3-7
受付嬢の手が止まり、その顔に明らかな困惑が浮かんだ。
「跡形もなく……とはどういうことでしょうか? グールスパイダーは非常に強固な外殻を持つ魔物ですし。強力な魔法を使用したとしても、魔石や外殻の一部くらいは残るはずですが……」
「いや、それが本当に塵一つ残らなかったっていうか! 俺も信じられないんですけど、ミレナさんの水魔法がドババババーン! ってなって、蜘蛛がシュバババパーンって……! そしたらドッカーン! って爆発して。森ごとバサバサバサァーッ! って……」
身振り手振りを交えて必死に説明するアヤトだったが、擬音語ばかりの拙い説明は、むしろ受付嬢の疑惑を深めるだけだった。
「はぁ……ドババ、ババ、バ? シュババ、バパーン? バサバサァー……?」
彼女は小さくため息をつき、同情と呆れが入り混じったような視線をアヤトに向ける。
「えぇっとですね……アヤト様。冒険者ギルドの規則では、討伐の成否は『討伐証明部位』の提出をもってのみ確認されます。対象の魔石、あるいは指定された部位をお持ち込みいただけない限り、申し訳ございませんがいかなる理由があろうとも、討伐は『未達成』と判定せざるを得ません」
「み、未達成って……!? でも本当に倒したんですよ! 俺この目でバッチリ見ましたから! 本当なんですって! ミレナさんの魔法でドババって……」
「申し訳ございませんが、目撃証言だけでは報酬をお支払いすることはできません。仮にそれが事実であったとしても、証明する術がない以上、ギルドとしてはこれ以上対応いたしかねます」
受付嬢の言葉は丁寧だったが、そこには一切の妥協を許さない、冷たい規則の壁があった。
「そんな……じゃあ、依頼の報酬は?」
「残念ですがお支払いできません。依頼は未達成扱いとなります」
受付嬢の表情は、決して甘くはなかった。彼女は職員としての冷静さを保ったまま、アヤトの目を真っ直ぐに見据えて念を押した。
「アヤト様。また、こういった証拠不十分による『未達成』が今後重なれば、当然ギルドからの信用は落ちていきます。仮にそれが本当に討伐していたのだとしても、です。このような失敗が続けば、いずれミレナ様には報酬の高い重要な依頼は回ってこなくなる可能性があることだけは、しっかりとご本人にお伝えください」
「マジっすか……」
アヤトは絶望的な声で肩を落とした。
道中で採取した下級魔物の素材や鉱石の買い取り額こそ、どうにか銀貨数枚にはなったものの、ミレナが本来見込んでいたであろう報酬には到底及ばない。雀の涙だ。
軽すぎる革袋をポケットに突っ込み、アヤトは重い足取りでギルドを後にした。
朝の陽光が降り注ぐ活気ある大通りを歩いていても、彼の心は暗雲に覆われたままだった。
(ミレナさん、絶対怒るよな……いや、怒るどころじゃない。最悪、俺の首が飛ぶ)
証拠が残らないほど粉微塵になったのは、自分が『椅子』として提供した魔力増幅のせいだ。原因の半分、いや大部分は自分にあると言っても過言ではなかった。
治療院までの道のりが、まるで処刑台へ向かう階段のように感じられた。
「アーヤトさんっ!」
鼓膜にへばりつくような、ひどく甘い声。
絶望に俯いていたアヤトが足を止め、声のした方向へと振り返る。
人混みの中から、こちらに向かって小走りで駆け寄ってくる可憐な姿があった。
黒髪のセミロング。清楚な白いブラウスに、足元までを覆う落ち着いた色のロングスカート。
異世界で最初に目を覚ました時、途方に暮れていた自分に優しく声をかけ、短剣を譲ってくれた可愛らしい少女――シレナだった。
「シレナちゃん!? なんでここに!」
アヤトは沈み込んでいた気分が一瞬で吹き飛ぶのを感じ、顔を輝かせて駆け寄った。
「ああ、よかったです! アヤトさんがゴブリンの洞窟へ向かった後、わたし、ずっとずっと心配で……。無事だったんですねぇ」
彼女は自身の胸元で両手を組み合わせ、心底安堵したように息を吐き出した。
(ッチ。このアホ面が! こいつのせいであたしは……!!)
表面上の甘い言葉とは裏腹に、彼女の内心では激しい憎悪と混乱が渦巻いていた。
しかし当のアヤトはというと、そんな彼女の腹黒さなど微塵も疑っていない。
むしろ別れた後も自分の身を案じてくれていたのだと勝手に解釈し、感動すら覚えていた。
「心配かけてごめん! でもシレナちゃんがくれたあの短剣のおかげで、なんとか生き延びられたんだ。本当に感謝してるよ!」
「すごーい! 流石アヤトさん! やっぱりアヤトさんは選ばれし冒険者なんですね」
キラキラと尊敬の眼差しを向けられ、アヤトは鼻の下を伸ばしきって照れ笑いを浮かべた。
完全に彼女の掌の上で転がされていることなど微塵も疑わず、承認欲求を満たされた少年の口は、聞かれてもいないことまで滑らかに語り始めてしまう。
「いやぁ、俺一人の力じゃないんだけどね。実は今、ミレナさんっていう凄腕の人とパーティー組んでてさぁ」
その言葉を聞いた瞬間、シレナの紫がかった瞳の奥で、鋭い光が瞬いた。
「あー! その方ならわたしも聞いたことあります。流石アヤトさん! そんな凄腕の人と一緒に組むだなんて! これもアヤトさんの人望なんですね」
「ハハハ、人望だなんて……あるのかも! うひひ……」
(あるわけねーだろバカが! 気持ちわりぃなそのニヤケ面)
内心で思いきり毒を吐き捨てながらも、シレナは表面上の愛らしい笑顔を微塵も崩さない。
「アヤトさぁん……」
むしろさらに甘さを増した声色で、彼女はさりげなくアヤトの腕に細い指先を這わせた。
「いひっ!? し、ししシレナちゃん!?」
突然腕へ触れられ、アヤトの肩がびくりと跳ねた。
耳まで真っ赤に染めながら、情けないくらい狼狽えている。
シレナは内心で舌打ちしながらも、そんな本音を表に出すことはない。
彼女は困ったようにはにかみながら、さらに体を少しだけ寄せた。
「あ、ご、ごめんなさいっ。嫌でしたぁ?」
「い、いや全然っ!! むしろ嬉しいっていうか!!」
「えへへ、よかったぁ♪」
甘く笑ってから、シレナは何気ない調子を装って問いを差し込んだ。
「あのぅ……ところでアヤトさん。そのミレナさんって方……とっても綺麗な青い石を持っていませんでしたかぁ?」
「青い、石?」
アヤトは首を傾げながら、間の抜けた声を漏らした。
どうやらすぐには思い当たらないらしい。
シレナはそこで焦らない。
むしろただのなんてことない世間話に聞こえるように、ふわりと笑みを深める。
「はい! 青くて、まん丸でぇ……ガラス玉みたいに透き通った、すっごく綺麗な石なんです。わたし、そういう綺麗な石を集めるのが趣味でしてぇ」
無邪気な少女の好奇心を装い、小首を傾げて上目遣いで見つめてくる。
アヤトは腕を組んで宙を仰ぎ、ミレナの姿を頭の中に思い浮かべた。
だが記憶の引き出しから出てくるのは、こちらをゴミのように見下ろす冷ややかな青い瞳。もしくは容赦なく自分の脛を蹴り上げてくるブーツの感触ばかりだ。
「うーん……どうだろう。俺、あの人の荷物持ちみたいなことしてずっと傍にいたけど、そんな綺麗な石は見たことないなぁ」
「本当ですかぁ? 例えば、杖の飾りに埋め込まれていたり、ペンダントにして首から下げていたりとか……」
「どうだったかな……。あの人、あんまりじろじろみてると怒るから、直視できないというか」
(はぁ!? クソほど使えねぇな!! 死ねよ)
苛立ちで、シレナの奥歯がギリッと微かに鳴る。しかしそれすらも可憐な吐息で誤魔化し、彼女はさらに一歩踏み込んでヒントを出した。
「うーん、そうですかぁ……。ほら先日わたしがアヤトさんから頂いた、あの赤い石みたいな感じの……あんな風に透き通った青い石なんですけどぉ?」
「赤い石……あー、あのポケットに入ってたおもちゃみたいなやつね。いや、やっぱりミレナさんがそんなの持ってるの見たことないなぁ」
「そうですかぁ……ちょっとだけ見てみたかったんですけど、残念ですぅ」
シレナがしょんぼりと肩を落として見せると、アヤトは申し訳なさそうに頭を掻いた。
だがその直後、アヤトはふと何かを思い出したように首を傾げる。
「ていうかさ、あの赤い石ってなんか特別なものだったの? シレナちゃんがわざわざ家宝にするくらいだし、ただのおもちゃじゃないとか? その青い石も」
「――ッ!?」




