2-7
――その頃。
破壊の爪痕が痛々しく残る戦闘の跡地から、少し離れた森の深部。
鬱蒼と茂る樹木の間で、一人の少女が腰を下ろし、地面に生える薬草を丁寧に摘み取っていた。
「ふぅ、今日はこのくらいですかね? この『月隠れ草』は夜にならないと魔力を帯びませんから、タイミングがとても難しいですね」
籠の中に淡く光る草を収め、少女は額の汗を拭う。
柔らかな茶色の髪は腰のあたりまで真っ直ぐに伸びていて、陽の光を受けるたびに淡く金色を混ぜたように揺れる。
癖のない長髪は丁寧に梳かされているのだろうが、どこか作り込みすぎていない自然さがあり、その穏やかな雰囲気によく似合っている。
はちみつ色にも見える橙の瞳は、目が合っただけで肩の力が抜けてしまいそうなほど柔らかい。少したれ気味の目元と、控えめに浮かぶ微笑みのせいか、彼女の周囲だけ、空気が温かく感じられるほどだ。
白いシャツに結ばれた赤いリボンは素朴で、派手ではないのに妙に彼女らしかった。
上から重ねたオレンジ色のスクールベスト、橙色を基調にしたブレザーが全体に優しい色味を与えている。ブレザーの袖口や縁には、濃い茶色の細いラインが入っている。それが全体を引き締め、柔らかい色合いの中にも落ち着いた品を感じさせていた。
肩には薄い桜色のショールがふわりと掛けられている。きっちり羽織るのではなく、少しだけ肩を包むようなその着方が、まるで彼女自身の性格を表しているようだった。
ネイビーを基調に橙の線が入ったチェック柄のスカートは落ち着いた印象で、白いソックスと茶色のローファーが、学生らしい清潔感を添えている。
何より、身体つきは年頃の少女としてはやや成熟しており、ジャケット越しにも柔らかな膨らみが控えめに主張していた。
「それにしても……先ほどから妙に騒がしいですね。それにこの森って魔物の気配がもっとあったような」
少女が不思議そうに周囲を見回した、その時だった。
森の静寂を切り裂くような、凄まじい衝撃波が彼女の全身を打ちのめした。
大地が大きく揺れ、周囲の木々が嵐に遭ったかのように激しくしなり、葉が吹雪のように舞い散る。
空気を震わせる轟音は、雷鳴よりも大きく、森の奥深くから響いてきた。
「ひゃぁっ!?」
思わず地面に伏せ、頭を抱えた。
突風が収まり、土煙が晴れた後、彼女が恐る恐る顔を上げると、信じられない光景が広がっている。
遥か遠く、木々の隙間から見えたのは、森の一部が抉り取られ、一直線に道ができているような惨状だった。先ほどの轟音の正体は、間違いなくあれだ。
「な、なんですか……あれ。もしかして魔法? でもあんな広大なものが」
少女は震える足で立ち上がり、一直線に薙ぎ払われた森の惨状を前に、呆然と立ち尽くした。
太い古木が根元からへし折られ、地面は深く抉り取られている。まるで巨大な竜が地を這い、すべてを喰らい尽くして通り過ぎたかのようだ。
とてもではないが、ただの一介の冒険者が放つ魔法で生み出せる規模の破壊ではない。
少女は、籠を抱え直しながらゴクリと生唾を飲み込んだ。
「森のヌシクラスの魔物でも出たのでしょうか……。だとしたら、早くここから離れないと……」
採集は切り上げ、すぐに街へ戻るべきだ。
そう頭では理解しつつも、彼女の足は無意識のうちに、破壊の痕跡が続く方向――森の奥、魔法が放たれたであろう震源地へと向いていた。
好奇心というよりは、「もしかしたら怪我人がいるのではないか」という、彼女の献身的な本能がそうさせたに違いない。
抉られた地面に沿って慎重に歩を進めること十数分。
木々の隙間から、不格好に身を寄せ合いながら歩いてくる二つの人影が見えた。
「はぁっ、はぁっ……。ミレナさん、あと少ししたら森を抜けられると思うので。はぁ、頑張って、ください」
「……う、るさい。話しかけ、ないで……」
巨大な革袋を背負い、さらに青白い顔をした銀髪の美少女に肩を貸している少年。
少年のほうは泥まみれで、疲労困憊といった様子。ただ、それ以上に彼に寄りかかっている少女の消耗具合は尋常ではなかった。
息も絶え絶えで、出血も酷く、今にも意識を手放してしまいそうだ。
(冒険者の方……? でも、あんなにボロボロで……。それに、まさか日本人……?)
見かねた少女が木陰から飛び出そうとした、その時だった。
「うおっ!?」
アヤトの足が木の根に引っかかり、二人はバランスを崩して勢いよく地面に倒れ込んだ。
重いズタ袋がアヤトを押し潰し、ミレナも泥の地面に乱暴に投げ出される。
「いっっっっっっっっっっってぇ!! ミッ、ミレナさん! 大丈夫ですか!?」
「うっ……、っ、あ……」
ミレナはうわ言のように小さく呻くだけで、ついにピクリとも動かなくなってしまった。
魔力枯渇による限界。生命力そのものがすり減っている状態だ。
「ちょっ!?嘘ですよねミレナさん!? ま、待って死んじゃだめです! お、俺椅子になりますから! ミレナさん!!」
アヤトは半泣きになりながら、泥だらけのミレナの体を揺さぶる。
端から見れば「俺が椅子になる」などという言葉は完全に狂人のそれであったが、今の彼にとっては、それが彼女との唯一の繋がりであり、存在意義だった。
「えと、あっ、あの!」
見かねた少女が、意を決して木陰から飛び出した。
「ひぃ! ま、魔物!? って、女の子!?」
「あの……驚かせてごめんなさい。お連れの方が心配で。わたし、莉愛……え?」
言葉の途中で、少女は泥だらけの少年の顔を見て、はっと息を呑んだ。
(嘘……)
「あ、あの? もしかして俺の顔に何かついてます?」
「あっ、いえ! すみません。 わたし……えっと、リノアと言います。とにかくお連れの方かなり危険な状態かと」
「き、危険って……やっぱ死ぬんですか!? やばい、どうしよう!」
パニックに陥るアヤト。リノアはそんな彼の奇行にもあえて触れず、まるで駄々をこねる子供をあやす母親のように、穏やかで包み込むような微笑みを向けた。
「大丈夫です。……綾人さん落ち着いてくださいね」
彼女の声には、不思議な温かみがあった。
鈴のように澄んでいるわけでも、甘く媚びるような声でもなかった。ただ耳に届くだけで、張り詰めていた気持ちがゆっくりほどけていく。そういう柔らかな響きだった。
「脈がとても弱いです。それに、体が冷たい……。極度の魔力枯渇症ですね。あと出血も酷いです……。このままでは命に関わります」
「い、命に関わるって……マジですか!?」
「はい。でも、森の入り口に荷馬車を待たせてあるんです。そこに魔力回復の薬草や道具も積んでありますから、早く運びましょう」
彼女は決して早口ではなく、一つ一つの言葉を包み込むように丁寧に話す。
相手を急かさず、否定せず、ちゃんと受け止めるような話し方のせいか、聞いているだけで胸の奥のざわつきが静かになっていく。
疲れている時ほど、その声はよく沁みた。
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます! リノアさん。マジで貴女は女神様だ……!!」
「め、女神……だなんて」
アヤトは拝むように手を合わせると、火事場の馬鹿力でミレナを抱き上げようとしたが、疲労困憊の腕では持ち上がらず、結局は背中に背負う形に落ち着いた。
「っし、じゃあこのデカ袋も……っと」
「あっ、その大きなお荷物はわたしが持ちますね。アヤトさんはお連れの方をお願いします」
リノアはそう言って柔らかく微笑むと、アヤトの足元に転がっている重たい革製のズタ袋の紐を、両手でしっかりと握りしめた。
「行きますよ。……ふんぬっ! んっ!」
気合を入れて上に引っ張るリノア。しかし、ズタ袋はピクリとも動かない。
「あれ? へ、変ですね」
リノアは不思議そうに首を傾げ、もう一度しっかりと紐を握り直した。
「んんっ、んー! むむむっ……」
顔を真っ赤にして、足を踏ん張り、全身の体重をかけて必死に引っ張るリノア。
ズルッ、と数センチだけ袋が引きずられたが、持ち上がる気配は微塵もなかった。
彼女の細く華奢な腕では、鉱石や魔物の部位がぎっしり詰まった袋を持ち上げるなど、最初から無理な話だった。
「えっと。リノアさん?」
「おかしいですね……もうちょっと、んっ! ……うぅぅ~……だめです。やっぱり動きませぇん」
涙目で必死に袋と格闘する健気な姿に、アヤトは思わず苦笑いを浮かべた。
(なんて、かわいい……)
「無理しないでいいよ。これは俺がなんとか引きずっていくんで、大丈夫だから」
「ご、ごめんなさい……わたし、力がなくて……。お役に立てなくて、すみません……」
リノアは手を離すと、本当に申し訳なさそうにシュンと肩を落とした。
そのあまりにも素直で庇護欲をそそる反応に、アヤトの疲れた心がほんの少しだけ癒やされる。
「いやいや、案内してくれるだけで十分すぎるくらい助かってますから! その、急ぎましょう!」
「は、はいっ! こちらです!」




