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アヤトの指摘に、薬草をすりつぶしていたリノアの動きがピタリと硬直した。
ランタンの薄明かりに照らされた彼女の服装を、アヤトは改めてまじまじと観察する。
出会った時は暗闇と混乱で気に留める余裕がなかったが、冷静になって見れば見るほど、それはファンタジー世界の住人が着るような代物ではなかった。
橙色のブレザーとスクールベスト。白いブラウスと赤いリボン。下はチェック柄のプリーツスカート。極めつけに、足元は白いソックスと、茶色のローファー。
どう見てもアヤトが暮らしていた現代日本の、それもどこかの高校の指定制服そのものだった。
「が、ががっがくせいふく……? なななっ、何のことでしょう? わ、わたしにはさっぱり……」
リノアは顔を引きつらせ、すり鉢を抱え込むようにして視線を明後日の方向へと逸らす。
先ほどまでの献身的な聖女のような振る舞いから一転、明らかに動揺が隠しきれていない。
「いや、どう見てもシャツとベストに、チェックのスカートですよね。それに、胸元のエンブレムのところに漢字で何か書いてあるような……んーなんか見たことあるような、ないような……。ていうか前にどっかで……会ったこと? いや、どうだったっけ?」
「ち、違います、違います! これは、その……わたしの故郷の村に伝わる、由緒正しき伝統衣装でして! ……ええ、そうです! 『ガク・セイ・フク』という名の、身を守るための特別な祭祀服なんです!」
早口でまくしたてながら、リノアは必死に胸元のエンブレムを器用に左腕で隠した。額にはうっすらと汗がにじみ、顔は耳の先まで真っ赤に染まっている。
「伝統衣装……『ガク・セイ・フク』って……いくらなんでも無理がありませんか? それに、さっき俺の名前を知ってたのも……そういやあの時って?」
「き、気のせいです! 綾人さん、きっとお疲れなんですよ! 暗い洞窟からずっと戦いっぱなしで、きっと幻覚が見えているんです! あぁ、かわいそうに……後でよく効くお薬を調合しておきますね!」
有無を言わさぬ勢いで言い切ると、リノアは再び猛烈なスピードで薬草をすりつぶし始めた。
木製のすりこぎがすり鉢の底を叩く音が、異常なほどの速さで狭い荷台の中に響き渡る。
あまりの必死さに、アヤトはそれ以上の追及を諦めて深い溜息をついた。
彼女が自分と同じ世界から来た人間なのか、それとも自分を知っている誰かなのか。何故隠そうとしているのか。
謎は深まるばかりだが、今はこれ以上問い詰めてもぐだぐだになるだけだろう。
「……はぁ。わかりました。まぁそういうことにしておきます」
「ほっ……じゃなくて! そうですよ、そうに決まっています!」
リノアはわざとらしく「コホン」と一つ咳払い。
すりつぶした薬草のペーストを小さな器に移すと、それを水筒の水で慎重に薄めていく。それを清潔な布の切れ端に染み込ませると、眠るミレナの唇にそっと当てた。
「今は何よりも、ミレナさんの回復が最優先ですから。この薬草の成分が少しでも体に浸透すれば、呼吸も楽になるはずです」
先ほどまでのパニックが嘘のように、リノアの表情は再び真剣な治療者のものへと戻っていた。ミレナの青ざめていた顔色が、微かにだが生気を取り戻していくのがアヤトにもわかる。
荷馬車は規則的な揺れを伴いながら、夜の街道を進んでいく。
車輪が石を弾く音と、馬のひづめが土を蹴る音が一定のリズムを刻む中、アヤトはミレナの寝顔と、それを優しく見守るリノアの横顔を交互に見つめていた。
振動を極力与えまいと、リノアの柔らかそうな太ももの上にミレナの頭をそっと乗せ、膝枕をしているのだ。
自分の上着が血と泥で汚れることにも、全く嫌な顔ひとつせず、リノアは慈しむようにミレナの銀糸の髪を撫でている。その光景はひどく現実離れしていて、どこか神聖さすら感じさせた。
さらにリノアは、ミレナの衣服が破れ、痛々しく肌が覗いている箇所へとそっと両手をかざす。彼女の手のひらからは、淡い緑色の光が溢れ出す。
柔らかな光はミレナの傷口を優しく包み込み、ゆっくりと染み込んでいく。
それは、アヤトがゲームや漫画の世界で見てきたような、一瞬にして傷が完全に塞がり、体力が全快するような奇跡の魔法ではなかった。
光が触れた部分から、じわじわと出血が止まり、開いていた傷口が薄い膜を張るようにして塞がっていく。
あくまで『応急処置』の域を出ず、痛々しい赤みや傷の痕跡までは完全に消し去れない。
それでも、野戦病院のようなこの状況においては、十分すぎるほどの処置だった。
「すみません。わたしの力では、止血くらいしかできなくて……。あとは、ミレナさん自身の治癒力に頼るしかありません」
リノアは申し訳なさそうに眉尻を下げ、額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。
彼女自身も、使い慣れない魔法と手当てで、かなり魔力と体力を消耗しているはずだ。
「いや……そんな。十分ですよ。ありがとうございます、リノアさん」
アヤトが心底からの感謝を伝えると、彼女は少しだけ照れくさそうに微笑んだ。
荷馬車は夜の闇を切り裂きながら、街を目指して進んでいく。
アヤトの意識は、すでに限界を迎えようとしていた。無意識に体が前後にふらつき、集中力を切らせば、今にも頭を床に打ち付けて気絶してしまいそうなほどに。
異世界での理不尽な死の恐怖。自分を『椅子』として扱う傍若無人な少女。
そしてなぜか現代日本の制服を着た心優しい少女、リノア。
理解の範疇を超えた事象の連続に、アヤトの脳はとうに処理の限界を迎えていたのだ。
先ほどの戦闘の緊張が解けたこともあり、泥のように重い疲労感が全身を容赦なく蝕んでいく。
重力に逆らうことを諦めたまぶたが、ゆっくりと落ちていく。
「綾人さんも、無理しないで休んでくださいね。街に着いたら、ちゃんと起こしますから……」
遠のく意識の中で、リノアの優しい声が耳をくすぐる。
アヤトは短く頷きを返そうとしたが、首を動かす前に深い眠りの底へと沈んでいった。
……。
――狭い荷台の中に、アヤトの規則正しい寝息と、ミレナの微かな寝息だけが満ちる。
二人が完全に眠りに落ちたことを確認すると、リノアはピンと張っていた肩の力を抜き、深く安堵の息を吐き出した。
「はぁ……。綾人さん、意外と勘づくのが早いんですね。あ、危なかったぁ……っ」
先ほどまでアヤトに向けていた澄ました態度はどこへやら。リノアは両手で真っ赤になった頬を包み込み、身悶えするように小さく首を振る。
「ふふ、『ガク・セイ・フク』って……わたし、なんて苦しい言い訳を……。綾人さん、絶対に呆れてましたよね……。うぅ、穴があったら入りたいです……」
自己嫌悪に陥ったように小さく呻きながら、彼女は左腕で隠していた胸元のエンブレムをそっと指先でなぞる。
そこには、アヤトの記憶にもあるかもしれない『白花』の文字が金糸で刺繍されていた。
恥ずかしさからひとしきり身をよじった後、リノアはそっと顔を上げ、向かい側で眠るアヤトの寝顔を見つめた。
泥と煤にまみれ、疲れ切ったその顔。
「でも……」
一度言葉を切ると、リノアの口から、先ほどの安堵とは違う微かなため息がこぼれ落ちた。
ランタンの灯りに照らされたアヤトの寝顔に向けられるその瞳には、隠しきれない寂寥の色が浮かんでいる。
「綾人さん……。やっぱりわたしのことは、覚えていないですよね?」
彼が自分の着ている制服と、エンブレムの文字を見て、「見たことある」と言ってくれた時は、ほんの少しだけ期待してしまった。
もしかしたら、自分のことを思い出してくれるのではないかと。
だが彼から返ってきたのはあくまで『制服』に対する既視感だけであり、それを着ている目の前の少女への記憶には、微塵も結びついていないようだった。
――あの日の記憶。彼とは通っていた高校も違う。接点など、それこそあの一日だけ。
無理もないことだ、とリノアは自嘲気味に小さく唇を噛む。
頭では理解していても、いざ面と向かって全く気付かれないというのは、思っていた以上に胸の奥が痛む。
リノアは肩をすくめると、小さく息を吐き出して、胸の内に広がる淡い感傷を無理やり追い出した。
こうしてまた彼に会えたのだ。誰も知らない、この不思議な世界で。今はただそれだけで十分じゃないか、と自分に言い聞かせる。
リノアは寂しさを振り払うように、もう一度だけ柔らかく微笑んだ。
そっと手を伸ばし、アヤトの頬に付いた泥の汚れを、彼を起こしてしまわないよう指の腹で優しく拭い取る。
「ゆっくり、休んでくださいね。綾人さん」
誰にともなく小さく呟き、彼女は再びミレナの看病へと意識を戻した。
ランタンの揺らめく灯りが、決意を秘めたリノアの横顔を柔らかく照らし出している。
荷馬車は夜の闇を切り裂きながら、静かに、だが確実に街へと向かって進み続けた。




