほど壁だったもの。自分の力で仮初めの命を与え、今はただの石へ戻りかけている残骸。

 シレナは胸元の魔石に指を添え、唇の端を吊り上げた。


「最後にもう一仕事してもらおうか」



 紫の魔力が、指先から床へ滴るように落ちた。

 それは蜘蛛の糸のように瓦礫の間を走り、割れた石片のひとつひとつへ染み込んでいく。


 直後、床の瓦礫がびくりと跳ねた。


「なにっ!?」



 見張りの一人が息を呑む。

 石片がぎちぎちと音を立てて組み上がっていく。割れた石の端が牙のように尖り、砕けた壁材が短い脚めいた突起を生やす。


 ほんの一瞬で、床の上に小さな石の獣たちが生まれた。

 それは魔物と呼ぶには歪で、命と呼ぶにはあまりにも乱暴なものだった。それでも、足止めには十分だった。


 歪な石の獣たちが、ギチギチと軋む音を立てて一斉に這い出す。

 短い脚で床を掻き、牙めいた石の端を打ち鳴らしながら、見張りたちの足元へと殺到した。


「うわっ!? なんだこいつら、石が!」

「振り払え! ただの石くれだ、蹴り砕けばいい――ぐっ!?」



 剣を振り下ろした見張りの一人が、石の獣をぱきりと砕く。

 砕けたそばから別の石片が脚に絡みつき、ずるりと体勢を崩させる。命がないぶん、痛みも恐怖も知らない。倒しても倒しても、ただ無心に獲物へまとわりついてくる。


 その様を、シレナは穴の縁から肩越しに眺め、心底愉快そうに喉を鳴らした。



「ッフ、一緒に踊ってなよ!」



 ひらり、と。

 崩れた壁の穴へ、身を躍らせる。

 冷たい朝の外気が、頬を撫でた。背後で響く怒号も、石の獣を蹴散らす音も、もはや彼女を捉えてはいない。



「ま、五分も保ちゃしないけどね。……それだけありゃ、十分。さぁて、さっさと」

「――どこへ行く?」


 低い声が、薄明の空気を裂いた。

 思わず心臓が、跳ねる。

 


「ッ!? ガレン……」


 シレナの身体が、空中で強張った。

 塔の外壁から身を躍らせた、その先。崩れた石壁の縁から少し下がった屋根の上に、一人の男が立っていた。


 白と黒を基調にした、飾り気のない服装。風に揺れる外套の裾も、無駄に目立つ装飾もない。

 だが、その地味な出で立ちの中で、腰元のバックルに嵌め込まれた紺色の魔石だけが、鈍く光を帯びていた。



 灰色の瞳が、逃げ出そうとするシレナを静かに見上げている。

 責めるでもなく、驚くでもない。まるで、彼女がそこから出てくることなど、最初から分かっていたかのように。


「邪魔すんな!」


 シレナは空中で体勢を捻り、外壁の突起を蹴った。

 そのまま屋根の端へ降り立つ。瓦が鋭く鳴ったが、彼女はすぐに姿勢を立て直した。


 背後では、部屋の中から見張りたちの怒号が聞こえている。石の獣たちが砕かれる音も混じっていた。

 一刻の猶予もない。



「――邪魔立てする気はない。忠告をしに来ただけだ」



 屋根の端で身構えたまま、シレナはじろりとガレンを睨み上げる。

 逃げの体勢は崩さない。

 灰色の瞳に殺気のひとつも見当たらないことを確かめ、ほんの少しだけ、爪先の力を緩めた。


「忠告ぅ、はぁ!? あんた何様のつもり」

「謹慎を破れば、反逆と見なす。ミラはそう言った。……始末する、とも」


「知ってるっつーの。だから止めに来たんだろうがよ」

「違う」


 シレナは苛立たしげに眉を吊り上げた。



「何が言いたいわけ? てめぇ、寝ぼけてんの?」

「寝ては、いない……」

「そういうことは聞いてねぇし」



 シレナは舌打ちし、背後を一瞥した。

 塔の中では、まだ見張りたちの怒号が飛び交っている。石の獣たちも、そう長くは保たない。

 あと数分もすれば、連中はこの穴から外へ出てくるか、下から回り込んでくるだろう。


 こんなところで話し込んでいる暇などない。


「どきなよ! 邪魔すんならあんたも殺す」

「邪魔をする気はない、と言ったが。ミラはお前がどういう経緯で逃げ出すかなど理解しているだろう。それでもお前から魔石を取り上げていない。何故だかわかるか?」



「知るかよ。あの女の考えることなんか、あたしが知るわけないでしょ」



 シレナは吐き捨てるように言った。

 だが、その声にはほんのわずかな揺らぎが混じっていた。


 魔石を取り上げられなかったこと。それは、確かに引っかかっていた。


「取り上げる必要がないと判断されたからだ」

「……うぜぇ!」


 嚙みつくように叫んだ。


 シレナは認めたくなかった。

 ミラに読まれていたなど。自分が逃げ出すことまで、最初から織り込み済みだったなど。


「っは! あたしをみすみす逃がしたこと、せいぜい後悔させてやるよ!



 吐き捨てるように言って、シレナは屋根を蹴った。

 瓦が鋭く鳴る。朝の冷たい空気を裂くように、彼女の身体が屋根伝いに跳ねていく。


 背後では、見張りたちの怒号がなおも響いていたが、シレナは一度も振り返らない。

 白み始めた空の下、黒いリボンがひらりと揺れたかと思うと、その姿は屋根の連なりの向こうへ消えていった。


 追えないわけではなかった。ただ、追う理由がなかっただけだ。

 ガレンは灰色の瞳で、その背中を静かに見送っていた。

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