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3-9

 内心で冷酷な嘲笑を浮かべながらも、笑顔は崩さない。シレナは頭の片隅で素早く次の手を計算していた。念には念を、夜中までにあの女が目を覚ました場合の手を打っておかなくてはならない。


 一つ。アヤト(このバカ)が青い石のようなものを探していた、などと馬鹿正直に報告した場合に面倒ごとは避けられない。

 あの女が、『水神の瞳』の情報をどこまで知っているかは定かではない。だが、自身が赤い石を所持していたことや、青い石を探っているという情報がミレナの耳に入れば、『炎神の瞳』と関連付けられるのは容易に想像できる。


 

 自分でも呆れるほど愚かで、扱いやすすぎる少年の口を、今のうちに完全に塞いでおかなければならない。

 このバカは最悪、今後も利用価値があるからだ。


 シレナはゆっくりと瞬きをすると、すがるような視線をアヤトに向け、彼の腕を握る手にほんの少しだけ力を込めた。



「あのぅ、アヤトさん。おひとつだけ、わたしからお願いしてもいいですかぁ?」

「お願い? 俺にできることなら全然かまわないよ。言ってみて」


 腕に伝わる柔らかな感触と甘い声に、アヤトはだらしなく頬を緩ませながら、二つ返事で頷いた。



「今お伝えした、ミレナさんが青い石を持っているんじゃないかってお話ですけれどぉ。……ミレナさんに直接お聞きするのは、遠慮していただけますかぁ?」


「え、それは……なんで? 本人に聞いたほうが持ってるかどうかわかるんじゃないのかな?」



 アヤトが不思議そうに首を傾げると、シレナは困ったように眉尻を下げ、潤んだ瞳を微かに揺らした。

 その所作に何か意味があるのだろうと、アヤトも思わず身構える。



「いえ、実はわたしも分かっていないんですけどぉ、どうやらミレナさんはその石を大切にされてるらしいんですよ」

「そう、なんだ?」



 アヤトは素直に目を丸くした。

 大切にしている物――そう言われると、軽々しく踏み込んではいけない気がしてしまう。



「はい……。それで、そんなことをアヤトさんがいきなり聞いたら、驚かれるんじゃないかと。ましてや今のアヤトさんのお話を聞く限りその……怒られたりしないのかなぁって。わたし、とっても心配で」


「た、確かに……。下手なことを聞いてミレナさんの機嫌を損ねたら、マジで首を飛ばされかねないかも……」



 あの森の中、影縫いトカゲを斬った時。本気で首を斬り落とされるのかと錯覚していた。その殺気がトカゲではなく自分に向かってきたら……。

 大げさに身震いした。冗談だと、笑いごとのように済ませられる話ではない。



「そうなんですよぉ。アヤトさんの身の安全が絶対に一番ですからね! それからぁ……」


 シレナはそこで一度言葉を区切ると、どこか言いづらそうに視線を伏せた。



「この件はわたしたちだけの秘密にしませんかぁ? 二人で会っていることも。ミレナさんって警戒心が強そうなお方じゃないですか……。アヤトさんほどの魅力的な男性が、他の女性と知らない間に親密になっているなんて知ったら。ヤキモチ、妬かれちゃうかもしれませんしねぇ?」


「ミ、ミレナさんが!? あのミレナさんが俺に……?」



 アヤトの脳内に、頬を染めて嫉妬するミレナの姿が勝手に展開される。



『私という存在がありながら他の女にうつつを抜かすなんて……さっ、最低よ……。貴方は、私だけの、もの……なんだから……』


 妄想の中のミレナは耳まで真っ赤に染めながら、落ち着きなく視線を泳がせる。アヤトの鼻息が一層荒くなった。


『かっ、勘違いしないでよね! ……別に嫉妬なんてしてないけれど……でも、その……。貴方は、わ、私だけを……見ていれば、いいんだから……!』


 最後のほうにはもう、今にも消え入りそうな声。

 普段は高圧的な彼女が、不器用に独占欲を覗かせてくる。――そんな都合の良すぎる幻影に、アヤトの脳は完全に焼かれていく。


(お、おお……! こ、これはこれで。ミレナさんの嫉妬姿もいい! 実にいい!)



 もちろん現実のミレナが知れば、「気持ち悪い」、「バカじゃないの」と一蹴した上で本当に首を飛ばしかねない妄想であったが、そんな現実にアヤトが気付くことはなかった。



(バーカ! あの女がてめぇなんかに嫉妬するわけないだろ。アホがよ)



 シレナは内心で冷酷に吐き捨てながらも、表面上は恥じらうように両手で頬を覆ってみせた。



「で、ですからぁ。わたしとアヤトさんのぉ、二人だけの秘密の共有ですよ?」

「ふ、二人だけの……秘密の、共有……!? まっ任せてよ。男に二言はないから!」


 アヤトはだらしなく鼻の下を伸ばし、力強く頷き、渾身のガッツポーズを見せつけた。



「ふふっ、ありがとうございます。それじゃあ、わたしはこれで。アヤトさんもミレナさんのお見舞いに行く時間をこれ以上奪うわけにもいきませんしね」


 目的を果たしたシレナは、ひらりと身を翻す。

 右手を挙げ、笑顔で手を振りながら暗い路地裏の方へと姿を消した。


 シレナの背中を見送った後も、アヤトはしばらくその場に呆けるように立ち尽くしていた。腕にまだ残る微かな体温と、鼻腔をくすぐる甘い香りが、彼の思考をひどく甘く麻痺させている。


 二人だけの秘密の共有。その魅惑的で甘美な言葉の響きが、少年の承認欲求と自尊心をこれ以上ないほどに満たしていた。



 大通りを歩き出し、治療院へと向かう道すがら、アヤトは先ほどの会話を脳内で反芻する。

 青い石の件については、絶対にミレナに尋ねてはならない。シレナからの愛らしい念押しは、今の彼にとって絶対の誓いへと昇華されていた。


 シレナとの約束を守り、沈黙を貫くこと。それが自分の身の安全と、二人の美少女との関係を良好に保つ唯一の手段であると、アヤトは固く心に誓ったのだった。





 人けの少ない路地裏へ入った瞬間、シレナの口元から営業用の笑みがすっと消え失せた。


「あーうぜぇ! マジきしょかったわ、あいつの顔」


 シレナは衣類についたゴミを払うかのように、パンパンと、アヤトに触れていた箇所を何度も叩く。



「あのゴミと秘密の共有だぁ? 虫唾が走るっつーの」


 先ほどまでの甘ったるい猫撫で声など見る影もない。

 冷え切った瞳には、嘲笑と侮蔑のみが浮かんでいた。



 だが同時に、シレナは小さく鼻を鳴らす。これまで他の男にも様々な方法で取り入ってきたが、これほどまでに単純で、懐柔しやすい男はいなかった。



 少し媚びて、少し脅して、また少しだけ媚びて、次の期待を持たせる。

 それだけで勝手に都合よく勘違いし、自分から口を閉ざしてくれるのだから安いものだ。






 石畳の道を歩きながら、アヤトはシレナとの約束を胸に秘めたまま『星明かりの治療院』へと辿り着いた。

 古びているが清潔に保たれた木造の建物。二階へと上がり、きしむ床板を慎重に踏みしめながら突き当たりの個室の前で立ち止まる。


 静かに金属のドアノブを回して扉を開けると、薄暗い部屋の中に二つの人影があった。

 真っ白なシーツに包まれたベッドで、静かな寝息を立てているミレナ。

 そしてその傍らの簡素な丸椅子に腰掛け、濡れたタオルで彼女の額を優しく拭っているリノアの姿だ。



 扉が開いたことに気づいたリノアは、アヤトの姿を認めると思わず立ち上がりそうになったが、眠るミレナを気遣ってすぐさま動作を小さくし、ふわりと柔らかい笑みを向けた。



「綾人さん。おかえりなさい……」


 囁くような声に迎えられ、アヤトも足音を殺しながらベッドに近づく。


「う、うん。その、ミレナさんは?」


「はい、呼吸も安定はしています。ただ、まだ疲労による体力消耗が深いようで……。今のところ目を覚ます様子はありません」

「そ……っか」



 リノアの報告に、アヤトは肩の力が一気に抜けるのを感じた。

 命の危険がないという純粋な安堵。それとは別の極めて利己的な安堵。

 ギルドでの報酬未払いという絶望的な報告を、少なくとも今日一日は先延ばしにできる。そんな打算的な胸撫で下ろしでもあった。



 眠るミレナの顔をそっと覗き込む。

 普段は相手を射抜くような鋭さを放つ青い瞳は固く閉じられ、『暴君』ともいえる、傲慢なまでに自信に満ちた口元は今は無防備に緩んでいる。

 血の気こそまだ薄いが、銀色の髪が白い枕に散らばる様は、ただ静謐で美しい少女にしか見えなかった。



「ミレナさん……」

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