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4-4

(わたしが黙っていたら、この布は誰の目にも触れないまま、手がかりにすらならない) 


 そう思い至り、リノアは小さく息を吸い込んだ。



「……あの、ミレナさん。いいですか?」

「何かしら」

「先ほど治療院を出る時に、瓦礫の中から拾った布のことなんですけど……」



 リノアがそう切り出すと、アヤトが「あぁあれか」と小さく声を漏らした。流石に覚えてはいるらしい。

 屈んで何かを拾い上げていた様子だけは。



「ふと目についたもので、一応拾っておいたのですけれど……」



 彼女は衣服の内側からそっと黒い布切れを取り出し、ミレナの前へ差し出した。

 厚手の生地に、荒く引き裂かれたような断面。見るからに治療院の備品とは質の異なるもの。



「ベッドの脚の陰に引っかかっていました。もしかしたら、襲った方が残していったものではないかと思いまして」



 ミレナの目つきが、すっと変わった。差し出された布切れを受け取り、指先で生地の厚みや織りを確かめていく。

 その仕草は手慣れたもので、素材の良し悪しを見定める目に迷いはなかった。



「……安物じゃないわね。この織り。少なくとも、その辺の野盗やごろつきが着るようなものじゃないと思うわ」


「ってことは、やっぱりミレナさんを狙って動いてた奴が着てた……?」

「断言はできないけど、その可能性は十分にあるわね」



 ミレナは布切れを裏返し、もう一度じっくりと眺める。それ以上の情報を読み取ろうとでもしているのか、しばし沈黙が落ちた。

 リノアは、その様子を静かに見つめる。


 香りのことは、言わなかった。ミレナの指先が布を検めている間、あの甘い花の香りに気づく素振りがあるかどうか、息を詰めて窺っていたが、ミレナはそこには触れなかった。

 単純に気が付かなかっただけなのか、香りには気が付いたが、そこは重要ではないと考えたのかはまでは判断はつかなかったが。


(……今は、ここでは――)



 リノアは自分にそう言い聞かせた。確かなことが何ひとつない今、下手に口にすれば、余計な疑念だけを生むことになりかねない。


 仮に香りのことをミレナに話せば、きっと話はそこで終わらないだろう。

 どこで嗅いだのか。誰から聞いたのか。なぜそれを気にしているのか。


 そう問い詰められた時、自分はきっと、彼が話してくれた『恩人の女性』のことまで口にせざるを得なくなる。



 アヤトが自分に必死に打ち明けてくれた話を、勝手に広げるべきではない。

 ましてや、今のミレナにそれを聞かせれば、正直面倒な方向へ話が転がる予感しかしなかった。


 リノアは膝の上で、そっと指先を握り込む。


(――まずは、二人だけで、綾人さんに確認しないと)



 あの香りが、本当に彼の言っていた人のものと同じなのか。単に自分の思い違いなのかどうかを。



 一方でミレナは、そんなリノアの沈黙に気づいた様子もなく、布切れを手の中で軽く広げていた。


「……これだけじゃ相手の正体までは分からないわね。ただ、身なりだけは整えていた可能性が高い、くらいかしら。まぁこれは私が預かっておくわ。仕立て屋を当たってみれば、何か掴めるかもしれないし」



 ミレナが布切れを折り畳み、手元に収めた。

 それでひとまず、この話は区切りがついた形になる。


 室内に、ふっと緊張の糸が緩む。

 その隙を見計らうように、リノアが立ち上がった。



「あのぅ……少し、買い出しに行ってきてもいいですか?」

「買い出し……? 今?」


 ミレナが訝しげに眉を寄せる。


 つい先ほどまで襲撃の手がかりについて話していたばかりだ。そこで急に買い出しと言い出せば、少なからずとも不自然に映るのも無理はなかった。


 リノアは少しだけ肩を縮こませながら、慌てて言葉を足す。


「あ、はい。その……ミレナさんのお怪我のこともありますし、包帯や薬草も少し補充しておきたくて。それに、材料もあまり残っていませんから。そちらも……」


「まぁいちいち人の家庭の話に口を挟む気もないわ」



 ミレナは興味なさそうに頷くと、アヤトの背中からおもむろに降りた。解放されたアヤトが、ほっと息をついて背中を反らす。



「それと、荷物も少し多くなると思うので……よければ、綾人さんにも手伝っていただけると助かるのですが……」

「え、俺?」


 不意に名前を呼ばれ、アヤトが目を丸くする。

 リノアは小さく頷いた。


「はい、できればまとめ買いしておきたいところですし、綾人さんがいて頂けるなら、と」

「それってつまり……デー」


 嫌な視線を感じた。後ろを振り向かなくともミレナが目を補細くしながら、睨みつけている姿が容易に想像がついたからだ。口にしかけた言葉を、アヤトは慌てて飲み込こむ。


  だがその未遂の一音だけで、リノアの頬にさっと朱が差した。


「で、ででっ、……!? ち、違いますよ! あ、あくまでその、お買い物のお手伝いを……!」



 両手をぱたぱたと振りながら、声が上ずっていく。否定すればするほど顔が赤くなるあたり、どうにも隠しきれていない。


「あぁ、いや俺も別にそういうつもりでは……ほら冗談というか」

「わ、わかってます! わかってますからぁ!」


「この状況でその冗談が出るあたり、本当にあんたって危機感が足りないわね」



 呆れたようなミレナの声が割って入る。

 先ほどまでアヤトの背に腰掛けていた彼女は、今は『普通の椅子』に腰を下ろし、片肘をついて二人を眺めていた。

 その目は半ば眠たげで、半ば疑わしげだ。



「荷物持ちなら連れていけばいいわ。どうせこいつをここに置いておいても、役に立つどころか邪魔になるだけだもの。むしろめざわりになるだけよ」


「ミ、ミレナそんな酷くないですか?」

「私は事実を言っただけよ」

「そんなぁ」

「え、えぇっと……」



 おろおろと視線を泳がせるリノアだったが、やがて意を決したように、こほん、と小さく咳払いをした。


「と、とにかく行ってきますね。あ、あとミレナさん、そのお買い物です! 必要なものを買ってくるだけですから」


「ええ、分かってるわよ。はやく行ってきなさい。……そこのバカポーター、あんたもさっさと行きなさいよ」

「は、はい!」



 ミレナはひらひらと手を振ると、椅子の背もたれに深く体を預けた。

 先ほどまでの気丈な態度からは想像もつかないほど、その動作には疲労の色が滲んでいる。瞼が重たげに落ちかけているあたり、やはり体力の限界は近いようだ。



「何かあったら……」

「何もないわよ。人の家を物色する趣味はないの。さっさと行きなさい」



 二度目の催促に、リノアはぺこりと頭を下げた。

 アヤトもそれに倣い、小さく会釈をしてから玄関へと向かう。



 小さな家に、ミレナのみが残される。彼女は目を閉じたまま、しばらく天井の方を向いていた。

 やがてぽつりと呟く。


「――デート、ねぇ。はぁ、あのバカ……」



 誰に聞かせるでもないその言葉のみを残し、ミレナはそっと寝息を立て始めた。

 それが皮肉か、別の何かがあるのかは、自分自身でも理解はしていなかった。ただそれでも、『デート』という言葉には、多少の思うところがあったのだけは事実だ。

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