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4-2

 その口調は呆れとも疲労ともつかない色を帯びていた。手元の書類を一枚めくり、彼女は再び無機質な作業へと戻っていく。

 静寂を取り戻した室内。ただ一人、最初から最後まで沈黙を貫いていた男が口を開いた。


「放っておいてもいいのか? あの小娘」

「手は打ってあります。それに、反逆の意思をみせたなら、その時は……始末するだけです」



 ミラは手元の書類から目を上げることなく答えた。


「――そうか」


 男はそれを聞き、短く息を吐いただけで再び口を閉じる。

 その様子をみつつ、長椅子に深く沈んでいたヴェインが、わざとらしく驚いた様子で振り返る。



「あぁいたんだねガレン。喋らないものだから、いないものだとばかり思っていたよ」



 ガレンはヴェインの挑発にも一切動じる様子もなく、無言を貫いた。

 ヴェインはそれを意に介さず、ワイングラスを緩やかに傾けながら続けた。



「それにしても随分と偉そうに口を挟むじゃないか。図体だけは立派なのに、ろくに前線にも出ようとしない男に口答えされるのは、ボクの趣味ではないんだよねぇ」



 ガレンの視線がヴェインへと向く。感情を読ませないような、静かな目だった。

 ヴェインはその視線を受けながらも、余裕の笑みを崩さない。むしろ値踏みするように相手を眺め回し、肩を竦めてみせた。



「誤解はしないでくれたまえ。別にキミを責めているわけじゃぁない。ただねぇ……ボクはキミたちのような凡人とは、生まれながらに違うということを理解したほうがいい」



 立ち上がりながら、胸元に手を当てる。その仕草には無駄がなく、本人なりの美学が滲み出ていた。



「四天衆最強にして、最も美しいこのボクに任せておけば、すべては華麗に片がつく。それだけのことさ」



 誇らしげに語り終えたヴェインは、満足そうに顎を上げる。

 だが返ってきたのは賞賛でも感嘆でもなく、重苦しい沈黙だけだった。


 ミラは以前として視線を向けることなく、書類の山に視線を落としたまま。ガレンも興味なさそうに、壁際で腕を組みながら虚空を見つめていた。


「シレナ件も、水神の瞳の件だってそうさ。このボクに任せればいい。それが最も効率的で美しい選択肢さ。キミたちもそう思うだろう?」



 誰も答えない。

 ミラは手元の書類を一枚めくり、ペンを走らせるだけ。ガレンは壁際から視線すら動かさない。

 二人の沈黙は拒絶でも反論でもなく、ただ関心の外に置かれているという事実そのものだった。

 ヴェインは一瞬だけ笑みを固めたが、わざとらしくすぐに肩を竦めて見せた。



「……ふぅ、全く。芸のない連中だよ」



 誰も聞いていない。

 ヴェインは外套の裾を払い、扉へと歩き出す。廊下へと遠ざかる足音は最後まで軽やかだったが、部屋の中でそれを見送る者は一人もいなかった。


 

 扉が閉まり、静寂が戻った室内で、ミラはしばらく無言のまま手を動かし続けた。やがて眼鏡を押し上げ、一言だけこぼす。


「――余計なことをしなければいいのですが」



◇◇◇    ◇◇◇   ◇◇◇    ◇◇◇     ◇◇◇   



「――とにかく、ここに長居するのは賢明じゃないわね」



 ミレナは崩れた壁の向こうを睨んだまま、掠れた声で言った。



「私を狙った相手が、しくじったまま大人しく引き下がるとは思えないし。……それに、この有様じゃ私をここに置いておきたくはないでしょうし」


 そう言うと、ミレナはベッドの縁を掴む。ぎしり、と軋んだ音がして、ベッドから身を乗り出す。

 そのまま立ち上がろうとして、ミレナの膝が一度大きく傾いだ。


「ッ!」

「ミレナさん!」


 真っ先に駆け寄ったのはリノアだった。

 咄嗟に肩を貸そうとその細い身体を差し出すが、リノアの顔が苦しげに歪んだ。


「あぅっ……」


 支える意思こそあれども、彼女の華奢な身体がついてこない。

 小さな肩が押し潰されるように沈み込み、二人の身体がまとめて傾いでいく。


「――危ない!」


 間に割って入るアヤト。ミレナの腕を自分の肩へ回して引き上げ、どうにか体勢を立て直した。



「す、すみません……。わたし、力がないから、こんな時にお役に立てなくて……」



 体勢を立て直してもらったミレナの傍らで、リノアはしゅんと肩を落とし、消え入りそうな声で謝った。

 自分の細腕では人ひとり支えることもできない。その不甲斐なさが、彼女の眉尻を情けなく下げさせていた。


「別に貴方が謝る事じゃないわよ」



 ミレナはアヤトの肩に体重を預けたまま、ふんと鼻を鳴らす。

 それから、すぐ隣で支えているアヤトへと、横目で冷ややかな視線を向けた。


「だいたい、あんたがぼさっと突っ立てるのが悪いのよ。私が倒れかけてにもかかわらず、反応が鈍いのよ。間に合わずに頭でも打ったらどう責任を取るつもりよ?」


「えぇ……。いやでも、間に合ったじゃないですか。結果的に」


 内心では『ありがとう』や、『よくやったじゃない』の一言くらいは期待していた。

 もちろん、そんな甘い期待がこの銀髪の少女に通用しないことなど、もうとっくに理解はしていたが……。




「結果論よ。次に同じことがあって支えそこねたら、その時はあんたのせいだから。覚えておきなさい」

「理不尽だ……」


 アヤトのぼやきを軽く受け流し、ミレナは崩れた壁の向こうへと視線を戻した。



「ともかく、ここを出るわよ。いつまでもこんな吹きさらしの部屋にいたら、傷が癒える前に風邪をひくわ」



 言葉とは裏腹に、その声にはまだ芯のような疲労が滲んでいる。

 アヤトの肩を借りなければ立っていられない時点で、彼女の状態が万全とは程遠いことは明白だった。



「出るって……。どこに、ですか?」



 アヤトが口ごもる。当てなどあるはずもない。

 この街に来てまだ二日目の身に、行き先の心当たりなど浮かびようもなかった。


 その様子を見かねたように、リノアがそっと進み出る。



「あの……もしよろしければ、わたしの家へ。そこならあまり人目もありませんし、ミレナさんを休ませて差し上げることくらいは、できると思います」


「……勝手に話を進めないでちょうだい。私はまだ、世話になるとは言ってないんだから」



 ミレナは反射的に突っぱねたが、その語気はどうも弱い。

 リノアの申し出をはっきりと拒むだけの理由も、気力も、今の彼女には残っていなかった。


「ミレナさんそんなこと言わないでくださいよ。リノアちゃんがせっかく提案してくれたのに。維持張ってる場合じゃないですよ」

「……うるさいわね。椅子のくせに偉そうよ」


 アヤトの言葉に、ミレナは露骨に眉をひそめた。



「いや、今はそんなことを言ってる場合じゃなくて……」



 アヤトは呆れたように額を押さえる。

 現にミレナは自力でまともに立てていないのだ。強がっている場合ではない。


「ミレナさん自分の体調分かってますか?」

「分かっているわよ」


 即答。ただその言葉とは裏腹に、ミレナの身体は未だアヤトの肩へと体重を預けたままだ。

 説得力はまるでない。



「分かってるなら、ちょっとは大人しくしててくださいよ……」

「……ッチ」



 アヤトのため息混じりの呟きに、ミレナは舌打ちしながらそっぽを向いた。

 反論しないあたり、自分でも分が悪いと理解はしているのだろう。


 その沈黙を承諾と受け取って、リノアが控えめに、けれど確かな口調で言葉を継いだ。


「え、えぇっと。決まり、ですね。狭くて何もない家ですけど、それでも横になって休めるくらいの場所はありますから」



 彼女の柔らかな笑みに、ミレナはばつが悪そうに視線を逸らす。



「……あくまで一時的によ。借りを作るのは性に合わないんだから、勘違いしないでちょうだい」



 誰に言い訳をしているのか分からないような、そんな物言い。

 それでも目的地ははっきりした。


 ミレナの腕をしっかりと肩へ回し直し、アヤトはゆっくりと足を踏み出す。

 砕けた石材と木片が床一面に散らばり、足の踏み場を選ばなければ進めないほどの惨状だった。


 その先を、道を確かめるようにリノアが歩く。

 半歩ほど進んだところで、彼女の足が不意に止まった。



「――これは?」



 瓦礫の隙間、ベッドの脚の陰に、布が一枚引っかかっている。

 厚手の生地を荒く引き裂いたような断面で、外套かローブの切れ端らしい。崩落に巻き込まれて落ちたものか、それとも侵入者が逃げ際に残していったものか。



 こうした些細な違和感を見逃さないことにかけては、リノアはこの場にいる誰よりも目敏かった。

 彼女は静かに屈み込み、黒い布切れを拾い上げる。

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