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3-8

 動揺。僅かだが、シレナの肩が跳ねた。

 すぐさま何もなかったかのように、愛らしい笑みを向ける。冷や汗こそかいたが、シレナの表情管理に隙はない。両手を胸の前で振り、顔を紅潮させながら、照れてみせる。



「え、えぇ? 違いますよぉ。ただ街でそういう綺麗な石を持ってる~みたいな話をたまたま聞いただけでぇ」


「そう……なんだ?」

「はい、それにぃ……」

「それに?」


 膝を擦り合わせ、人差し指をツンツンと突き合わせながら、わざとらしく恥ずかしがってもじもじと身をよじる。



「それにぃ……アヤトさんだから、ですよ。アヤトさんから頂いたものだから、わたしの家宝にしたんですよ?」

「えっ!?」


「これがもし他の誰かから貰ったものだったら……たとえいくら綺麗でもぉ、家宝になんてしていませんでした。アヤトさんがくれたから、アヤトさんが、とっ、特別なんです」



 上目遣い。そのうえ、とびきりの笑顔。流れるような動作でアヤトの腕を掴み、自身の胸元へと手繰り寄せる。

 アヤトの腕がシレナの豊かな膨らみへとぴたりと押し当てられた。



「ひぃん!? あ、あ……シレナちゃ……あ、あ、当た」



 女子特有の甘い匂いと、弾力のある、生々しい感触。

 意図的に密着させられたそれによって、アヤトの脳内は瞬時に沸騰し、微かに抱きかけていた疑問も、思考のすべてもが忘却の彼方へと葬られた。



「あひっ……し、シレナちゃん……む、む、むむむ胸が、ががが」

「ひゃぁん! ごごごっ、ごめんなさい。わたしったらつい……」


 シレナは耳まで真っ赤に紅潮させながらわざとらしく身を引き、両手で胸元を隠すように身をすくめた。

 その瞳はほんのりと潤んでおり、何度もアヤトと視線を合わせては逸らした。



「ご、ごめんなさい……わたしったら、つい嬉しくて……はしたなかった、ですよね……」


「い、いや……全然! むしろこっちこそごめん! なんか柔らかいっていうか、じゃなくて、えっと、その」

「でも……」



 シレナは潤んだ上目遣いでアヤトを見つめ、火照った頬のまま、消え入りそうな声で紡いだ。


「アヤトさんなら……わたし、嫌じゃ、なかったんです……よ?」

「へっ!?」


 嫌ではない。破壊力抜群のその一言は、アヤトの脳髄を完全に焼き切る。

 口から魂が抜け出たかのように呆然とし、だらしなく口を開けたまま完全に硬直した。



(ちょろすぎだろこいつ……)


 内心で冷ややかに毒づき、半ば呆れながらもシレナは表情を崩すこともなく、小首を傾げてアヤトの顔を覗き込んだ。



「あ、あのぅ……アヤトさん?」

「はひっ!? あ、ご、ごめん! ついぼーっとしちゃって!」


「うふふっ。アヤトさんかわいい!」

「は、ははは……」



 シレナの可憐な笑顔に、アヤトは頬を緩ませたままデレデレと笑い返す。

 すっかり骨抜きになったアヤトを確認し、シレナは内心でほくそ笑みながらも、「そういえば……」とまるで何かに気が付いたかのように切り出した。



「アヤトさん。ところでミレナさんは今ご一緒ではないのですよね?」

「えっ? あぁ、うんそう。実は今……治療院で寝込んでるんだよね」



 その表情を見た瞬間、シレナの胸中に小さな愉悦が灯った。

 ――あの女は今動けない。それは実に都合が良い。


「ね、寝込んでいる……? そんな……お怪我でもされたんですかぁ?」

「いやぁ、なんか昨日すごい魔法使った反動でさ、魔力を使い果たしちゃったみたいで。二日ぐらいすれば目を覚ますかもとは言われたんだけどね」


「そ、そうだったんですねぇ……。へぇ、そうなんですか」



 シレナは胸元にそっと手を添え、安堵の表情で息を一つ吐いた。

 俯いたその顔には、口角を吊り上げた不敵な笑みが浮かんでいた。



 ――二日。今なら無防備。これ以上ないほどの絶好の好機。

 夜中に忍び込んで始末することなど、造作もない。


「でも本当に良かったです……大怪我とかじゃなくて……」

「うん、そうだね。俺も目の前で気を失ったときはさすがに焦ったけどね」



 アヤトは気楽そうに笑う。そんな無防備な姿を見つめながら、シレナはゆっくりと瞳を細める。

 それでも表面上は、心優しい少女の顔を崩さない。



「そうだったんですかぁ……。あのミレナさんでも、そんな風になっちゃうなんて……。アヤトさん、看病で大変ですねぇ」

「まぁ看病というほどのことはしてないけどね。むしろミレナさんが目が覚めた後の事を考えると……今から恐ろしい」


「おそろしい……? どういうことですかぁ?」


 シレナは首を傾げ、心配そうにアヤトを見つめる。それに対しアヤトは誰に聞かれたわけでもないのに、堰を切ったように自らの悲惨な金銭事情を口走り始めた。



「昨日グールスパイダーっていう魔物の討伐依頼を受けてさ。まぁ倒したんだけど……。糸だの部位だの消えちゃったから証拠がなくて。依頼完了とみなされずに報酬も未払いなんだ」


「ええっ、そうなんですかぁ!?」


「うん……。道中で拾った下級魔物の素材は少し換金できたけど、雀の涙みたいな額でさ。ただでさえ機嫌悪いだろうに、お金が全然ないって知ったら絶対怒る……。これから治療費とか宿代とかどうしようかって、マジで金欠でさぁ……はぁ。俺はなんて報告したらいいんだろう」



 頭を抱えてしゃがみ込みそうになるアヤト。その頼りなく震える背中に、シレナはそっと優しく寄り添った。


「アヤトさん……かわいそう」


 甘く、ひどく心配そうな、掠れるような声だった。本気で眼前の少年に同情しているかのような、女優顔負けの演技。


 しゃがみ込んだアヤトの目線に合わせるようにシレナも膝を折り、彼の背中へそっと手を添える。

 温かな体温と、甘い香りが至近距離からアヤトを包み込んだ。


「ご、ごめんね。情けないところみせたかな……」


「そんなこと……ないです。だって、だって……アヤトさんは、――アヤトさんはミレナさんのために頑張っていらっしゃるのに。……ミレナさんだって、アヤトさんの一生懸命な気持ち、きっと分かってくれますよ!」

「シレナちゃん……」



 潤んだ瞳で真っ直ぐに見つめられ、アヤトの胸の奥で鳴り響いていた警鐘が急速に解けていく。

 この見知らぬ世界で底辺職扱いされ、理不尽に怒られる日々。無論、『椅子』になることを望んだのは自分の発言からではあったが、そんな中で、自分をここまで肯定してくれる子などいるだろうか。



「ありがとう……俺、もう少し頑張ってみるよ。ミレナさんが起きたら、ちゃんと誠心誠意謝って、これからどうやって稼ぐか相談してみるよ。うじうじしてても仕方ないもんね」


「はいっ! アヤトさんなら絶対に大丈夫です。わたし、陰ながらずっと応援してますからね♡」


 胸元できゅっと両手を握り、紫色の瞳をきらきらと輝かせる。

 期待するようにこちらを見上げてくるその仕草は、アヤトの庇護欲をこれでもかと刺激するものだった。



(まぁ『これから』なんて永遠に来ないけどね。せいぜいあの女との最期の別れを楽しんどきなよ)



 内心では毒蛇のように冷酷な嘲笑を浮かべながらも、表面上の彼女の愛らしさは微塵も揺らがない。


「あっ! そうだアヤトさん!」


 彼女はわざとらしく、両手をパンッ、と叩いた。



「もしよろしければ……後でわたし、ミレナさんにお見舞いの品をお持ちしてもいいですかぁ?」

「いやいや。何もシレナちゃんがそこまでしなくたって」


 アヤトは困ったように頭を掻きながら、へらりと笑った。

 突然の申し出に面食らいこそしたものの、その声音に滲む気遣いの優しさが嬉しくもあり、強く断る理由も見つからない。



「ふふっ、アヤトさんのお連れの方ですし、それに少しでもアヤトさんの……心労の負担が減ればと思いまして。……どこの治療院か、教えてもらえますか?」


「本当にありがとう。えぇっとねぇ、ここから大通りをまっすぐ行って、四つめの曲がり角を右に入ったあたりにある、『星明かりの治療院』ってとこなんだけど」


「星明かりの治療院、ですね! お部屋はどのあたりですかぁ?」

「二階の一番奥、階段上がったら右手側の突き当たりの個室だよ」



 アヤトは特に疑う様子もなく、あっさりと答えた。

 むしろ親切に道案内まで続けようとしているあたり、完全に善意で話している。



「ただ……ミレナさん、起きたらめちゃくちゃ不機嫌かもしれないから、無理して行かなくてもいいからね」


 苦笑混じりにそう付け足すと,アヤトは少しだけ肩を竦めた。


「はいっ、お気遣いありがとうございます♡」


 シレナは胸の前で両手を合わせ、花が綻ぶような笑みを浮かべた。

 その仕草だけを見れば、純粋に誰かを案じる心優しい少女そのものだ。



(ご丁寧にどーも。わざわざ全部ゲロって。こいつ本当バカだな)

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